やってくれたな、とイデアールは怒りに血を沸騰させた。
連れてきた魔物の半数以上が今の魔法石の攻撃で焼き尽くされ息絶えてしまったようだ。
外敵を阻む結界を維持するためだけに魔法石の塔を利用しているのだと思っていたが、まさか自分たちの街もろとも破壊する機能を備えていたとは。
(小癪な……!)
犠牲となった同胞に報いるためにも、やはり都は完膚なきまでに叩きのめさねばならない。
イデアールはバチバチと火花を弾かせている王城の結界に掌を置くと、電撃に襲われるのも構わず魔力を放出した。
用いているのは他人の術に干渉し、無理矢理無効化させるという古代魔法だ。魔力消費も組成の複雑さも呆れるほどだが、結界など一度壊してしまえばそれまでである。
固い膜に穴が開き始めたのを見てイデアールはにやりと笑った。
人間どもはここが最後の砦だろう。この都さえ滅ぼせば、大陸のこちら側はほぼ掌握できたことになる。
******
たてがみを振り乱してハンババが吼えた。その雄叫びは危うくアラインたちの鼓膜を破るところだった。
辺境の都、正門前。敵との間合いを測りながらアラインは剣を構えた。
ハンババは小さな民家ほどの大きさがあり、異常に発達した両腕を持っていた。殴られでもすれば骨まで砕けるのは必至、ともかく攻撃は避けねばならない。足でどこまで撹乱できるかと思う間にエーデルが飛び出した。
クラウディアから聞いた話だが、彼女には魔物の血が流れているそうだ。だからなのかは知らないが、身体能力が飛び抜けている。ベルクを見たときもすごいと思ったが、それとはまた違うタイプのすごさがあった。とにかく速い。瞬間的に発揮できる力だけならおそらく誰より上だった。
スリットの入ったスカートから伸びたしなやかな足がハンババの顎に痛烈な蹴りを食らわせる。巨体がぐらりと傾いた隙にアラインが腹に斬り込んだ。だが一刀両断というわけにはいかなかった。あの砲撃に耐えただけあって、皮膚の強度はなかなかのようだ。
「動きは鈍いけどタフそうね」
「ああ、平原や森をウロウロしてるタイプの雑魚じゃなさそうだ」
「ふたりとも気をつけてください。敵の内側から強い魔力を感じます……!」
そう忠告してクラウディアが速度補助の魔法を放った。ふとヒルンヒルトに言われたことを思い出し、アラインは眉をひそめる。
――無理に力を抉じ開けられて損傷しかけている。魔法を浴び過ぎると立っていられないほどの激痛が襲うぞ。
ヒルンヒルトはハルムロースがアラインに禁呪をかけたと言った。薄らとそれらしき記憶が残るのは兵士の都でクヴァドラートに襲撃されたときのことだ。確かにあの後、すべての能力が飛躍的に向上した。
(ハルムロースが魔族だっていうのは本当なのか……?)
それも彼に確かめねばならない。アンザーツのことと言い、旅に出てから頭が混乱する事態ばかり起きている。
「はぁッ!!!」
起き上がったハンババにエーデルが再度挑んだ。今度は空中での回し蹴りだ。攻撃は首裏に決まり、ハンババが上体を揺らした。けれど巨体を地に引き倒すところまでは行かなかった。黒い毛並みの雄牛の肉体は筋骨隆々で、太い腕がエーデルに向かって振り下ろされる。
「ッ!!!」
石畳の地面に穴が開く。辺りに礫が飛び散った。エーデルは攻撃を避けたようだが凄まじいパワーに度肝を抜かれた。瓦割りじゃないんだぞ、とアラインは舌打ちする。
エーデルとは反対方向に回り込み、アラインはハンババの背中を狙った。大蛇の尻尾を斬り落とされて、敵はようやくこちらの存在に気がついたようだ。両方向からの攻撃に魔物はグンと腕を伸ばし、大きく身体を捻らせた。回転の遠心力で吹き飛ばそうと言うらしい。
だが体格差が幸いした。大振りすぎる攻撃は注意深く観察すれば避ける程度容易い。身を屈め腕が通り過ぎるのを待ったアラインと、タイミングを合わせて懐に飛び込んだエーデルに呆気なく突破され、ハンババは前後から同時に打撃を受けることになった。更にそこへクラウディアの放った真空波が襲いかかる。
魔物は苦悶の叫び声を上げた。腹の傷を抑えながらのた打ち回り、所構わず腕を振り回す。こちらの方がさっきより余程危なくて近寄れない。
アラインは炎の魔法を掌に宿すとそれを引き伸ばし、鞭のようにしならせてハンババを攻撃した。ぼうぼうと残ったたてがみも燃え上がり、怒りの咆哮が天を突く。
「危ない! ふたりとも下がってください!!」
クラウディアの声にハッとアラインたちは飛び退いた。ハンババの爪が鈍く光り、雷光の塊となった球体がいくつも発射される。
「!!」
「きゃっ!!!」
スレスレのところで避けたつもりが、服に触れたそれは小爆発を起こした。エーデルも足に電気を食らったようだ。
「第二波がきます!!」
クラウディアの癒しの魔法が傷の痛みを和らげる。魔法の球体は厄介なことに特定軌道を持たないようだった。たんぽぽの綿毛のよう、ただ風の流れに乗ってふわふわ飛んでくる。避けにくいことこのうえない。
「わたしが全部潰します。ふたりは魔物本体に集中してください!」
緩やかな風が巻き起こったかと思うと、それは大きく渦を描いた。ハンババの魔法は優しい竜巻の中にひとつまたひとつと飲まれていく。触れ合った球同士が反発し、パンパンと爆発音を連続させるが、アラインたちまで影響が及ぶことはなかった。
「ありがとうクラウディア……!」
「ええ、頑張ってくださいエーデル……!」
若干甘酸っぱい類の空気が流れた気がしたが全力で気に留めないことにしてアラインは剣を振り上げた。魔法球を封じられ怯んだ様子を見せるハンババの肩口を一気に斬り下ろす。
痛みに混乱を来たしたか、ハンババは手当たり次第に瓦礫を掴んで放り投げた。その中のひとつが運悪く跳ね返り、クラウディアのこめかみに当たった。
「っつ……!」
小さな悲鳴にエーデルの顔色が変わる。ハンババは彼女の逆鱗に触れたのだ。
「やったわね……!?」
その後の彼女の攻撃には目を瞠るものがあった。
地面に両手を突き、回転しつつ挟んだ両足でハンババの首を捕らえ、エーデルは敵の頭部を石畳に叩きつける。伏した魔物の背中に飛び乗り片腕を捕らえると、メリメリメキメキ音を立てながら魔物の右腕を引き千切った。更に反対側の腕も。
あまりの光景にアラインはぽかんと剣を止めた。まるで魔物が獲物を捕食するような戦い方だった。容赦がなさすぎる。
エーデルは最後にハンババの後頭部に膝を沈めると、動かなくなった魔物を眺めて「クラウディアに怪我させるからよ」と吐き捨てた。
******
ほぼ何の計画もなく王城を目指そうとするディアマントをオーバストは懸命に追う。
猪突猛進というか、単純明快というか、ある種の天真爛漫というか、ともかくディアマントは最後まで人の話を聞かない。馬鹿な子ほど可愛いという言葉があるように、そういう一面もまた彼の美徳であるとは思っているが、こんなときぐらいひとりで戦わず後方支援を頼んでも良いのではないだろうか。勇猛であることは認めるけれど。
「ディアマント様! いくらなんでも危険です! これだけの魔物を率いているリーダーがいるんですよ!? おひとりでは……っ!!」
「やかましい!! 貴様がついて来ているのだからひとりではなかろう!!!」
怒鳴られてしまった。数に入れてもらっているのを喜べばいいのか、不興を買ったのを悲しめばいいのか、複雑な心境だ。
それにしても何をそんなに功を焦っているのだろう。まさかクラウディアを出し抜きたいとか、あの魔物殺しエーデルに良いところを見せたいとか考えているわけでもな……いや、有り得る。
辺境の村に滅法強い人間がいると教えたのはオーバストだった。それがまさかこんな展開を見せるとは、あのときは想像もしていなかった。ディアマントが大人の階段を上っていくのは寂しいが嬉しい。できればこの恋の勝負を制して、甘く幸せなひとときを手に入れてほしいとも思う。障害の多そうな恋だけれど。
(……まぁ神様がお許しにならないか……)
小さな溜め息を零しかけたときだった。瓦礫の中から二体の怪鳥が飛び出してきて、オーバストたちの前方と後方に毒々しい色の翼を広げた。
「ディアマント様!」
「グリュプスとコッカトリスか……。ふん、片方は貴様が始末しろ、いいな? 私は先を急いでいるのだ!」
グリュプスは前半分が鷲、後ろ半分が獅子という魔物である。コッカトリスの方は前半分が鷲、後ろ半分が蛇の身体で、明らかに毒性のある灰色の息を吐いていた。
ディアマントは魔法より剣を愛する男である。毒息を浄化しながら戦うなど面倒なことはしないだろう。そう断じるとオーバストはコッカトリスに長剣を向けた。
「天界人に空中戦を挑むとは、その度胸だけは買ってやる!!」
怯むことなくディアマントはグリュプスに斬り込んでいく。
「危なくなったら言ってくださいね!! 約束ですよ!!!」
暫し彼の身を守れぬことに涙目になりながらオーバストは叫んだ。
ともかくさっさとこちらの敵を倒してしまうに越したことはない。ディアマントがひとりで無茶をしないか心配すぎる。
オーバストは天空を指差し雨雲を呼んだ。雷が魔物を撃ち殺すように術を組み、そして放つ。
この魔法を教えてくれたのはトルム神だった。ディアマントやウェヌスはお前が守るようにと言って。
肉体があることにはようやく慣れてきた。膨大な力を制御しながら戦うことにも。
雷撃はコッカトリスを貫いたが、焼き殺すまではいかなかった。ぷすぷす煙を上げたまま鷲のくちばしが向かってくる。
身構えたオーバストのやや手前でコッカトリスは急停止し、上空に旋回して背後へ飛んだ。しまったと振り向いたときには遅く、脇腹を鋭く抉られる。
痛みに呻く暇もなく、次は蛇の尾が襲いかかった。それを剣の柄で弾き返し、発動させた火魔法で焼き切る。千切れた蛇の腹からは毒液が飛び散った。
「っぐ……!!!」
弱い浄化作用をかけながら戦っていたのに、毒の影響か頭がクラクラしてくる。敵は想定より強い毒を持っていたらしい。
灰色の呼吸に触れた脇腹が石化しているのを見てオーバストはぎゅっと歯を食いしばった。これ以上同じ攻撃を食らうわけにいかない。手早く回復呪文を唱え、半身を失いバランスを崩すコッカトリスにとどめを食らわせる。
斜めに断ち切った身体からはまた紫の毒液が四散した。後方で戦っていたディアマントにその液がかからぬよう風を起こす。ちょうどグリュプスもディアマントの剣により絶命したところだった。
まだまだ粗いところはあるが、生まれ持った素養は高い人なのだ。この先ディアマントはどんどん強くなるのだろう。きっとあの魔王ファルシュよりも。
「……っお? おや?」
ぐら、とオーバストの視界が傾いた。どうやら脇に受けた傷が治りきっていなかったらしい。そこから毒が回ったのか、平衡感覚が危うかった。
「ふん、情けない。天界人が魔物の毒なぞ受けおって」
そう言いつつもディアマントはオーバストの腕を掴み、墜落しそうなところを引き留めてくれる。
「ディアマント様……!! なんとお優しい……!!!」
感涙にむせぶオーバストを見てディアマントは眉根を寄せた。鬱陶しいからやめろという顔だ。それでもそこに彼の亡き母の面影が残るので、オーバストはディアマントを愛おしく感ぜずにはいられなかった。
******
ハンババを倒した後、アラインはクラウディアたちと二手に別れることにした。バールが「裏門側におるのんマハトとちゃうか?」と教えてくれたからだ。
ディアマントたちを放ってはおけないし、マハトは心配だし、後から城で合流しようという案に三人とも頷いた。ただし絶対に無理はしないようにと約束して。
エーデルとクラウディアには王城へ向かってもらい、アラインはバールとともに裏門を目指した。ヒルンヒルトとアンザーツも多分そちらに固まっているだろう。
聞きたいこと、話したいことが山のようにある。のんびり話はできずとも、せめて戦いが終わってもどこにも行かないでくれと釘を刺しておきたかった。
(アンザーツか……)
どきどきする。本当に彼なのだ。
勇者の中の勇者。英雄の中の英雄。どうしようもなく憧れた男がそこにいる。
こんなときに不謹慎だぞと己を窘めるが、胸の高鳴りはやまない。
残骸となった街を駆け抜け魔法石の小塔が見える辺りまで来ると、煙の色が濃くなった。
もうすぐだ。もうすぐ彼に会える。
「アライン、危ないで!!」
バールの声にアラインは反射的に盾を構えた。ちょうどそこへビリビリした衝撃が走り、後方へ吹き飛ばされる。
受け身を取りつつ道端を転がると煙幕の向こうに蹄が見えた。太く逞しい脚の上には茶色の胴体。ほとんど巨大な馬のようだが背中には鷲の翼が生え、後ろ脚は獅子のようになっている。さらに鋭利なくちばしが馬の顔面にくっついていた。気配、身のこなし、目の鋭さ、威圧感――どれを取っても並の魔物でないのが知れる。
「ヒッポグリュプスや……グリュプスよりずっと強いで。ジブンひとりで大丈夫か? 誰か捕まえて呼んでこよか?」
心配そうなバールの声にアラインは首を振った。
ひとりで戦ってみるよと虚勢でなくそう告げる。
勇者の都を旅立って、果たして何度己の力だけで道を切り拓いたことがあるだろう。
試練の森、盾の塔、国境の洞窟、兵士の都、水門の街、そして……。
仲間を頼るのは悪いことじゃない。でも自分は勇者だ。もしたったひとりになったとしても、諦めず戦い続けなければならない。
その強さを手に入れたかった。どうしても今、アンザーツと会う前に。
「気ぃつけや、アライン。こいつの強さは聖獣以上やで」
剣を握り、翼をはためかせるヒッポグリュプスと向かい合う。
速度強化と防御強化、筋力強化の呪文を唱えるとアラインは躊躇うことなく剣を振り翳した。
******
生き残った魔物たちがぞろぞろと城近辺に集まっているという報告、そして王城の結界にも穴が開き始めたという報告は避難所となっている大広間を震撼させた。
城へ戻ってきたベルクたちは三階から辺りを見回してみたが、また馬鹿にならない数の敵が王城を取り巻いているのを確かめ、大急ぎで一階まで駆け下りた。
兵士も宮廷魔導師たちも総出で対応しているが、相手が何か厄介な古代魔法を用いているらしく、魔物の侵入は防げそうにないらしい。既に城内を闊歩している魔獣も数匹いるとのことだった。
「あの強度の結界でも駄目なの……!?」
大広間の入り口でノルムが叫び、取り乱す。彼女の隣でベルクは再び剣を手にした。城の中が安全でなくなったなら自分が前線へ出ねばなるまい。先の砲撃で敵の数は確実に減っているのだ。やれるところまでやらなければ男ではないだろう。
「おいウェヌス、行くぞ」
「ええ!」
走り出そうとしたところへ黒いローブの大柄な男が現れた。樫を削って作った長い杖を持っており、豊かな髭を蓄えている。
「待ってくれ、先に避難の誘導を手伝ってくれんか?」
「あ、陛下!!?」
魔術師だと思った男は国王ウングリュクだった。そう言えばこの国の王は代々優秀な魔法使いであると聞く。ウングリュクの傍らには彼の魔法で葬られたと思しきヴォルフが数匹重なって倒れていた。やはり魔法国家というのは侮れない。
だが今はそんな国でも王様が冠を脱ぐほどの非常事態なのだ。ウングリュクに続いてベルクたちが広間へ戻ると国王は群衆に地下へ潜るよう指示を出した。
「地下なんかあったのか?」
「ああ、防衛上の機密があってな。ノルムも案内せんかったろう」
先導のノルムが足早に北階段へ向かって歩く。階段裏に秘密の通路が隠されており、そこから下へ降りられるようだった。
「うわ、すげえ……!」
広い地下には仰け反って見上げるほど巨大な魔法石が置かれていた。五つの塔に埋め込まれている石より更に数倍は大きい。
「長年ここに魔力を封じ込んできたんですか?」
ノーティッツがウングリュクに問うと、王はこくりと頷いた。
「結界が崩されているのは魔力の量で圧倒されたからではない。何か毒のようなもので部分的に腐食させられ、そこに穴を開けられているのだ。私は今からここで結界を再構築する。兵士の国の王子――いや、勇者ベルクよ。他はどうなっても構わん。この地下と民の隠れている五つの塔だけは守り抜きたい。力を貸してくれんか?」
返事など考えるまでもなかった。勇者としても王子としても人としても答えはひとつしかない。
「任せとけ。結界を壊そうとしてる大馬鹿野郎なんざぶちのめしてきてやる」
パン、と左手で右の拳を受け止めるとベルクは避難の列を逆走して大広間へ戻った。当然のようにウェヌスとノーティッツもついて来る。だがふたりも連れていく気は更々なかった。
「ノーティッツ、お前はここに残れ」
「はぁ!?」
振り返ったベルクの言に幼馴染は怒りの意を示す。何を言っているんだお前はという目で見られたが、こんなときまで冗談を言えるはずがない。
「あの敵の数見ただろ。半分近く減ったっつっても城周りにはまだウジャウジャいやがる。お前の魔法なんかすぐ打ち止めだ」
「……ッそりゃそうだけどなあ! んなこと言ったらお前だって最後までもつかわかんないぞ?」
「あったりまえだ!!! だからお前が残るんだよ!!!!!」
一喝するとノーティッツは目を瞠ったまま声を失くした。ハラハラしながらウェヌスはこちらのやり取りを見守っている。
「俺にだってあんな数の敵は倒しきれねえ。アリンコみてーに城にたかられちゃさっきみてえな魔法石の攻撃も使えねえ。俺には目の前の相手と戦うくらいの能しかねえが、お前は違うだろ? ゆっくり考えられるこの場所で、この状況を打破する起死回生の方法を考えろ! お前が名案思いつくまでは俺が表で汗水垂らして戦ってきてやらぁ!!」
ベストを尽くそうと思ったらそれしかないだろ、と睨むとノーティッツは押し黙った。ややあってから「確かにな」と納得の声が返る。ここ一番の頭の回転と決断力でこの幼馴染に敵う者はない。
「わかった、三十分以内に考える。三十分は絶対に死ぬな」
自ら制限を設けるとノーティッツはいつも頭に巻いているバンダナを外してベルクに押しつけた。
「そういう青春ごっこはいらねえよ。俺が簡単に死ぬと思うか?」
「いいから巻いとけ。それつけてると女の子にモテんだよ」
幼馴染は有無を言わさずベルクの右手にバンダナを巻きつけた。行けと言うよう背中を押され、ウェヌスを連れて走り出す。
三十分と言った以上、ノーティッツは三十分で作戦を捻り出すだろう。だったらこちらも三十分粘るだけだ。
(いたぞ、あれだ)
ディアマントは魔物のひしめく王城裏手で紅髪の魔族が結界を破ろうとしているのを見つけた。亡霊と化したファルシュに代わり魔物たちを統率する仮の王、魔王の息子イデアール。あの男がそうに違いない。
邪魔な雑魚どもを蹴散らすためにまず一回、大剣で風を起こした。何匹かが剣圧に吹き飛ばされスペースができる。
こちらに気づいたイデアールも顔を上げた。今が先制攻撃のチャンスだった。――だがその面立ちを見た瞬間、ディアマントは凍りつく。
(エーデル……!?)
髪も瞳も肌の色もすべて似ていた。戦いにきたことを一瞬忘れてしまうほどに。
「何だ貴様は?」
しかし相手にそんな動揺は関係ない。イデアールは即座にこちらを敵とみなし、巨大な火球を幾つも放ってきた。
「ディアマント様ッ!!!」
間一髪でオーバストの出現させた氷柱がディアマントを火勢から守る。けれどすぐ翼ある魔物たちに周りを囲まれた。
「あ、後先考えずに突っ込むからですよ!?」
「全部殺せばいいだけだろう!!!」
怒号を響かせ炎の呪文を諳んじると、それに合わせてオーバストも天に魔法陣を描いた。
「傷が治りきっていないくせに貴様は! 休んで私の活躍でも見物していろ!!」
「この数ではそういうわけにもまいりません!!」
言うことを聞かない従者だなと苛立つが、生憎これ以上言い争っている時間はなさそうだ。じわじわと蝙蝠や蛾の魔物が寄ってきてこちらも鬱陶しい。
「一気に焼き払ってくれるわ!」
宣言通りディアマントは蛇が踊るよう炎を空中に解き放った。さっきイデアールが見せた火球より強い炎で。
断末魔の声を上げ魔物たちが灰と化す。オーバストもまだ石化したままの脇腹を抑えながら風を放ち、ディアマントの炎を煽った。
「ほう? なかなかやるようだ」
結界の傍らにいたイデアールがこちらを見上げて笑う。
だがそう認識したとき既に彼は真後ろにいて、研ぎ澄まされた長剣を鞘から抜いたところだった。
「クヴァドラートを殺したのはお前か?」
ざん、と刃が骨肉の中を通っていく感触。
血を噴きながら落ちるディアマントをオーバストが受け止め、癒しの魔法を唱えた。
「なんだ、空を飛ぶくせに翼が生えているわけではないのだな」
憎たらしい顔で憎たらしい口をきいてくれる。エーデルそっくりでなければ最初の一撃を躊躇うことなどなかったのに。
「貴様、私を愚弄する気か? 目に物見せてくれる!!」
どちらが悪役かわからないと言われそうな台詞を吐いてディアマントはイデアールに斬りかかった。だが攻撃はすべて易々とかわされて、掠りもしない。魔法を連打し間合いを詰めても彼の笑みすら崩せなかった。
「本物の翼とはこういうものだ」
そう言ってイデアールは黒竜の羽を広げた。抑えられていた彼の力が解放されたのが伝わってくる。
「死ね」
羽ばたきひとつでディアマントを吹き飛ばすと、イデアールは雷光のごとき速さで近づいた。
振り上げられた剣の閃き。襲いくる痛みに備え歯を食いしばったそのとき、眼下の瓦礫を跳ね飛ばして駆け上がって来る影があった。
「ッはぁ!!!」
強烈な蹴りがイデアールに剣を取り落とさせる。「大丈夫!?」と尋ねてきたのはエーデルだった。
ディアマントは己を包む治癒の光の先を見やって顔をしかめた。クラウディアがオーバストを背に庇いながらこちらへ杖を向けている。
「あなたって本物の馬鹿ね。人を待つこともできないの?」
「貴様らがちんたらやっているからだろう! そもそも何故私が人間など待たねばならんのだ!」
「それで助けに来られてちゃ世話ないわよ。身体より頭を鍛えたらどう?」
「……ッ!!!」
不躾な物言いに血が昇った。こんな女の助力を得てしまったのかと思うと悔しさで地団太を踏む思いだ。
「なんだお前は?何故私と同じ顔をしている?」
宙に静止したイデアールが呆然とエーデルを眺め、呟く。
呼応するよう彼女もイデアールを振り仰ぎ目を瞠った。
見れば見るほどそっくりだ。まるで生き別れた兄妹であるかのよう。
「――何故人間が我が父ファルシュの血と肉を宿している!?」
イデアールが叫んだ瞬間、白い光が爆発した。誰の魔法かはわからなかった。
気がつくとディアマントは元いた場所から随分遠くまで吹き飛ばされ、瓦礫の山に横たわっていた。
******
八つの口からヒュドラが火を吐き吼え猛る。ゲシュタルトの魔法を受けた多頭竜は更に力を増したようだった。
アンザーツの剣が何度切り裂いても、ヒルンヒルトの魔法が何度身を焦がしても、みるみるうちに細胞が増殖してどんな深手も癒えてしまう。
「大変ねえ、殺されるかもしれないわねえ」
高笑いしながらゲシュタルトは戦況を見守った。時折賢者が大きな魔法陣を描こうとするのを杖で邪魔しながら。
「おい、よせよ。なんで魔物の味方なんかするんだ」
「あら違うわ? 魔物の味方なんじゃなくて、私はあいつらの敵なのよ」
「だからなんで!! 仲間だったんじゃないのか!? あんたゲシュタルトなんだろう!?」
わけがわからずマハトはただ叫ぶ。
百年前の出来事なんて物語でしか知らない。それなのにどうしてこんなに焦っているのだろう。
見たくない。見たくないんだ。仲間割れなんて。
「……あなただけよ。最後まで私を大切にしてくれたのは」
結界の外でバールによく似た青い鳥がけたたましい鳴き声をあげる。まるで何かの警告のように。
だが聞こえない。ゲシュタルトの声以外はもう何も。
「辛かったわね、信じてたのに隠し事をされて。何も教えてもらえなくて」
買い替えたばかりのマハトの斧に黒手袋の指先が触れた。どこからか紅水晶の魔法石が出現し、斧の柄を抉ってぴたりと嵌まる。
以前にも似たようなものを見たことがあった。クヴァドラート戦で手にした呪いの槍だ。触れた者の心の弱さに取りついて、肉体の自由を奪ってしまう――。
「生まれ変わったあなたにあの頃への未練がないなんて、私の勘違いだったわ。だってあなたは今でも手離した記憶に苦しめられてる。……置いて行かれるのが怖いんでしょう? 嘘をつかれていないか気になって仕方ないんでしょう?」
何故なのかわかる?とゲシュタルトが優しく尋ねた。
マハトの前に経験していない過去が甦り、走馬灯のように流れていく。
魔王を倒した後のこと。いなくなったアンザーツを必死に探して、見つからなくて、どうして何も話してくれなかったのだと嘆いて。
旅の始まりから終わりまで、一番長く側にいたのに、自分が一番彼に遠かった。
「裏切られたからよ」
だから憎くて忘れられないの。
だから悔しくて苦しいの。
だから悲しくて痛いの。
耳元で彼女が囁く。声はゆっくり心の深くまで浸透した。
「ずるいと思わない? あいつらと私じゃ二対一なのよ。どうせならあなたと一緒に思い知らせてやりたいわ。私たちがどんなに辛く情けない日々を過ごしたか」
ゲシュタルトの細い指がマハトの指に重ねられた。もう片方の手はぴたりと背中に。
そうして屈みこむマハトに寄り添って、魔女は最後の針を刺した。
「お願いムスケル、私と一緒に来て……。愛してると言ってくれたでしょう?」
******
地下でウングリュクが奮闘してくれているおかげか、結界に開けられた穴は急速に縮んでいった。
それでも身体の小さいのが侵入してきていたが、その程度ならベルクの剣で難無く蹴散らせる。一歩でも城内に入れば命はないと察した魔物からベルクの前を退いていった。
「……ふう。しかし結界に穴開けてるヤローはどこ行きやがったんだ?」
「先程凄まじい魔力の爆発がありましたわ。衝撃で吹き飛ばされてしまったのではと思うのですが……」
魔力の爆発か、とベルクはひとりごちる。宮廷魔導師たちはほぼ城への撤退を完了していたはずだ。ということは仲間の誰かが都に到着しているのだろうか?辺境の塔へ行ったにしては到着が早すぎる気もするが。
「ベルク! あれを!!」
ウェヌスの指差す方を見上げると紅い長髪を乱してきょろきょろしている異形の剣士がいた。爬虫類のような耳と翼はどう見ても人間のそれではない。そのうえ全身から強い闘気が放たれている。
「えらく気ィ立ってそうだがあれか?」
ニヤリと笑ってベルクは剣を構え直した。戦うには結界の外へ出なければならない。
「ウェヌス、お前は中にいろ。なるべく結界ギリギリのとこで俺も戦う。内側から支援してくれ」
「……わかりましたわ!」
ベルクは崩れた城壁を駆け上がって男に忍び寄った。イデアールという名はまだ知らなかった。
(それにしてもえらいエーデルと似てやがんな。色が黒いからそう見えるだけか? 俺あんま女子の集団の見分けとかつかねえからなあ)
距離を詰めるほど空気にピリピリした気迫が混ざる。
間違いなく強敵だ。本能がそう告げた。
(先手必勝! 食らえ!!)
できるだけ音を立てず、気配を消して飛びかかる。だが男は半歩身体を引いただけであっさり背後からの攻撃を避けた。
「……さっきの連中とはまた別か」
苛立たしげに男が言う。
イデアールはベルクの剣の刃を掴むとぐしゃりと握り潰した。その掌は真っ赤に焼けた鉄のようになっている。
目を瞠ることさえしなかった。ただ全速力で後ずさりした。
――これは普通に戦っていい相手ではない。
鞘から抜けないことは承知で神鳥の剣の柄を握る。奇跡でも起きて抜けねえかなと思ったが、その期待は儚くも裏切られた。
起死回生、大逆転のどんでん返し。そんなもの果たして思い浮かぶのか。
不安とプレッシャーに眉根を寄せつつノーティッツは思考を巡らす。
ウングリュクが老体に鞭打ち結界の補強をしてくれているが、聞けばそれは宮廷魔導師たちが毎日己の勤務終わりに魔力提供を続けてきた超魔術の結界であるという。個人がその穴を補修しようとした場合、どれほどの負担がかかるかわからないとのことだった。
ノーティッツの前にいるウングリュクの背中は汗でびっしょりだ。魔導師たちは結界に力を注ぐことはできても結界を修復することはできないらしく、王に任せるしかない状況だった。
(国民を守りつつ魔物を一斉攻撃する方法……)
使うならあの魔法石での攻撃しかない。だがベルクの言う通り魔物たちが城にくっついている以上、当たるものも当たらなかった。
「ノルムさん、あの砲撃の軌道って変えられないんですか?」
「……難しいと思います。あれはイヴォンヌさまが残してくださった魔法の図案通りやっただけですから」
「じゃあこの城の魔法石からあれと似た光線を撃つことは?」
「理論上不可能ではありませんが、術者がいません。これはイヴォンヌさまが街と城の結界を作り出すためだけにご用意されたものです。他の術に流用することができるとすれば、おそらくイヴォンヌさまだけかと」
ノーティッツはううんと唸った。家に帰れば母はいるが、呼びつける方法などない。
ベルクの父に頼んであの魔法の鏡を家まで運んでもらうか?だが仮にそれで通信できたとして、遠く離れた魔法石にどうこうできるとは思えない。
「その図案とかって見せてもらえます?」
こくりと頷きノルムは懐から小さな魔道書を取り出した。本というよりメモ帳に近いそれは、どのページも一面びっしり魔法陣や魔法石に関する記述で埋め尽くされている。ただしすべて簡略化された走り書きで、本人以外何が書いてあるか解読できないと思われた。
(食堂のレシピだって渡されたメモとそっくりだな……)
やはりあの母がこの国の魔導師長をやっていたのは間違いないようだ。ノーティッツは受け取った本をぱらぱら捲り、ひと通り目を通すと諦めてパタンと閉じた。
駄目だ。料理と同じで大味すぎてよくわからない。
大体あの人の味つけは適当すぎるのだ。感覚だけで全部やってしまうから繊細なところは全部こちらが調整する羽目になる――と、いけない。こんなことを考えている場合ではない。
「だったら外側の結界に注がれている力を王城の結界に注ぎ直すことはできないんです? さっき上から確認しましたけど、破られた外壁の結界、まだ五分の四は残ってますよね?」
指摘するとノルムもウングリュクも沈痛な面持ちで俯いた。
「イヴォンヌさまの魔法は……とても強力なのですが……」
皆まで言わずともわかる。母のレシピと書いて散らかった部屋と解く。その心は「他人には何がどうなっているかわからない」ということだ。
「この膨大な魔力を受け取れる人間が誰かいてくれればな……」
汗を噴きながらウングリュクが嘆く。「陛下、それは言わない約束ですわ!」とノルムも涙を拭った。
「イヴォンヌもせめて都の男に嫁いでくれれば……。血の繋がった人間になら魔力を譲り渡すことができたのに……」
「――」
ノーティッツは思わず辺りを見回した。ウェヌスがいないのを確かめてから再び国王へ視線を戻す。あまりにもご都合展開が過ぎるので、例の女神補正かと不安になったのだ。
だがウェヌスは現在女神としての己の力を封じているはずである。力を使えば泡となって死んでしまうとも言っていた。
――つまりこれは本当に単なる偶然。なんともはや、人生にはこんな数奇な巡り合わせがあるらしい。
「あの……陛下、ノルムさん」
ノーティッツは無意識に声を潜めた。おずおずと挙げた右手にふたりとも「?」と怪訝な顔をする。
「ぼく息子なんですけど……」
そう告げるとウングリュクはゲホゴホ咽た。ノルムは仰け反って硬直した。
******
どれくらい飛ばされてきたのだろう。目を覚ますとエーデルは瓦礫に半分埋まっていた。
自分そっくりの男に意味不明なことを叫ばれたと思ったら、次の瞬間真っ白な光がすべて吹き飛ばしたのだ。
何がどうなっているかよくわからない。でもとにかく、早くクラウディアを探さなければ。
「……ッ」
起き上がろうとしてエーデルは痛みに眉をしかめた。腹から流血している。怪我なんて滅多にしないのに。 足もどこかで捻ったのか、力を入れると激痛が走った。首だけ動かし辺りを探るがクラウディアはいそうにない。代わりに見慣れた白いコートを発見した。
「……ディアマント?」
寄っていくほどの元気もなく、エーデルは近くの小石を拾って投げる。それは見事に彼の額に命中した。
「う……っ!」
呻き声を上げディアマントがのっそり身を起こす。早速こちらを見つけると彼は不機嫌そうに唇を突き出した。
本当に子供のような男だ。これで天に住む特別な人間というのだから神様の基準も疑わしい。
「石をぶつけるとはどういうつもりだ?」
「……動けないんだからしょうがないでしょ」
「は? 貴様怪我をしたのか?」
ディアマントは黄金の粒でできた羽をはばたかせ、エーデルの元へ舞い降りた。
「ふはは、弱った貴様とは見ものだな」
「……」
冷たく蔑む視線を投げるもディアマントは気づかない。このデリカシーのなさは天界人特有のものなのだろうか。それとも彼本人の特性なのだろうか。
睨むのも疲れて目を逸らす。こんな馬鹿に構うのではなかった。さっさと足を何とかしてクラウディアを探しに行こう。
「……!」
不意に温かい風がエーデルを包んだ。ずきずきした痛みが一瞬で引き、回復魔法をかけられたのだとわかる。
「あ、ありがとう」
青天の霹靂ねと驚きを隠せないまま礼を述べるとディアマントはしかめ面のまま膝をついた。そうしてその場に蹲ってしまったので、どうしたのだと慌てて跳ね起きる。
ディアマントは大きく背中を斬られていた。多分あの男の仕業だろう。朱に染まった白いコートに息を飲み、「馬鹿、早く自分の回復をなさい!」と怒鳴りつける。
だがディアマントは力なく首を振った。まさか底尽きるほどたくさんの魔力を使ったのだろうか。一体いつ?
「あの愚図が石化など受けるから……」
よくわからないが仲間のために魔力を著しく消費していたらしい。そんな一面もあるのかと感心したが、悠長にしている場合ではなさそうだった。
「誰か回復できる人を探してくるまで待てる?」
「……」
ディアマントは小さく頷き瓦礫の上に突っ伏した。痛いだろうに呻きもしない。
魔物たちに見つからないよう毛布代わりの薄板を積むと、エーデルは城の外周に向かい駆け出した。
ずきんずきんと毒を受けた傷がまだ痛む。
吹き飛ばされた王城付近の教会跡でオーバストは近づいてくる気配に息を飲んだ。
魔物ではない。かといって人間でもない。否、器は人であるのだ。ただその内側に潜むものが、他の誰とも違っている――。
「何を怯えてらっしゃるんです?」
柱の影から姿を見せたのはクラウディアだった。
彼とはふたりきりにならないよう気をつけていたのに。水門の街で出会ったあの日から。
「……」
平静を装うのは難しそうだった。あちらは何らかの確信を持ってオーバストを揺さぶろうとしている。
いつか誰かからそうされるのはわかっていたはずだ。アンザーツの生存と、代替わりのため彼を殺さねばならぬことが周知の事実となったのだから。
「手荒な真似をしたからでしょうか?ふふ、すみません。でもあの日秘密を打ち明けてから制御するのが大変なんです。わたしの契約はわたしの力を向上させるためでなく、抑え込むため成されていたものでしたから」
爆発を引き起こした非礼を詫びるとクラウディアはオーバストの正面で立ち止まった。
あのタイミングでそうしたのはエーデルが彼女の秘密を知ってしまわないようにだろう。だがそれは少し遅かった。彼女は彼女の血脈について明かされてしまった。
「傷の治りが悪いのは、その肉体が古すぎるからです」
薄ら刻まれた微笑みに狂気すら覚える。同じように笑う男をオーバストはよく知っていた。
思わず後ずさりした己の手をぐっと掴んで彼は冷酷な目を向ける。
「……何故あなたは魂と器がちぐはぐなのですか?」
見抜かれているとわかっていてもどうすることもできなかった。彼は本来自分の味方で、自分と同じ使命を持って生きる者なのだ。それを手にかけるなど、神に逆らうのと同義であった。
「今はそれよりイデアールを……」
かろうじて言葉を紡ぐが当然聞き入れられるはずもない。
クラウディアはにっこり笑って「わたしはあのときもうひとつ真実を隠しました」と打ち明けた。
「わたしはヒルンヒルトの家で育てられましたが、物心つくまでは別の場所にいたんです。……そう、勇者の盾の塔の中に」
どくん、どくんと心臓が早鐘を打つ。
借り受けた仮の身体が忙しない鼓動に悲鳴を上げる。
「あなたは神に何と仰せつかったんです? オーバストさん――いえ、聖獣ア・バオ・ア・クー」
名を告げられてオーバストは雷に打たれたよう立ち尽くした。
勇者を殺すために生まれ落ちた少年が、透き通ったその声に鋭い刃を握らせる。
わかるんですよと彼は言った。あなたがあの神鳥から引き裂かれた何かだということは、と。
「……見張られているのはわたしなんでしょうか? それともあなたなんでしょうか?」
ようやくクラウディアの手が緩められたかと思うと、彼は傷口のある脇腹に触れて笑みを消した。
「ディアマントをけしかけてエーデルに何かするつもりなら、そのときは容赦しません」
僧衣が風に捲られる。
歪む視界に後ろ姿を見送って、オーバストは祈るよう膝をついた。
******
流石に神具と言われるだけのことはある。鞘から取り出せないまでも、神鳥の剣は大いにベルクの役に立った。
防御のために相手の剣を受け止めるだけではない。イデアールの放った火球を駄目元で打ち返したときは、あちらも一瞬呆然としていた。
抜けない刃と侮った態度がじわじわなくなり、ついには翼を大きく広げて本気になってくる。
ベルクはぜえぜえ息切れしながら結界の中に舞い戻った。さっきから出たり入ったりを繰り返し休憩を挟みながらの戦闘になっている。こちらが城壁の内側へ入ると手出しできず、イデアールの形相は次第に険しいものとなった。
「あくまでもその結界に頼るというなら、まずはそちらから消滅させてくれる!」
頑張れ陛下、めっちゃ頑張れとベルクは胸中で声援を送った。正直イデアールとは速度と強度が違いすぎ、結界なしでは勝負にならない。
掌大の穴からイデアールが鞭のようにしなる炎を放った。ベルクはウェヌスを庇いつつ、ひたすら魔法から逃げ回る。
(あいつの方が上にいるってのがまたマズイよな……!!!)
戦争ごっこは基本的に高い陣地を押さえた者の勝ちである。物を投げてぶつけるのに上から下が適しているか下から上が適しているか考えればすぐわかる。が、イデアールの上を取ろうと思ったら王城によじ登らねばならなかったし、いくらベルクでもそれはできそうになかった。垂直上方に歩く手段があるなら別だが。
「ベルク、勝算はあるのですか?」
「まったくねえ! その辺うじゃうじゃしてる魔物よりあいつひとりのほうが厄介だぞ!!」
さっき白い光に弾かれた魔物たちはまた結界近くまで戻ってきているようだ。連中はあの紅髪の魔族の指示を待っているらしい。
「さあまた結界が崩れてきたぞ? もうほんのひと押しでこの城は我らの手に落ちるだろう!」
イデアールの広げた穴から鳥の魔物が入ってくる。このままでは他の敵と一緒になってなぶられる。なんとか切り抜けなければと神鳥の剣を握り直した。
パシュパシュパシュ、と軽快な弓の連射音が聞こえたのはそのときだ。
「ベルク!!!」
幼馴染の呼ぶ声にハッと顔を上げる。ノーティッツはすぐ側まで駆け寄ってきていた。ベルクとウェヌスは腕を掴まれ、未だ結界の外にいるイデアールを置き去りに城内へと引っ張られる。
「おま、どうしたんだ! まさか思いついたのか!?」
「思いついたのは思いついたけど時間がないから超簡単に説明するぞ!!」
「まああああ!!! 素敵ですわノーティッツ!!!!」
ノーティッツは端的に、簡潔に、これ以上ないほどすっきりと作戦を説明してくれた。
「城ごとあいつらを吹き飛ばす。だからギリギリまで悟られないように引きつけておいてくれ」――と。
「……待て、俺の命の保証はどこだ? そもそもどうやって吹き飛ばす?」
「説明してる暇ないって言っただろ! もう結界が壊れかけてる。お前はいつも通り野性と本能で戦ってりゃいいから!!」
ノーティッツはウェヌスに「ベルクに限界まで防御補助の魔法かけてやって」と頼んだ。魔物もろともベルクを吹き飛ばそうとしているのは明らかだ。なのにウェヌスはそれに気づかず一生懸命幾重にも魔法をかけてくる。
「ノーティッツ、待て。せめて武器を寄越せ」
「えっ? 剣折られたの? ぼくのでもつかわからないけど、はい」
渡されたのはいつも使っている剣よりふた回りは小さいショートソード。ないよりはマシ程度だが、一応他人のものなので口を慎む。
「いいか? 絶対に城内で戦ってくれ。城の中の敵なら確実に全部吹き飛ばしてやる!!」
ドォンと外で大きな爆発音がした。おそらくイデアールによって結界が消滅させられたのだろう。外壁が破られたときと同じように。
ノーティッツはウェヌスの腕を掴んで地下へ続く階段に走っていった。
ショートソードを腰に結わえ、神鳥の剣を斜めに構え、ベルクは敵の襲来を待つ。
何をどうするつもりか知らないが、ともかく腹は括った。
命預けたぜ、ノーティッツ。
結界の維持をやめましょうと提案したのはノーティッツだった。そんなところに魔力を割くぐらいならもう全部攻撃にあててしまおうと。
結界がもたなかったと魔物たちに思い込ませられれば、城の中に誘導するのは容易い。そうして城内が魔物だらけになった頃合を見計らい、真下から特大の魔法を放つのだ。
シンプルイズベスト。これなら母の残した魔道書が適当このうえなくとも何とかなる。
大魔法石の前に立ち、魔力を受け取る準備をしながら落ち着け落ち着けとノーティッツは深呼吸した。
小器用に生きてきて、大抵のことは上手くこなしてきたつもりだが、こんな大きな力を扱うのは初めてだ。
(道理ですんなり送り出してくれるはずだよ……)
あっさりと店はいいから旅に出な、と言ってくれた母の顔を思い出す。男になって帰ってくるんだよ、と。
そう、帰らなければ今日の話は聞かせられない。なんで黙ってたんだと文句も言えやしない。まずは生き残るのだ。魔物が何百匹いようと、何千匹いようと。
「さあノーティッツ君、受け取りたまえ」
魔法石がオレンジ色に発光し、手を突き出したノーティッツの前にその力を集め始める。
パワーアップイベントがあればいいのにとは願ったが、まさか親に頼る羽目になるとは思わなかった。
自分の力で強くなって、自分の力でベルクの旅についていけたらそれが一番だったけれど。
この際我侭は言っていられない。死んでしまったらそこで終わりだ。
「ぼくのものはぼくのもの、母さんのものもぼくのものだ。……ありがたく頂戴しとくよ!」
光がどんどん己の内側に入ってくる。
あっと思う間もなく魔力の海に放り出され、ノーティッツは目を見開いた。
(すごい……)
気がつくとノーティッツは光の中を墜落していた。だが恐怖はない。周囲を照らすオレンジ色は寧ろ懐かしくさえあった。
魔力を伸ばすには普通、ふたつの方法が考えられる。ひとつは魔物を倒し、微々たるながら己の中に蓄積していく方法。もうひとつは同じ血を分けた相手に譲ってもらう方法だ。
魔法石の中に多人数の魔力を溜められたのは、母が魔力変換の図式を描いていたからのようだった。母の術を通過することで、誰の力もみなひとつの規格に変わるらしい。
(そりゃ確かに身内でないと引き継げないな)
何年分、何人分の力なのだろう。力が強すぎて心臓が震える。
これだけの魔力があればどんなことでもできてしまいそうだ。
(やばいな……)
ノーティッツはごくりと息を飲み込んだ。
これはやばい。何かテンションが上がってきた。
城を包んでいた結界も街を包んでいた結界もすべて消え、待っていましたとばかりに魔物たちは城内へ突っ込んできた。もはや遠慮の欠片もない。入口からだけではなく、壁を打ち崩して侵入してくる狼藉者までいる。
ベルクは低く腰を落としてタイミングを待った。ひとりぼっちで戦うなんて久々だ。
(いや、ひとりでもねえか)
ウェヌスの魔法とノーティッツの作戦を信じてやるしかない。剣を振るのが己の役目だ。
突進してくる魔物たちを横一閃、神鳥の剣で凪ぎ払う。
斬りつけることこそできないが、剣圧だけはどんな武器より強かった。風が魔物の足をすくって転倒させる。
とどめを刺すことは考えなかった。それはノーティッツがしてくれると言うし、だったら降りかかる火の粉を払うことだけに集中すべきである。
紅髪の男が入口に現れたのを見てベルクは猛然と走り出した。イデアールに向かってではない。階段に向かってだ。
(追って来いよ……!)
目隠しの魔法くらいかけてあるだろうが、避難所が地下にあるのを悟られたら守り切れる自信はない。いくら宮廷魔導師たちが複数待機しているとは言えあの男には通じまい。
「逃げても無駄だ」
階段を駆け上がるベルクにイデアールは笑った。そうして掌を上に向けると雷撃で天井を打ち砕いだ。
ベルクが二階に着くと同時、イデアールは一階から軽いステップでジャンプしてくる。
振り下ろされた剣を鞘で受け止めた。ガキンと金属の擦れ合う音がした。
(二階は客室だったか?)
一瞬切り結んですぐベルクは後ろに飛び退る。真横にあった部屋に入るとイデアールは余裕たっぷりに壁を破壊しベルクを探した。
攻撃は敢えてしない。遊んでくれているうちはただ逃げるだけだ。
隣室と繋がったドアを開く音に気づいてイデアールがこちらを向いた。指先から氷の刃を飛ばしてくるのですかさず寝台を蹴り上げる。
「そんなもので防げるか」
イデアールは鼻で笑ったがベルクは更に蹴り上げた寝台の上に跳躍した。尖った氷柱はすべてベルクの足元を通過していく。
「!」
ばさ、とシーツを放り投げ視界を覆い隠してしまうとさっき開いたドアから逃げた。沸点が低いのか、攻撃をかわされたイデアールは少し怒ったようだった。
ちらりと覗いた一階には所狭しと魔物たちがうろついていた。人間を探して二階や三階へ移動する者もいる。ベルクを見つけると当然襲いかかってきたが、彼らの頭を足蹴にしてベルクはなお上階を目指した。
城ごと吹き飛ばすと言うのなら、城内は魔物で超満員にしてやるべきだろう。
(どんどん入れよ、どんどん!)
念じれば念じるほど面白いくらい魔物たちはベルクの周囲に集まった。窓から人の姿を見かけた怪鳥もバルコニーに降り火を吐いてくる。
「あっづ!!!」
まだかよと舌打ちしたくなってきた頃、イデアールが再びベルクの前に現れた。
「ちょろちょろと小賢しい。これ以上逃げ場はないぞ?」
そう、逃げ場はもうなかった。
四階の大魔法陣の上、ベルクは不敵に口角を上げる。
ようやく地下で何かが始まったらしい。輝きを放ち、書き換えられていく魔法陣を見てイデアールが眉根を寄せた。
「……貴様、何か企みがあって誘導したな?」
「そういうこった。けど今更気づいたってもう遅いぜ!」
万が一にも親玉が城を脱出しないよう、ベルクは神鳥の剣を振り上げた。一直線にイデアールに向かい飛び込んで行く。
実力差など気にしている場合ではなかった。ノーティッツ、さっさと頼むぞと祈るばかりだ。
「あの魔法陣で何をする気だ? 街を焼いたのと同じ砲撃を放つ気か!?」
退却指示を出そうとするイデアールに全速で剣を叩きつける。だが当たらない。神鳥の剣ではサイズの問題でどうしても大振りになるのだ。己の気性としてもそちらの方が好みではあるのだが。
ベルクは咄嗟にショートソードに持ち替えた。ともかくここにこの男を足止めできなければ意味がない。
フェンシングをするように柄を持ち、速さだけに己を特化し、息をつく暇もないほど攻め立てる。
「無駄だ!」
イデアールは己の頬の間横を通った剣に裏拳を叩きつけた。そうなるだろうとは思っていたが、あっさりと刀身は折れ、壁際まで吹き飛んで行く。
「これで終わりだ!」
イデアールの剣が閃いた。だが魔法陣が完成する方が一歩早かった。
地下から天へ向かってオレンジ色の魔力の塊が、すべてを巻き込みマグマのように放出される。
凄まじい熱と光だった。
王城は一瞬で砕け散った。壁も、床も、何もかも。
足場をなくした魔物たちが墜落しながら焼かれていく。イデアールが黒翼を広げ、逃げようとしたところにベルクはうまく飛び込んだ。
「逃がすと思うか?」
手には折れたショートソード。だがその刃は以前より強靭強大なものとなり甦っている。
ふと見ればノーティッツから預かった右手のバンダナが周囲よりもっと濃い赤色の光を揺らめかせていた。
間違いない。これはあいつの火魔法だ。あの用意周到な幼馴染は、バンダナの中にしっかり呪符を縫い込んでいたらしい。
「っらあああああ!!!!!!」
炎の剣を振り降ろすと下からも追撃とばかり第二波が襲った。
光に飲まれ、ベルクも死んだかと思ったが、温かな白い膜がずっと身体を包んでくれていた。ウェヌスが神鳥の剣に祈りを捧げてくれているらしい。
城の地下へと落ちていきながら、難を逃れた魔物を数える。その大半は都から逃げ出そうとしているようで、中には傷ついた黒竜も混ざっていた。
******
王城で起きた大きな爆発にヒッポグリュプスの注意が逸れた。
その僅かな隙を見逃さず、アラインの剣が魔物のくちばしを根元から斬り飛ばす。
「フオオオオオ!!!!!」
痛みに悶えるヒッポグリュプスに息を切らしたアラインが近づき、最後のとどめを刺そうとした。
上空を飛び回りつつバールはハラハラ戦況を見守る。額の汗は乾く間もなかった。
「行ったれアライン! そこや!!」
バールの声援を受け、アラインは薄く笑った。朦朧としているが剣を握る手にはちゃんと力が篭っている。仰向けに倒れたヒッポグリュプスの心臓部に思い切り剣を突き刺し、返り血を拭うこともできぬまま、アラインと魔物は動かなくなった。まさに精根尽き果てたという感じだった。
「アライン! ジブンようやったな〜!!」
矢も盾も堪らずバールは勇者候補の少年の元に舞い降りる。
今までも彼が陰ながら努力する様を見て感心させられていたけれど、本当に強くなったと純粋に嬉しかった。
バールは正直今でもアラインが勇者に向いているとは思わない。歴代の勇者たちは自分が勇者に相応しいかどうかなど悩みすらしなかったからだ。みな当たり前に勇者として生まれ、当たり前に勇者として生きていた。
だからこそ、こうして一途に勇者を目指そうとするアラインに並々ならぬ好感を持った。本来は彼のような悩み多き人間が人類のため戦うべきではないのかと。
そのアラインがひとりの力でやってみると言い、見事に聖獣クラスの魔物を倒したのだ。今夜は赤飯を炊いてやらねばなるまい。
「はぁ……、さすがにちょっと……、はぁ、頑張り過ぎたかな……」
怖々とアラインが自分に回復魔法をかける。ヒルンヒルトに脅されたせいで光魔法の使いすぎが怖いのだ。
いざというときはバールが彼を引き摺って逃げるつもりだった。だが幸いクヴァドラート戦のような事態にもならず、アラインはしっかり持ち堪えた。これでまた一歩前進したわけだ。
「さあ、今度こそマハトを探そう」
******
光に守られベルクが地下まで降りてくるとノーティッツが壊れていた。
国民や魔導師たちに平伏されつつ、危ない薬でもキメているかのようケタケタ笑っている。
「やばい、超やばい、マジで超絶やばいんですけど」
「……おい? 口調変わってんぞ?」
「うははは、まだまだ死ぬほど魔力ある。うはははは。ベルク、敵ってどれくらい街に残ってる? ちょっと一緒に繰り出そうぜ」
ランチにでも誘うようなノリで残党狩りに誘ってくる幼馴染が流石に少し心配になり、ベルクは「大丈夫か?」と尋ねる。宴の席でもこんなハイになっているのは見たことがない。
「ていうか王城吹き飛ばしたのお前なの? 余所の城壊しといてゲラゲラ笑ってんのどうかと思うぜ?」
「だいじょーぶだいじょーぶ。なんかね、辺境の都ってこういうときのために地下に街を造ってあるんだって。すごいよね。万全だよね。びっくりだよね。だから表は完膚なきまでに破壊してもいいって陛下が仰ってた!」
「いや、完膚なきまでにとは……」
「おい! 陛下ああ言ってんぞ!! おい! ノーティッツ!!」
しっかりしろと頭を叩くと多少は正気に戻ったらしい。
「あっ、ベルク!! 無事だったか!!」
などととんでもなくテンポのずれたことを言い出すのでベルクは頭を抱えた。
「裏門の方にまだデカいのが一匹残ってんだよ。あれを倒せば多分終わりだと思う。あ、全部済んだらまた戻ってくるんで、陛下たちはそれまで篭っといてください!」
行くぞと言ってノーティッツの腕を掴み、ベルクは地上へ駆け出した。ウェヌスまでノーティッツに引き気味の視線を送っている。
おいおい、この女に引かれたら終わりだぞ。わかってんのか?
クラウディアたちと合流し、ディアマントの元に戻ったエーデルは結界の消えた王城を目指そうとして足を止めた。凄まじい魔力の大放出があったからだ。
呆然としていると、しばらくして門からベルクたちが飛び出してきた。
「あ!!」
「あっ!!!」
お互いに指を差し無事を確かめ合う。
「やっぱ着いてたんだな! 魔物とも戦ってくれてたのか?」
「ええ、中には手強いのもいたけど……」
「あと一匹、あっちに残ってる。誰か戦ってるみたいだが手こずってんだ。加勢に行こうぜ!」
ベルクの走る方向へエーデルたちも続いた。クラウディアはにこにこと、ディアマントはムスっとして普段通りだが、オーバストは少し元気がないようだ。石化の傷が治りきっていないせいだろうか。
「敵ってどんな魔物なの?」
「紅い竜だよ! なんか頭がいっぱいあるやつ!」
ベルクの返答にエーデルは内心ほっとする。どうやら自分そっくりのあの男ではないらしい。
(一体何者だったのかしら?)
我が父ファルシュと言っていた。ファルシュとはアンザーツの戦った魔王の名ではなかったか。
(……魔物の血……)
瀕死の母は父が誰かまでは教えてくれなかった。
嘘よねと右手を強く握り締める。考えるのが怖い。
(でももしあたしが魔王の娘だったら……)
クラウディアはそれでも友達だと言ってくれるのだろうか。
彼は勇者の仲間なのに。
アラインがヒュドラの元に到着したのはベルクたちがやって来たのとほぼ同じタイミングだった。
八つ頭の火を吹く巨竜がヒルンヒルトとアンザーツに襲いかかっている。見覚えのある紅いマントはやはりイックスのものだった。彼は容易くアラインの目を奪い、鮮やかな剣技を見せつける。
だがヒュドラには再生能力が備わっていて、攻撃しても攻撃しても倒せないのはそのせいらしかった。
戦場にはまだ人がいた。薄緑の髪を腰まで伸ばした黒衣の女。そして彼女の足元で結界に包まれ蹲っている男。
「マハト!!!」
アラインは戦士の名を叫んだが、それは少しも彼の耳に届いていないようだった。マハトは苦しげに額や胸を掻き毟り、何度も首を振っている。やがてその仕草は小さなものに変わっていき、ぐったりと動かなくなった。
女に何かされたのだ。直感が告げる。
マハトを助け出そうとしてアラインは女に近づいた。
「危ない!!!」
そこへアンザーツの魔法が飛んでくる。女の出した何千本もの針のような氷は強い風に吹き飛ばされ、アラインに触れることはなかった。
「ゲシュタルト! 彼には関係ないだろう!?」
「……あらそうかしら?」
ゲシュタルトと呼ばれた女は邪悪な笑みを唇に乗せた。
途端アラインは試練の森でゲシュテーエンに聞かされた話を思い出す。魔道に堕ちた聖女の話を。
「私の復讐に関係のない人間などいないわ。だって誰もが勇者を求め、私を追い詰めたんだもの」
憎悪の渦巻く紅い瞳は人間のものではなかった。ゲシュタルトが魔物になったというのは嘘ではなかったのだ。
「よそ見をしている場合? アンザーツ」
女が笑い、指を差す。ヒュドラの牙がアンザーツに襲いかかり、ヒルンヒルトが風でそれを切り裂いた。だがまたすぐにその牙も復活してしまう。
「どこかに核があるはずだ。ヒュドラを殺すには全体を一気に消し飛ばすか、核を消滅させるしかない」
ふたりではどうともならないから手伝ってくれと賢者が言った。魔法陣を描こうとした痕跡があちこちに見受けられたが、すべてゲシュタルトに潰されたようだった。
ヒュドラは次々燃え盛る火炎を吹きつけてくる。ヒルンヒルトは同じ炎で勢いを相殺し、連続では操りにくい水魔法を悠々発動させ氷の礫を浴びせかけた。彼らでなければここまで持ち堪えられなかったろう。
「行こう、ベルク!」
「おうよ!」
アラインはベルクとともに駆け出した。
八つの頭にそれぞれアライン、ベルク、アンザーツ、ヒルンヒルト、エーデル、ディアマント、オーバスト、クラウディアが対峙する。ノーティッツは見張り塔の大魔法石の元まで駆けて行き、塔の麓に魔法陣を拵えた。そしていつの間にそんな技術を習得したのかは不明だが、魔法石に蓄積されていた魔力を使い、ヒュドラの腹めがけ凄まじい光線を放った。
「――!!!」
これには全員度肝を抜かれた。さっきの王城の爆発とまではいかないが、それに近い威力がある。
ヒュドラの腹にはぽっかり穴が開いた。塞がるまでにかなり時間のかかりそうな穴が。
「頭を潰す! 同時にだ!!」
アンザーツの声に合わせて一斉に攻撃を繰り出す。剣に斬り落とされた頭もあれば、魔法で切り裂かれた頭もあった。
それで最後だった。
――ぱちぱちと小さな拍手が送られる。音の主を見やればゲシュタルトが薄ら笑いを浮かべていた。
もはや孤立無援となった彼女はマハトの身体を宙に浮かべ、自らも撤退の準備を始める。最初から自身が戦うつもりはなかったらしい。
「イデアールは帰ったようだし、私も欲しいものは手に入ったし、今日はこれくらいにしてあげるわ」
「マハト!! おい、起きろ!! マハト!!!」
アラインは従者に呼びかけゲシュタルトにも飛びかかる。だが寸でのところでかわされた。
どこからか召喚した蝙蝠の背に乗ると、彼女はふわり大空に舞い上がる。
アンザーツとヒルンヒルトが古い仲間をじっと見ていた。そんなふたりにゲシュタルトは忌々しげに吐き捨てた。
「ねえアンザーツ、私ずっと苦しかったわ。……何度も同じ死線を潜り抜けてきたのにあなた何も教えてくれなかった。仲間だなんて言っておきながら、私たちずっとばらばらだったわね」
憎しみに歪んだ瞳は遠い過去だけを睨んでいる。もう変えようのない昔を。
アラインは彼女を見てぞっとした。
勇者のために尽くした女が勇者を憎み、殺そうとしている。まるきり正反対に態度を変えて。
そんなことが起こり得るのかと怖かった。アンザーツはきっと彼女を信頼していたに違いないのに。
「知っていた? ムスケルも私と同じように苦しんだのよ。生まれ変わっても置き去りにされる恐怖に怯えるくらい……」
ねえ、とゲシュタルトは続ける。
「私がどんな思いであなたを待っていたかわかる?」
沈黙するアンザーツに嘲りの笑みを向け、ゲシュタルトは杖に真っ赤な焔を宿した。剣を捨てた勇者を庇うようヒルンヒルトが立ち塞がる。だがそれが彼女の怒りを買い、焔はいっそう大きく激しくなった。
「死にたくても死ねなかった。私はあなたの仲間で、命を癒す僧侶だったから。産みたくもない子供だって産まなくちゃいけなかった。堕胎や自害なんて僧侶にあるまじき行為だった。――あの国は狂ってるわ。あなたがもう戻らないとわかったとき、国王が私に何をしたかわかる? たとえ名ばかりでも勇者の血筋を残すため、私を、私を……!!!」
杖を離れた火炎は真っ直ぐアンザーツに向かった。アンザーツはヒルンヒルトをどかそうとしたが、賢者がそれを許さなかった。
炎は英雄を焼くことなく空中で掻き消える。彼女の思いはアンザーツまで届かない。
ゲシュタルトは震える声で呟いた。
「それでもあなたの言葉を信じて待っていたのに」
堕ちた聖女の笑い声が響く。
その狂った瞳が不意にアラインに向けられて、「可哀想な子」と憐れむ声が滑り落ちた。
どくんと心臓が飛び上がる。聞いてはいけない言葉を聞いてしまう気がした。
名ばかりでも勇者の血筋を残すため。
だってさっきゲシュタルトはそう言ったのだ。
「祀り上げられてこんなところまで来てしまったの?」
耳を塞ごうとして間に合わなかった。
世界はただ真っ黒に塗り潰されていく。
「勇者の血なんか引いてないのにね」
連れてきた魔物の半数以上が今の魔法石の攻撃で焼き尽くされ息絶えてしまったようだ。
外敵を阻む結界を維持するためだけに魔法石の塔を利用しているのだと思っていたが、まさか自分たちの街もろとも破壊する機能を備えていたとは。
(小癪な……!)
犠牲となった同胞に報いるためにも、やはり都は完膚なきまでに叩きのめさねばならない。
イデアールはバチバチと火花を弾かせている王城の結界に掌を置くと、電撃に襲われるのも構わず魔力を放出した。
用いているのは他人の術に干渉し、無理矢理無効化させるという古代魔法だ。魔力消費も組成の複雑さも呆れるほどだが、結界など一度壊してしまえばそれまでである。
固い膜に穴が開き始めたのを見てイデアールはにやりと笑った。
人間どもはここが最後の砦だろう。この都さえ滅ぼせば、大陸のこちら側はほぼ掌握できたことになる。
******
たてがみを振り乱してハンババが吼えた。その雄叫びは危うくアラインたちの鼓膜を破るところだった。
辺境の都、正門前。敵との間合いを測りながらアラインは剣を構えた。
ハンババは小さな民家ほどの大きさがあり、異常に発達した両腕を持っていた。殴られでもすれば骨まで砕けるのは必至、ともかく攻撃は避けねばならない。足でどこまで撹乱できるかと思う間にエーデルが飛び出した。
クラウディアから聞いた話だが、彼女には魔物の血が流れているそうだ。だからなのかは知らないが、身体能力が飛び抜けている。ベルクを見たときもすごいと思ったが、それとはまた違うタイプのすごさがあった。とにかく速い。瞬間的に発揮できる力だけならおそらく誰より上だった。
スリットの入ったスカートから伸びたしなやかな足がハンババの顎に痛烈な蹴りを食らわせる。巨体がぐらりと傾いた隙にアラインが腹に斬り込んだ。だが一刀両断というわけにはいかなかった。あの砲撃に耐えただけあって、皮膚の強度はなかなかのようだ。
「動きは鈍いけどタフそうね」
「ああ、平原や森をウロウロしてるタイプの雑魚じゃなさそうだ」
「ふたりとも気をつけてください。敵の内側から強い魔力を感じます……!」
そう忠告してクラウディアが速度補助の魔法を放った。ふとヒルンヒルトに言われたことを思い出し、アラインは眉をひそめる。
――無理に力を抉じ開けられて損傷しかけている。魔法を浴び過ぎると立っていられないほどの激痛が襲うぞ。
ヒルンヒルトはハルムロースがアラインに禁呪をかけたと言った。薄らとそれらしき記憶が残るのは兵士の都でクヴァドラートに襲撃されたときのことだ。確かにあの後、すべての能力が飛躍的に向上した。
(ハルムロースが魔族だっていうのは本当なのか……?)
それも彼に確かめねばならない。アンザーツのことと言い、旅に出てから頭が混乱する事態ばかり起きている。
「はぁッ!!!」
起き上がったハンババにエーデルが再度挑んだ。今度は空中での回し蹴りだ。攻撃は首裏に決まり、ハンババが上体を揺らした。けれど巨体を地に引き倒すところまでは行かなかった。黒い毛並みの雄牛の肉体は筋骨隆々で、太い腕がエーデルに向かって振り下ろされる。
「ッ!!!」
石畳の地面に穴が開く。辺りに礫が飛び散った。エーデルは攻撃を避けたようだが凄まじいパワーに度肝を抜かれた。瓦割りじゃないんだぞ、とアラインは舌打ちする。
エーデルとは反対方向に回り込み、アラインはハンババの背中を狙った。大蛇の尻尾を斬り落とされて、敵はようやくこちらの存在に気がついたようだ。両方向からの攻撃に魔物はグンと腕を伸ばし、大きく身体を捻らせた。回転の遠心力で吹き飛ばそうと言うらしい。
だが体格差が幸いした。大振りすぎる攻撃は注意深く観察すれば避ける程度容易い。身を屈め腕が通り過ぎるのを待ったアラインと、タイミングを合わせて懐に飛び込んだエーデルに呆気なく突破され、ハンババは前後から同時に打撃を受けることになった。更にそこへクラウディアの放った真空波が襲いかかる。
魔物は苦悶の叫び声を上げた。腹の傷を抑えながらのた打ち回り、所構わず腕を振り回す。こちらの方がさっきより余程危なくて近寄れない。
アラインは炎の魔法を掌に宿すとそれを引き伸ばし、鞭のようにしならせてハンババを攻撃した。ぼうぼうと残ったたてがみも燃え上がり、怒りの咆哮が天を突く。
「危ない! ふたりとも下がってください!!」
クラウディアの声にハッとアラインたちは飛び退いた。ハンババの爪が鈍く光り、雷光の塊となった球体がいくつも発射される。
「!!」
「きゃっ!!!」
スレスレのところで避けたつもりが、服に触れたそれは小爆発を起こした。エーデルも足に電気を食らったようだ。
「第二波がきます!!」
クラウディアの癒しの魔法が傷の痛みを和らげる。魔法の球体は厄介なことに特定軌道を持たないようだった。たんぽぽの綿毛のよう、ただ風の流れに乗ってふわふわ飛んでくる。避けにくいことこのうえない。
「わたしが全部潰します。ふたりは魔物本体に集中してください!」
緩やかな風が巻き起こったかと思うと、それは大きく渦を描いた。ハンババの魔法は優しい竜巻の中にひとつまたひとつと飲まれていく。触れ合った球同士が反発し、パンパンと爆発音を連続させるが、アラインたちまで影響が及ぶことはなかった。
「ありがとうクラウディア……!」
「ええ、頑張ってくださいエーデル……!」
若干甘酸っぱい類の空気が流れた気がしたが全力で気に留めないことにしてアラインは剣を振り上げた。魔法球を封じられ怯んだ様子を見せるハンババの肩口を一気に斬り下ろす。
痛みに混乱を来たしたか、ハンババは手当たり次第に瓦礫を掴んで放り投げた。その中のひとつが運悪く跳ね返り、クラウディアのこめかみに当たった。
「っつ……!」
小さな悲鳴にエーデルの顔色が変わる。ハンババは彼女の逆鱗に触れたのだ。
「やったわね……!?」
その後の彼女の攻撃には目を瞠るものがあった。
地面に両手を突き、回転しつつ挟んだ両足でハンババの首を捕らえ、エーデルは敵の頭部を石畳に叩きつける。伏した魔物の背中に飛び乗り片腕を捕らえると、メリメリメキメキ音を立てながら魔物の右腕を引き千切った。更に反対側の腕も。
あまりの光景にアラインはぽかんと剣を止めた。まるで魔物が獲物を捕食するような戦い方だった。容赦がなさすぎる。
エーデルは最後にハンババの後頭部に膝を沈めると、動かなくなった魔物を眺めて「クラウディアに怪我させるからよ」と吐き捨てた。
******
ほぼ何の計画もなく王城を目指そうとするディアマントをオーバストは懸命に追う。
猪突猛進というか、単純明快というか、ある種の天真爛漫というか、ともかくディアマントは最後まで人の話を聞かない。馬鹿な子ほど可愛いという言葉があるように、そういう一面もまた彼の美徳であるとは思っているが、こんなときぐらいひとりで戦わず後方支援を頼んでも良いのではないだろうか。勇猛であることは認めるけれど。
「ディアマント様! いくらなんでも危険です! これだけの魔物を率いているリーダーがいるんですよ!? おひとりでは……っ!!」
「やかましい!! 貴様がついて来ているのだからひとりではなかろう!!!」
怒鳴られてしまった。数に入れてもらっているのを喜べばいいのか、不興を買ったのを悲しめばいいのか、複雑な心境だ。
それにしても何をそんなに功を焦っているのだろう。まさかクラウディアを出し抜きたいとか、あの魔物殺しエーデルに良いところを見せたいとか考えているわけでもな……いや、有り得る。
辺境の村に滅法強い人間がいると教えたのはオーバストだった。それがまさかこんな展開を見せるとは、あのときは想像もしていなかった。ディアマントが大人の階段を上っていくのは寂しいが嬉しい。できればこの恋の勝負を制して、甘く幸せなひとときを手に入れてほしいとも思う。障害の多そうな恋だけれど。
(……まぁ神様がお許しにならないか……)
小さな溜め息を零しかけたときだった。瓦礫の中から二体の怪鳥が飛び出してきて、オーバストたちの前方と後方に毒々しい色の翼を広げた。
「ディアマント様!」
「グリュプスとコッカトリスか……。ふん、片方は貴様が始末しろ、いいな? 私は先を急いでいるのだ!」
グリュプスは前半分が鷲、後ろ半分が獅子という魔物である。コッカトリスの方は前半分が鷲、後ろ半分が蛇の身体で、明らかに毒性のある灰色の息を吐いていた。
ディアマントは魔法より剣を愛する男である。毒息を浄化しながら戦うなど面倒なことはしないだろう。そう断じるとオーバストはコッカトリスに長剣を向けた。
「天界人に空中戦を挑むとは、その度胸だけは買ってやる!!」
怯むことなくディアマントはグリュプスに斬り込んでいく。
「危なくなったら言ってくださいね!! 約束ですよ!!!」
暫し彼の身を守れぬことに涙目になりながらオーバストは叫んだ。
ともかくさっさとこちらの敵を倒してしまうに越したことはない。ディアマントがひとりで無茶をしないか心配すぎる。
オーバストは天空を指差し雨雲を呼んだ。雷が魔物を撃ち殺すように術を組み、そして放つ。
この魔法を教えてくれたのはトルム神だった。ディアマントやウェヌスはお前が守るようにと言って。
肉体があることにはようやく慣れてきた。膨大な力を制御しながら戦うことにも。
雷撃はコッカトリスを貫いたが、焼き殺すまではいかなかった。ぷすぷす煙を上げたまま鷲のくちばしが向かってくる。
身構えたオーバストのやや手前でコッカトリスは急停止し、上空に旋回して背後へ飛んだ。しまったと振り向いたときには遅く、脇腹を鋭く抉られる。
痛みに呻く暇もなく、次は蛇の尾が襲いかかった。それを剣の柄で弾き返し、発動させた火魔法で焼き切る。千切れた蛇の腹からは毒液が飛び散った。
「っぐ……!!!」
弱い浄化作用をかけながら戦っていたのに、毒の影響か頭がクラクラしてくる。敵は想定より強い毒を持っていたらしい。
灰色の呼吸に触れた脇腹が石化しているのを見てオーバストはぎゅっと歯を食いしばった。これ以上同じ攻撃を食らうわけにいかない。手早く回復呪文を唱え、半身を失いバランスを崩すコッカトリスにとどめを食らわせる。
斜めに断ち切った身体からはまた紫の毒液が四散した。後方で戦っていたディアマントにその液がかからぬよう風を起こす。ちょうどグリュプスもディアマントの剣により絶命したところだった。
まだまだ粗いところはあるが、生まれ持った素養は高い人なのだ。この先ディアマントはどんどん強くなるのだろう。きっとあの魔王ファルシュよりも。
「……っお? おや?」
ぐら、とオーバストの視界が傾いた。どうやら脇に受けた傷が治りきっていなかったらしい。そこから毒が回ったのか、平衡感覚が危うかった。
「ふん、情けない。天界人が魔物の毒なぞ受けおって」
そう言いつつもディアマントはオーバストの腕を掴み、墜落しそうなところを引き留めてくれる。
「ディアマント様……!! なんとお優しい……!!!」
感涙にむせぶオーバストを見てディアマントは眉根を寄せた。鬱陶しいからやめろという顔だ。それでもそこに彼の亡き母の面影が残るので、オーバストはディアマントを愛おしく感ぜずにはいられなかった。
******
ハンババを倒した後、アラインはクラウディアたちと二手に別れることにした。バールが「裏門側におるのんマハトとちゃうか?」と教えてくれたからだ。
ディアマントたちを放ってはおけないし、マハトは心配だし、後から城で合流しようという案に三人とも頷いた。ただし絶対に無理はしないようにと約束して。
エーデルとクラウディアには王城へ向かってもらい、アラインはバールとともに裏門を目指した。ヒルンヒルトとアンザーツも多分そちらに固まっているだろう。
聞きたいこと、話したいことが山のようにある。のんびり話はできずとも、せめて戦いが終わってもどこにも行かないでくれと釘を刺しておきたかった。
(アンザーツか……)
どきどきする。本当に彼なのだ。
勇者の中の勇者。英雄の中の英雄。どうしようもなく憧れた男がそこにいる。
こんなときに不謹慎だぞと己を窘めるが、胸の高鳴りはやまない。
残骸となった街を駆け抜け魔法石の小塔が見える辺りまで来ると、煙の色が濃くなった。
もうすぐだ。もうすぐ彼に会える。
「アライン、危ないで!!」
バールの声にアラインは反射的に盾を構えた。ちょうどそこへビリビリした衝撃が走り、後方へ吹き飛ばされる。
受け身を取りつつ道端を転がると煙幕の向こうに蹄が見えた。太く逞しい脚の上には茶色の胴体。ほとんど巨大な馬のようだが背中には鷲の翼が生え、後ろ脚は獅子のようになっている。さらに鋭利なくちばしが馬の顔面にくっついていた。気配、身のこなし、目の鋭さ、威圧感――どれを取っても並の魔物でないのが知れる。
「ヒッポグリュプスや……グリュプスよりずっと強いで。ジブンひとりで大丈夫か? 誰か捕まえて呼んでこよか?」
心配そうなバールの声にアラインは首を振った。
ひとりで戦ってみるよと虚勢でなくそう告げる。
勇者の都を旅立って、果たして何度己の力だけで道を切り拓いたことがあるだろう。
試練の森、盾の塔、国境の洞窟、兵士の都、水門の街、そして……。
仲間を頼るのは悪いことじゃない。でも自分は勇者だ。もしたったひとりになったとしても、諦めず戦い続けなければならない。
その強さを手に入れたかった。どうしても今、アンザーツと会う前に。
「気ぃつけや、アライン。こいつの強さは聖獣以上やで」
剣を握り、翼をはためかせるヒッポグリュプスと向かい合う。
速度強化と防御強化、筋力強化の呪文を唱えるとアラインは躊躇うことなく剣を振り翳した。
******
生き残った魔物たちがぞろぞろと城近辺に集まっているという報告、そして王城の結界にも穴が開き始めたという報告は避難所となっている大広間を震撼させた。
城へ戻ってきたベルクたちは三階から辺りを見回してみたが、また馬鹿にならない数の敵が王城を取り巻いているのを確かめ、大急ぎで一階まで駆け下りた。
兵士も宮廷魔導師たちも総出で対応しているが、相手が何か厄介な古代魔法を用いているらしく、魔物の侵入は防げそうにないらしい。既に城内を闊歩している魔獣も数匹いるとのことだった。
「あの強度の結界でも駄目なの……!?」
大広間の入り口でノルムが叫び、取り乱す。彼女の隣でベルクは再び剣を手にした。城の中が安全でなくなったなら自分が前線へ出ねばなるまい。先の砲撃で敵の数は確実に減っているのだ。やれるところまでやらなければ男ではないだろう。
「おいウェヌス、行くぞ」
「ええ!」
走り出そうとしたところへ黒いローブの大柄な男が現れた。樫を削って作った長い杖を持っており、豊かな髭を蓄えている。
「待ってくれ、先に避難の誘導を手伝ってくれんか?」
「あ、陛下!!?」
魔術師だと思った男は国王ウングリュクだった。そう言えばこの国の王は代々優秀な魔法使いであると聞く。ウングリュクの傍らには彼の魔法で葬られたと思しきヴォルフが数匹重なって倒れていた。やはり魔法国家というのは侮れない。
だが今はそんな国でも王様が冠を脱ぐほどの非常事態なのだ。ウングリュクに続いてベルクたちが広間へ戻ると国王は群衆に地下へ潜るよう指示を出した。
「地下なんかあったのか?」
「ああ、防衛上の機密があってな。ノルムも案内せんかったろう」
先導のノルムが足早に北階段へ向かって歩く。階段裏に秘密の通路が隠されており、そこから下へ降りられるようだった。
「うわ、すげえ……!」
広い地下には仰け反って見上げるほど巨大な魔法石が置かれていた。五つの塔に埋め込まれている石より更に数倍は大きい。
「長年ここに魔力を封じ込んできたんですか?」
ノーティッツがウングリュクに問うと、王はこくりと頷いた。
「結界が崩されているのは魔力の量で圧倒されたからではない。何か毒のようなもので部分的に腐食させられ、そこに穴を開けられているのだ。私は今からここで結界を再構築する。兵士の国の王子――いや、勇者ベルクよ。他はどうなっても構わん。この地下と民の隠れている五つの塔だけは守り抜きたい。力を貸してくれんか?」
返事など考えるまでもなかった。勇者としても王子としても人としても答えはひとつしかない。
「任せとけ。結界を壊そうとしてる大馬鹿野郎なんざぶちのめしてきてやる」
パン、と左手で右の拳を受け止めるとベルクは避難の列を逆走して大広間へ戻った。当然のようにウェヌスとノーティッツもついて来る。だがふたりも連れていく気は更々なかった。
「ノーティッツ、お前はここに残れ」
「はぁ!?」
振り返ったベルクの言に幼馴染は怒りの意を示す。何を言っているんだお前はという目で見られたが、こんなときまで冗談を言えるはずがない。
「あの敵の数見ただろ。半分近く減ったっつっても城周りにはまだウジャウジャいやがる。お前の魔法なんかすぐ打ち止めだ」
「……ッそりゃそうだけどなあ! んなこと言ったらお前だって最後までもつかわかんないぞ?」
「あったりまえだ!!! だからお前が残るんだよ!!!!!」
一喝するとノーティッツは目を瞠ったまま声を失くした。ハラハラしながらウェヌスはこちらのやり取りを見守っている。
「俺にだってあんな数の敵は倒しきれねえ。アリンコみてーに城にたかられちゃさっきみてえな魔法石の攻撃も使えねえ。俺には目の前の相手と戦うくらいの能しかねえが、お前は違うだろ? ゆっくり考えられるこの場所で、この状況を打破する起死回生の方法を考えろ! お前が名案思いつくまでは俺が表で汗水垂らして戦ってきてやらぁ!!」
ベストを尽くそうと思ったらそれしかないだろ、と睨むとノーティッツは押し黙った。ややあってから「確かにな」と納得の声が返る。ここ一番の頭の回転と決断力でこの幼馴染に敵う者はない。
「わかった、三十分以内に考える。三十分は絶対に死ぬな」
自ら制限を設けるとノーティッツはいつも頭に巻いているバンダナを外してベルクに押しつけた。
「そういう青春ごっこはいらねえよ。俺が簡単に死ぬと思うか?」
「いいから巻いとけ。それつけてると女の子にモテんだよ」
幼馴染は有無を言わさずベルクの右手にバンダナを巻きつけた。行けと言うよう背中を押され、ウェヌスを連れて走り出す。
三十分と言った以上、ノーティッツは三十分で作戦を捻り出すだろう。だったらこちらも三十分粘るだけだ。
(いたぞ、あれだ)
ディアマントは魔物のひしめく王城裏手で紅髪の魔族が結界を破ろうとしているのを見つけた。亡霊と化したファルシュに代わり魔物たちを統率する仮の王、魔王の息子イデアール。あの男がそうに違いない。
邪魔な雑魚どもを蹴散らすためにまず一回、大剣で風を起こした。何匹かが剣圧に吹き飛ばされスペースができる。
こちらに気づいたイデアールも顔を上げた。今が先制攻撃のチャンスだった。――だがその面立ちを見た瞬間、ディアマントは凍りつく。
(エーデル……!?)
髪も瞳も肌の色もすべて似ていた。戦いにきたことを一瞬忘れてしまうほどに。
「何だ貴様は?」
しかし相手にそんな動揺は関係ない。イデアールは即座にこちらを敵とみなし、巨大な火球を幾つも放ってきた。
「ディアマント様ッ!!!」
間一髪でオーバストの出現させた氷柱がディアマントを火勢から守る。けれどすぐ翼ある魔物たちに周りを囲まれた。
「あ、後先考えずに突っ込むからですよ!?」
「全部殺せばいいだけだろう!!!」
怒号を響かせ炎の呪文を諳んじると、それに合わせてオーバストも天に魔法陣を描いた。
「傷が治りきっていないくせに貴様は! 休んで私の活躍でも見物していろ!!」
「この数ではそういうわけにもまいりません!!」
言うことを聞かない従者だなと苛立つが、生憎これ以上言い争っている時間はなさそうだ。じわじわと蝙蝠や蛾の魔物が寄ってきてこちらも鬱陶しい。
「一気に焼き払ってくれるわ!」
宣言通りディアマントは蛇が踊るよう炎を空中に解き放った。さっきイデアールが見せた火球より強い炎で。
断末魔の声を上げ魔物たちが灰と化す。オーバストもまだ石化したままの脇腹を抑えながら風を放ち、ディアマントの炎を煽った。
「ほう? なかなかやるようだ」
結界の傍らにいたイデアールがこちらを見上げて笑う。
だがそう認識したとき既に彼は真後ろにいて、研ぎ澄まされた長剣を鞘から抜いたところだった。
「クヴァドラートを殺したのはお前か?」
ざん、と刃が骨肉の中を通っていく感触。
血を噴きながら落ちるディアマントをオーバストが受け止め、癒しの魔法を唱えた。
「なんだ、空を飛ぶくせに翼が生えているわけではないのだな」
憎たらしい顔で憎たらしい口をきいてくれる。エーデルそっくりでなければ最初の一撃を躊躇うことなどなかったのに。
「貴様、私を愚弄する気か? 目に物見せてくれる!!」
どちらが悪役かわからないと言われそうな台詞を吐いてディアマントはイデアールに斬りかかった。だが攻撃はすべて易々とかわされて、掠りもしない。魔法を連打し間合いを詰めても彼の笑みすら崩せなかった。
「本物の翼とはこういうものだ」
そう言ってイデアールは黒竜の羽を広げた。抑えられていた彼の力が解放されたのが伝わってくる。
「死ね」
羽ばたきひとつでディアマントを吹き飛ばすと、イデアールは雷光のごとき速さで近づいた。
振り上げられた剣の閃き。襲いくる痛みに備え歯を食いしばったそのとき、眼下の瓦礫を跳ね飛ばして駆け上がって来る影があった。
「ッはぁ!!!」
強烈な蹴りがイデアールに剣を取り落とさせる。「大丈夫!?」と尋ねてきたのはエーデルだった。
ディアマントは己を包む治癒の光の先を見やって顔をしかめた。クラウディアがオーバストを背に庇いながらこちらへ杖を向けている。
「あなたって本物の馬鹿ね。人を待つこともできないの?」
「貴様らがちんたらやっているからだろう! そもそも何故私が人間など待たねばならんのだ!」
「それで助けに来られてちゃ世話ないわよ。身体より頭を鍛えたらどう?」
「……ッ!!!」
不躾な物言いに血が昇った。こんな女の助力を得てしまったのかと思うと悔しさで地団太を踏む思いだ。
「なんだお前は?何故私と同じ顔をしている?」
宙に静止したイデアールが呆然とエーデルを眺め、呟く。
呼応するよう彼女もイデアールを振り仰ぎ目を瞠った。
見れば見るほどそっくりだ。まるで生き別れた兄妹であるかのよう。
「――何故人間が我が父ファルシュの血と肉を宿している!?」
イデアールが叫んだ瞬間、白い光が爆発した。誰の魔法かはわからなかった。
気がつくとディアマントは元いた場所から随分遠くまで吹き飛ばされ、瓦礫の山に横たわっていた。
******
八つの口からヒュドラが火を吐き吼え猛る。ゲシュタルトの魔法を受けた多頭竜は更に力を増したようだった。
アンザーツの剣が何度切り裂いても、ヒルンヒルトの魔法が何度身を焦がしても、みるみるうちに細胞が増殖してどんな深手も癒えてしまう。
「大変ねえ、殺されるかもしれないわねえ」
高笑いしながらゲシュタルトは戦況を見守った。時折賢者が大きな魔法陣を描こうとするのを杖で邪魔しながら。
「おい、よせよ。なんで魔物の味方なんかするんだ」
「あら違うわ? 魔物の味方なんじゃなくて、私はあいつらの敵なのよ」
「だからなんで!! 仲間だったんじゃないのか!? あんたゲシュタルトなんだろう!?」
わけがわからずマハトはただ叫ぶ。
百年前の出来事なんて物語でしか知らない。それなのにどうしてこんなに焦っているのだろう。
見たくない。見たくないんだ。仲間割れなんて。
「……あなただけよ。最後まで私を大切にしてくれたのは」
結界の外でバールによく似た青い鳥がけたたましい鳴き声をあげる。まるで何かの警告のように。
だが聞こえない。ゲシュタルトの声以外はもう何も。
「辛かったわね、信じてたのに隠し事をされて。何も教えてもらえなくて」
買い替えたばかりのマハトの斧に黒手袋の指先が触れた。どこからか紅水晶の魔法石が出現し、斧の柄を抉ってぴたりと嵌まる。
以前にも似たようなものを見たことがあった。クヴァドラート戦で手にした呪いの槍だ。触れた者の心の弱さに取りついて、肉体の自由を奪ってしまう――。
「生まれ変わったあなたにあの頃への未練がないなんて、私の勘違いだったわ。だってあなたは今でも手離した記憶に苦しめられてる。……置いて行かれるのが怖いんでしょう? 嘘をつかれていないか気になって仕方ないんでしょう?」
何故なのかわかる?とゲシュタルトが優しく尋ねた。
マハトの前に経験していない過去が甦り、走馬灯のように流れていく。
魔王を倒した後のこと。いなくなったアンザーツを必死に探して、見つからなくて、どうして何も話してくれなかったのだと嘆いて。
旅の始まりから終わりまで、一番長く側にいたのに、自分が一番彼に遠かった。
「裏切られたからよ」
だから憎くて忘れられないの。
だから悔しくて苦しいの。
だから悲しくて痛いの。
耳元で彼女が囁く。声はゆっくり心の深くまで浸透した。
「ずるいと思わない? あいつらと私じゃ二対一なのよ。どうせならあなたと一緒に思い知らせてやりたいわ。私たちがどんなに辛く情けない日々を過ごしたか」
ゲシュタルトの細い指がマハトの指に重ねられた。もう片方の手はぴたりと背中に。
そうして屈みこむマハトに寄り添って、魔女は最後の針を刺した。
「お願いムスケル、私と一緒に来て……。愛してると言ってくれたでしょう?」
******
地下でウングリュクが奮闘してくれているおかげか、結界に開けられた穴は急速に縮んでいった。
それでも身体の小さいのが侵入してきていたが、その程度ならベルクの剣で難無く蹴散らせる。一歩でも城内に入れば命はないと察した魔物からベルクの前を退いていった。
「……ふう。しかし結界に穴開けてるヤローはどこ行きやがったんだ?」
「先程凄まじい魔力の爆発がありましたわ。衝撃で吹き飛ばされてしまったのではと思うのですが……」
魔力の爆発か、とベルクはひとりごちる。宮廷魔導師たちはほぼ城への撤退を完了していたはずだ。ということは仲間の誰かが都に到着しているのだろうか?辺境の塔へ行ったにしては到着が早すぎる気もするが。
「ベルク! あれを!!」
ウェヌスの指差す方を見上げると紅い長髪を乱してきょろきょろしている異形の剣士がいた。爬虫類のような耳と翼はどう見ても人間のそれではない。そのうえ全身から強い闘気が放たれている。
「えらく気ィ立ってそうだがあれか?」
ニヤリと笑ってベルクは剣を構え直した。戦うには結界の外へ出なければならない。
「ウェヌス、お前は中にいろ。なるべく結界ギリギリのとこで俺も戦う。内側から支援してくれ」
「……わかりましたわ!」
ベルクは崩れた城壁を駆け上がって男に忍び寄った。イデアールという名はまだ知らなかった。
(それにしてもえらいエーデルと似てやがんな。色が黒いからそう見えるだけか? 俺あんま女子の集団の見分けとかつかねえからなあ)
距離を詰めるほど空気にピリピリした気迫が混ざる。
間違いなく強敵だ。本能がそう告げた。
(先手必勝! 食らえ!!)
できるだけ音を立てず、気配を消して飛びかかる。だが男は半歩身体を引いただけであっさり背後からの攻撃を避けた。
「……さっきの連中とはまた別か」
苛立たしげに男が言う。
イデアールはベルクの剣の刃を掴むとぐしゃりと握り潰した。その掌は真っ赤に焼けた鉄のようになっている。
目を瞠ることさえしなかった。ただ全速力で後ずさりした。
――これは普通に戦っていい相手ではない。
鞘から抜けないことは承知で神鳥の剣の柄を握る。奇跡でも起きて抜けねえかなと思ったが、その期待は儚くも裏切られた。
起死回生、大逆転のどんでん返し。そんなもの果たして思い浮かぶのか。
不安とプレッシャーに眉根を寄せつつノーティッツは思考を巡らす。
ウングリュクが老体に鞭打ち結界の補強をしてくれているが、聞けばそれは宮廷魔導師たちが毎日己の勤務終わりに魔力提供を続けてきた超魔術の結界であるという。個人がその穴を補修しようとした場合、どれほどの負担がかかるかわからないとのことだった。
ノーティッツの前にいるウングリュクの背中は汗でびっしょりだ。魔導師たちは結界に力を注ぐことはできても結界を修復することはできないらしく、王に任せるしかない状況だった。
(国民を守りつつ魔物を一斉攻撃する方法……)
使うならあの魔法石での攻撃しかない。だがベルクの言う通り魔物たちが城にくっついている以上、当たるものも当たらなかった。
「ノルムさん、あの砲撃の軌道って変えられないんですか?」
「……難しいと思います。あれはイヴォンヌさまが残してくださった魔法の図案通りやっただけですから」
「じゃあこの城の魔法石からあれと似た光線を撃つことは?」
「理論上不可能ではありませんが、術者がいません。これはイヴォンヌさまが街と城の結界を作り出すためだけにご用意されたものです。他の術に流用することができるとすれば、おそらくイヴォンヌさまだけかと」
ノーティッツはううんと唸った。家に帰れば母はいるが、呼びつける方法などない。
ベルクの父に頼んであの魔法の鏡を家まで運んでもらうか?だが仮にそれで通信できたとして、遠く離れた魔法石にどうこうできるとは思えない。
「その図案とかって見せてもらえます?」
こくりと頷きノルムは懐から小さな魔道書を取り出した。本というよりメモ帳に近いそれは、どのページも一面びっしり魔法陣や魔法石に関する記述で埋め尽くされている。ただしすべて簡略化された走り書きで、本人以外何が書いてあるか解読できないと思われた。
(食堂のレシピだって渡されたメモとそっくりだな……)
やはりあの母がこの国の魔導師長をやっていたのは間違いないようだ。ノーティッツは受け取った本をぱらぱら捲り、ひと通り目を通すと諦めてパタンと閉じた。
駄目だ。料理と同じで大味すぎてよくわからない。
大体あの人の味つけは適当すぎるのだ。感覚だけで全部やってしまうから繊細なところは全部こちらが調整する羽目になる――と、いけない。こんなことを考えている場合ではない。
「だったら外側の結界に注がれている力を王城の結界に注ぎ直すことはできないんです? さっき上から確認しましたけど、破られた外壁の結界、まだ五分の四は残ってますよね?」
指摘するとノルムもウングリュクも沈痛な面持ちで俯いた。
「イヴォンヌさまの魔法は……とても強力なのですが……」
皆まで言わずともわかる。母のレシピと書いて散らかった部屋と解く。その心は「他人には何がどうなっているかわからない」ということだ。
「この膨大な魔力を受け取れる人間が誰かいてくれればな……」
汗を噴きながらウングリュクが嘆く。「陛下、それは言わない約束ですわ!」とノルムも涙を拭った。
「イヴォンヌもせめて都の男に嫁いでくれれば……。血の繋がった人間になら魔力を譲り渡すことができたのに……」
「――」
ノーティッツは思わず辺りを見回した。ウェヌスがいないのを確かめてから再び国王へ視線を戻す。あまりにもご都合展開が過ぎるので、例の女神補正かと不安になったのだ。
だがウェヌスは現在女神としての己の力を封じているはずである。力を使えば泡となって死んでしまうとも言っていた。
――つまりこれは本当に単なる偶然。なんともはや、人生にはこんな数奇な巡り合わせがあるらしい。
「あの……陛下、ノルムさん」
ノーティッツは無意識に声を潜めた。おずおずと挙げた右手にふたりとも「?」と怪訝な顔をする。
「ぼく息子なんですけど……」
そう告げるとウングリュクはゲホゴホ咽た。ノルムは仰け反って硬直した。
******
どれくらい飛ばされてきたのだろう。目を覚ますとエーデルは瓦礫に半分埋まっていた。
自分そっくりの男に意味不明なことを叫ばれたと思ったら、次の瞬間真っ白な光がすべて吹き飛ばしたのだ。
何がどうなっているかよくわからない。でもとにかく、早くクラウディアを探さなければ。
「……ッ」
起き上がろうとしてエーデルは痛みに眉をしかめた。腹から流血している。怪我なんて滅多にしないのに。 足もどこかで捻ったのか、力を入れると激痛が走った。首だけ動かし辺りを探るがクラウディアはいそうにない。代わりに見慣れた白いコートを発見した。
「……ディアマント?」
寄っていくほどの元気もなく、エーデルは近くの小石を拾って投げる。それは見事に彼の額に命中した。
「う……っ!」
呻き声を上げディアマントがのっそり身を起こす。早速こちらを見つけると彼は不機嫌そうに唇を突き出した。
本当に子供のような男だ。これで天に住む特別な人間というのだから神様の基準も疑わしい。
「石をぶつけるとはどういうつもりだ?」
「……動けないんだからしょうがないでしょ」
「は? 貴様怪我をしたのか?」
ディアマントは黄金の粒でできた羽をはばたかせ、エーデルの元へ舞い降りた。
「ふはは、弱った貴様とは見ものだな」
「……」
冷たく蔑む視線を投げるもディアマントは気づかない。このデリカシーのなさは天界人特有のものなのだろうか。それとも彼本人の特性なのだろうか。
睨むのも疲れて目を逸らす。こんな馬鹿に構うのではなかった。さっさと足を何とかしてクラウディアを探しに行こう。
「……!」
不意に温かい風がエーデルを包んだ。ずきずきした痛みが一瞬で引き、回復魔法をかけられたのだとわかる。
「あ、ありがとう」
青天の霹靂ねと驚きを隠せないまま礼を述べるとディアマントはしかめ面のまま膝をついた。そうしてその場に蹲ってしまったので、どうしたのだと慌てて跳ね起きる。
ディアマントは大きく背中を斬られていた。多分あの男の仕業だろう。朱に染まった白いコートに息を飲み、「馬鹿、早く自分の回復をなさい!」と怒鳴りつける。
だがディアマントは力なく首を振った。まさか底尽きるほどたくさんの魔力を使ったのだろうか。一体いつ?
「あの愚図が石化など受けるから……」
よくわからないが仲間のために魔力を著しく消費していたらしい。そんな一面もあるのかと感心したが、悠長にしている場合ではなさそうだった。
「誰か回復できる人を探してくるまで待てる?」
「……」
ディアマントは小さく頷き瓦礫の上に突っ伏した。痛いだろうに呻きもしない。
魔物たちに見つからないよう毛布代わりの薄板を積むと、エーデルは城の外周に向かい駆け出した。
ずきんずきんと毒を受けた傷がまだ痛む。
吹き飛ばされた王城付近の教会跡でオーバストは近づいてくる気配に息を飲んだ。
魔物ではない。かといって人間でもない。否、器は人であるのだ。ただその内側に潜むものが、他の誰とも違っている――。
「何を怯えてらっしゃるんです?」
柱の影から姿を見せたのはクラウディアだった。
彼とはふたりきりにならないよう気をつけていたのに。水門の街で出会ったあの日から。
「……」
平静を装うのは難しそうだった。あちらは何らかの確信を持ってオーバストを揺さぶろうとしている。
いつか誰かからそうされるのはわかっていたはずだ。アンザーツの生存と、代替わりのため彼を殺さねばならぬことが周知の事実となったのだから。
「手荒な真似をしたからでしょうか?ふふ、すみません。でもあの日秘密を打ち明けてから制御するのが大変なんです。わたしの契約はわたしの力を向上させるためでなく、抑え込むため成されていたものでしたから」
爆発を引き起こした非礼を詫びるとクラウディアはオーバストの正面で立ち止まった。
あのタイミングでそうしたのはエーデルが彼女の秘密を知ってしまわないようにだろう。だがそれは少し遅かった。彼女は彼女の血脈について明かされてしまった。
「傷の治りが悪いのは、その肉体が古すぎるからです」
薄ら刻まれた微笑みに狂気すら覚える。同じように笑う男をオーバストはよく知っていた。
思わず後ずさりした己の手をぐっと掴んで彼は冷酷な目を向ける。
「……何故あなたは魂と器がちぐはぐなのですか?」
見抜かれているとわかっていてもどうすることもできなかった。彼は本来自分の味方で、自分と同じ使命を持って生きる者なのだ。それを手にかけるなど、神に逆らうのと同義であった。
「今はそれよりイデアールを……」
かろうじて言葉を紡ぐが当然聞き入れられるはずもない。
クラウディアはにっこり笑って「わたしはあのときもうひとつ真実を隠しました」と打ち明けた。
「わたしはヒルンヒルトの家で育てられましたが、物心つくまでは別の場所にいたんです。……そう、勇者の盾の塔の中に」
どくん、どくんと心臓が早鐘を打つ。
借り受けた仮の身体が忙しない鼓動に悲鳴を上げる。
「あなたは神に何と仰せつかったんです? オーバストさん――いえ、聖獣ア・バオ・ア・クー」
名を告げられてオーバストは雷に打たれたよう立ち尽くした。
勇者を殺すために生まれ落ちた少年が、透き通ったその声に鋭い刃を握らせる。
わかるんですよと彼は言った。あなたがあの神鳥から引き裂かれた何かだということは、と。
「……見張られているのはわたしなんでしょうか? それともあなたなんでしょうか?」
ようやくクラウディアの手が緩められたかと思うと、彼は傷口のある脇腹に触れて笑みを消した。
「ディアマントをけしかけてエーデルに何かするつもりなら、そのときは容赦しません」
僧衣が風に捲られる。
歪む視界に後ろ姿を見送って、オーバストは祈るよう膝をついた。
******
流石に神具と言われるだけのことはある。鞘から取り出せないまでも、神鳥の剣は大いにベルクの役に立った。
防御のために相手の剣を受け止めるだけではない。イデアールの放った火球を駄目元で打ち返したときは、あちらも一瞬呆然としていた。
抜けない刃と侮った態度がじわじわなくなり、ついには翼を大きく広げて本気になってくる。
ベルクはぜえぜえ息切れしながら結界の中に舞い戻った。さっきから出たり入ったりを繰り返し休憩を挟みながらの戦闘になっている。こちらが城壁の内側へ入ると手出しできず、イデアールの形相は次第に険しいものとなった。
「あくまでもその結界に頼るというなら、まずはそちらから消滅させてくれる!」
頑張れ陛下、めっちゃ頑張れとベルクは胸中で声援を送った。正直イデアールとは速度と強度が違いすぎ、結界なしでは勝負にならない。
掌大の穴からイデアールが鞭のようにしなる炎を放った。ベルクはウェヌスを庇いつつ、ひたすら魔法から逃げ回る。
(あいつの方が上にいるってのがまたマズイよな……!!!)
戦争ごっこは基本的に高い陣地を押さえた者の勝ちである。物を投げてぶつけるのに上から下が適しているか下から上が適しているか考えればすぐわかる。が、イデアールの上を取ろうと思ったら王城によじ登らねばならなかったし、いくらベルクでもそれはできそうになかった。垂直上方に歩く手段があるなら別だが。
「ベルク、勝算はあるのですか?」
「まったくねえ! その辺うじゃうじゃしてる魔物よりあいつひとりのほうが厄介だぞ!!」
さっき白い光に弾かれた魔物たちはまた結界近くまで戻ってきているようだ。連中はあの紅髪の魔族の指示を待っているらしい。
「さあまた結界が崩れてきたぞ? もうほんのひと押しでこの城は我らの手に落ちるだろう!」
イデアールの広げた穴から鳥の魔物が入ってくる。このままでは他の敵と一緒になってなぶられる。なんとか切り抜けなければと神鳥の剣を握り直した。
パシュパシュパシュ、と軽快な弓の連射音が聞こえたのはそのときだ。
「ベルク!!!」
幼馴染の呼ぶ声にハッと顔を上げる。ノーティッツはすぐ側まで駆け寄ってきていた。ベルクとウェヌスは腕を掴まれ、未だ結界の外にいるイデアールを置き去りに城内へと引っ張られる。
「おま、どうしたんだ! まさか思いついたのか!?」
「思いついたのは思いついたけど時間がないから超簡単に説明するぞ!!」
「まああああ!!! 素敵ですわノーティッツ!!!!」
ノーティッツは端的に、簡潔に、これ以上ないほどすっきりと作戦を説明してくれた。
「城ごとあいつらを吹き飛ばす。だからギリギリまで悟られないように引きつけておいてくれ」――と。
「……待て、俺の命の保証はどこだ? そもそもどうやって吹き飛ばす?」
「説明してる暇ないって言っただろ! もう結界が壊れかけてる。お前はいつも通り野性と本能で戦ってりゃいいから!!」
ノーティッツはウェヌスに「ベルクに限界まで防御補助の魔法かけてやって」と頼んだ。魔物もろともベルクを吹き飛ばそうとしているのは明らかだ。なのにウェヌスはそれに気づかず一生懸命幾重にも魔法をかけてくる。
「ノーティッツ、待て。せめて武器を寄越せ」
「えっ? 剣折られたの? ぼくのでもつかわからないけど、はい」
渡されたのはいつも使っている剣よりふた回りは小さいショートソード。ないよりはマシ程度だが、一応他人のものなので口を慎む。
「いいか? 絶対に城内で戦ってくれ。城の中の敵なら確実に全部吹き飛ばしてやる!!」
ドォンと外で大きな爆発音がした。おそらくイデアールによって結界が消滅させられたのだろう。外壁が破られたときと同じように。
ノーティッツはウェヌスの腕を掴んで地下へ続く階段に走っていった。
ショートソードを腰に結わえ、神鳥の剣を斜めに構え、ベルクは敵の襲来を待つ。
何をどうするつもりか知らないが、ともかく腹は括った。
命預けたぜ、ノーティッツ。
結界の維持をやめましょうと提案したのはノーティッツだった。そんなところに魔力を割くぐらいならもう全部攻撃にあててしまおうと。
結界がもたなかったと魔物たちに思い込ませられれば、城の中に誘導するのは容易い。そうして城内が魔物だらけになった頃合を見計らい、真下から特大の魔法を放つのだ。
シンプルイズベスト。これなら母の残した魔道書が適当このうえなくとも何とかなる。
大魔法石の前に立ち、魔力を受け取る準備をしながら落ち着け落ち着けとノーティッツは深呼吸した。
小器用に生きてきて、大抵のことは上手くこなしてきたつもりだが、こんな大きな力を扱うのは初めてだ。
(道理ですんなり送り出してくれるはずだよ……)
あっさりと店はいいから旅に出な、と言ってくれた母の顔を思い出す。男になって帰ってくるんだよ、と。
そう、帰らなければ今日の話は聞かせられない。なんで黙ってたんだと文句も言えやしない。まずは生き残るのだ。魔物が何百匹いようと、何千匹いようと。
「さあノーティッツ君、受け取りたまえ」
魔法石がオレンジ色に発光し、手を突き出したノーティッツの前にその力を集め始める。
パワーアップイベントがあればいいのにとは願ったが、まさか親に頼る羽目になるとは思わなかった。
自分の力で強くなって、自分の力でベルクの旅についていけたらそれが一番だったけれど。
この際我侭は言っていられない。死んでしまったらそこで終わりだ。
「ぼくのものはぼくのもの、母さんのものもぼくのものだ。……ありがたく頂戴しとくよ!」
光がどんどん己の内側に入ってくる。
あっと思う間もなく魔力の海に放り出され、ノーティッツは目を見開いた。
(すごい……)
気がつくとノーティッツは光の中を墜落していた。だが恐怖はない。周囲を照らすオレンジ色は寧ろ懐かしくさえあった。
魔力を伸ばすには普通、ふたつの方法が考えられる。ひとつは魔物を倒し、微々たるながら己の中に蓄積していく方法。もうひとつは同じ血を分けた相手に譲ってもらう方法だ。
魔法石の中に多人数の魔力を溜められたのは、母が魔力変換の図式を描いていたからのようだった。母の術を通過することで、誰の力もみなひとつの規格に変わるらしい。
(そりゃ確かに身内でないと引き継げないな)
何年分、何人分の力なのだろう。力が強すぎて心臓が震える。
これだけの魔力があればどんなことでもできてしまいそうだ。
(やばいな……)
ノーティッツはごくりと息を飲み込んだ。
これはやばい。何かテンションが上がってきた。
城を包んでいた結界も街を包んでいた結界もすべて消え、待っていましたとばかりに魔物たちは城内へ突っ込んできた。もはや遠慮の欠片もない。入口からだけではなく、壁を打ち崩して侵入してくる狼藉者までいる。
ベルクは低く腰を落としてタイミングを待った。ひとりぼっちで戦うなんて久々だ。
(いや、ひとりでもねえか)
ウェヌスの魔法とノーティッツの作戦を信じてやるしかない。剣を振るのが己の役目だ。
突進してくる魔物たちを横一閃、神鳥の剣で凪ぎ払う。
斬りつけることこそできないが、剣圧だけはどんな武器より強かった。風が魔物の足をすくって転倒させる。
とどめを刺すことは考えなかった。それはノーティッツがしてくれると言うし、だったら降りかかる火の粉を払うことだけに集中すべきである。
紅髪の男が入口に現れたのを見てベルクは猛然と走り出した。イデアールに向かってではない。階段に向かってだ。
(追って来いよ……!)
目隠しの魔法くらいかけてあるだろうが、避難所が地下にあるのを悟られたら守り切れる自信はない。いくら宮廷魔導師たちが複数待機しているとは言えあの男には通じまい。
「逃げても無駄だ」
階段を駆け上がるベルクにイデアールは笑った。そうして掌を上に向けると雷撃で天井を打ち砕いだ。
ベルクが二階に着くと同時、イデアールは一階から軽いステップでジャンプしてくる。
振り下ろされた剣を鞘で受け止めた。ガキンと金属の擦れ合う音がした。
(二階は客室だったか?)
一瞬切り結んですぐベルクは後ろに飛び退る。真横にあった部屋に入るとイデアールは余裕たっぷりに壁を破壊しベルクを探した。
攻撃は敢えてしない。遊んでくれているうちはただ逃げるだけだ。
隣室と繋がったドアを開く音に気づいてイデアールがこちらを向いた。指先から氷の刃を飛ばしてくるのですかさず寝台を蹴り上げる。
「そんなもので防げるか」
イデアールは鼻で笑ったがベルクは更に蹴り上げた寝台の上に跳躍した。尖った氷柱はすべてベルクの足元を通過していく。
「!」
ばさ、とシーツを放り投げ視界を覆い隠してしまうとさっき開いたドアから逃げた。沸点が低いのか、攻撃をかわされたイデアールは少し怒ったようだった。
ちらりと覗いた一階には所狭しと魔物たちがうろついていた。人間を探して二階や三階へ移動する者もいる。ベルクを見つけると当然襲いかかってきたが、彼らの頭を足蹴にしてベルクはなお上階を目指した。
城ごと吹き飛ばすと言うのなら、城内は魔物で超満員にしてやるべきだろう。
(どんどん入れよ、どんどん!)
念じれば念じるほど面白いくらい魔物たちはベルクの周囲に集まった。窓から人の姿を見かけた怪鳥もバルコニーに降り火を吐いてくる。
「あっづ!!!」
まだかよと舌打ちしたくなってきた頃、イデアールが再びベルクの前に現れた。
「ちょろちょろと小賢しい。これ以上逃げ場はないぞ?」
そう、逃げ場はもうなかった。
四階の大魔法陣の上、ベルクは不敵に口角を上げる。
ようやく地下で何かが始まったらしい。輝きを放ち、書き換えられていく魔法陣を見てイデアールが眉根を寄せた。
「……貴様、何か企みがあって誘導したな?」
「そういうこった。けど今更気づいたってもう遅いぜ!」
万が一にも親玉が城を脱出しないよう、ベルクは神鳥の剣を振り上げた。一直線にイデアールに向かい飛び込んで行く。
実力差など気にしている場合ではなかった。ノーティッツ、さっさと頼むぞと祈るばかりだ。
「あの魔法陣で何をする気だ? 街を焼いたのと同じ砲撃を放つ気か!?」
退却指示を出そうとするイデアールに全速で剣を叩きつける。だが当たらない。神鳥の剣ではサイズの問題でどうしても大振りになるのだ。己の気性としてもそちらの方が好みではあるのだが。
ベルクは咄嗟にショートソードに持ち替えた。ともかくここにこの男を足止めできなければ意味がない。
フェンシングをするように柄を持ち、速さだけに己を特化し、息をつく暇もないほど攻め立てる。
「無駄だ!」
イデアールは己の頬の間横を通った剣に裏拳を叩きつけた。そうなるだろうとは思っていたが、あっさりと刀身は折れ、壁際まで吹き飛んで行く。
「これで終わりだ!」
イデアールの剣が閃いた。だが魔法陣が完成する方が一歩早かった。
地下から天へ向かってオレンジ色の魔力の塊が、すべてを巻き込みマグマのように放出される。
凄まじい熱と光だった。
王城は一瞬で砕け散った。壁も、床も、何もかも。
足場をなくした魔物たちが墜落しながら焼かれていく。イデアールが黒翼を広げ、逃げようとしたところにベルクはうまく飛び込んだ。
「逃がすと思うか?」
手には折れたショートソード。だがその刃は以前より強靭強大なものとなり甦っている。
ふと見ればノーティッツから預かった右手のバンダナが周囲よりもっと濃い赤色の光を揺らめかせていた。
間違いない。これはあいつの火魔法だ。あの用意周到な幼馴染は、バンダナの中にしっかり呪符を縫い込んでいたらしい。
「っらあああああ!!!!!!」
炎の剣を振り降ろすと下からも追撃とばかり第二波が襲った。
光に飲まれ、ベルクも死んだかと思ったが、温かな白い膜がずっと身体を包んでくれていた。ウェヌスが神鳥の剣に祈りを捧げてくれているらしい。
城の地下へと落ちていきながら、難を逃れた魔物を数える。その大半は都から逃げ出そうとしているようで、中には傷ついた黒竜も混ざっていた。
******
王城で起きた大きな爆発にヒッポグリュプスの注意が逸れた。
その僅かな隙を見逃さず、アラインの剣が魔物のくちばしを根元から斬り飛ばす。
「フオオオオオ!!!!!」
痛みに悶えるヒッポグリュプスに息を切らしたアラインが近づき、最後のとどめを刺そうとした。
上空を飛び回りつつバールはハラハラ戦況を見守る。額の汗は乾く間もなかった。
「行ったれアライン! そこや!!」
バールの声援を受け、アラインは薄く笑った。朦朧としているが剣を握る手にはちゃんと力が篭っている。仰向けに倒れたヒッポグリュプスの心臓部に思い切り剣を突き刺し、返り血を拭うこともできぬまま、アラインと魔物は動かなくなった。まさに精根尽き果てたという感じだった。
「アライン! ジブンようやったな〜!!」
矢も盾も堪らずバールは勇者候補の少年の元に舞い降りる。
今までも彼が陰ながら努力する様を見て感心させられていたけれど、本当に強くなったと純粋に嬉しかった。
バールは正直今でもアラインが勇者に向いているとは思わない。歴代の勇者たちは自分が勇者に相応しいかどうかなど悩みすらしなかったからだ。みな当たり前に勇者として生まれ、当たり前に勇者として生きていた。
だからこそ、こうして一途に勇者を目指そうとするアラインに並々ならぬ好感を持った。本来は彼のような悩み多き人間が人類のため戦うべきではないのかと。
そのアラインがひとりの力でやってみると言い、見事に聖獣クラスの魔物を倒したのだ。今夜は赤飯を炊いてやらねばなるまい。
「はぁ……、さすがにちょっと……、はぁ、頑張り過ぎたかな……」
怖々とアラインが自分に回復魔法をかける。ヒルンヒルトに脅されたせいで光魔法の使いすぎが怖いのだ。
いざというときはバールが彼を引き摺って逃げるつもりだった。だが幸いクヴァドラート戦のような事態にもならず、アラインはしっかり持ち堪えた。これでまた一歩前進したわけだ。
「さあ、今度こそマハトを探そう」
******
光に守られベルクが地下まで降りてくるとノーティッツが壊れていた。
国民や魔導師たちに平伏されつつ、危ない薬でもキメているかのようケタケタ笑っている。
「やばい、超やばい、マジで超絶やばいんですけど」
「……おい? 口調変わってんぞ?」
「うははは、まだまだ死ぬほど魔力ある。うはははは。ベルク、敵ってどれくらい街に残ってる? ちょっと一緒に繰り出そうぜ」
ランチにでも誘うようなノリで残党狩りに誘ってくる幼馴染が流石に少し心配になり、ベルクは「大丈夫か?」と尋ねる。宴の席でもこんなハイになっているのは見たことがない。
「ていうか王城吹き飛ばしたのお前なの? 余所の城壊しといてゲラゲラ笑ってんのどうかと思うぜ?」
「だいじょーぶだいじょーぶ。なんかね、辺境の都ってこういうときのために地下に街を造ってあるんだって。すごいよね。万全だよね。びっくりだよね。だから表は完膚なきまでに破壊してもいいって陛下が仰ってた!」
「いや、完膚なきまでにとは……」
「おい! 陛下ああ言ってんぞ!! おい! ノーティッツ!!」
しっかりしろと頭を叩くと多少は正気に戻ったらしい。
「あっ、ベルク!! 無事だったか!!」
などととんでもなくテンポのずれたことを言い出すのでベルクは頭を抱えた。
「裏門の方にまだデカいのが一匹残ってんだよ。あれを倒せば多分終わりだと思う。あ、全部済んだらまた戻ってくるんで、陛下たちはそれまで篭っといてください!」
行くぞと言ってノーティッツの腕を掴み、ベルクは地上へ駆け出した。ウェヌスまでノーティッツに引き気味の視線を送っている。
おいおい、この女に引かれたら終わりだぞ。わかってんのか?
クラウディアたちと合流し、ディアマントの元に戻ったエーデルは結界の消えた王城を目指そうとして足を止めた。凄まじい魔力の大放出があったからだ。
呆然としていると、しばらくして門からベルクたちが飛び出してきた。
「あ!!」
「あっ!!!」
お互いに指を差し無事を確かめ合う。
「やっぱ着いてたんだな! 魔物とも戦ってくれてたのか?」
「ええ、中には手強いのもいたけど……」
「あと一匹、あっちに残ってる。誰か戦ってるみたいだが手こずってんだ。加勢に行こうぜ!」
ベルクの走る方向へエーデルたちも続いた。クラウディアはにこにこと、ディアマントはムスっとして普段通りだが、オーバストは少し元気がないようだ。石化の傷が治りきっていないせいだろうか。
「敵ってどんな魔物なの?」
「紅い竜だよ! なんか頭がいっぱいあるやつ!」
ベルクの返答にエーデルは内心ほっとする。どうやら自分そっくりのあの男ではないらしい。
(一体何者だったのかしら?)
我が父ファルシュと言っていた。ファルシュとはアンザーツの戦った魔王の名ではなかったか。
(……魔物の血……)
瀕死の母は父が誰かまでは教えてくれなかった。
嘘よねと右手を強く握り締める。考えるのが怖い。
(でももしあたしが魔王の娘だったら……)
クラウディアはそれでも友達だと言ってくれるのだろうか。
彼は勇者の仲間なのに。
アラインがヒュドラの元に到着したのはベルクたちがやって来たのとほぼ同じタイミングだった。
八つ頭の火を吹く巨竜がヒルンヒルトとアンザーツに襲いかかっている。見覚えのある紅いマントはやはりイックスのものだった。彼は容易くアラインの目を奪い、鮮やかな剣技を見せつける。
だがヒュドラには再生能力が備わっていて、攻撃しても攻撃しても倒せないのはそのせいらしかった。
戦場にはまだ人がいた。薄緑の髪を腰まで伸ばした黒衣の女。そして彼女の足元で結界に包まれ蹲っている男。
「マハト!!!」
アラインは戦士の名を叫んだが、それは少しも彼の耳に届いていないようだった。マハトは苦しげに額や胸を掻き毟り、何度も首を振っている。やがてその仕草は小さなものに変わっていき、ぐったりと動かなくなった。
女に何かされたのだ。直感が告げる。
マハトを助け出そうとしてアラインは女に近づいた。
「危ない!!!」
そこへアンザーツの魔法が飛んでくる。女の出した何千本もの針のような氷は強い風に吹き飛ばされ、アラインに触れることはなかった。
「ゲシュタルト! 彼には関係ないだろう!?」
「……あらそうかしら?」
ゲシュタルトと呼ばれた女は邪悪な笑みを唇に乗せた。
途端アラインは試練の森でゲシュテーエンに聞かされた話を思い出す。魔道に堕ちた聖女の話を。
「私の復讐に関係のない人間などいないわ。だって誰もが勇者を求め、私を追い詰めたんだもの」
憎悪の渦巻く紅い瞳は人間のものではなかった。ゲシュタルトが魔物になったというのは嘘ではなかったのだ。
「よそ見をしている場合? アンザーツ」
女が笑い、指を差す。ヒュドラの牙がアンザーツに襲いかかり、ヒルンヒルトが風でそれを切り裂いた。だがまたすぐにその牙も復活してしまう。
「どこかに核があるはずだ。ヒュドラを殺すには全体を一気に消し飛ばすか、核を消滅させるしかない」
ふたりではどうともならないから手伝ってくれと賢者が言った。魔法陣を描こうとした痕跡があちこちに見受けられたが、すべてゲシュタルトに潰されたようだった。
ヒュドラは次々燃え盛る火炎を吹きつけてくる。ヒルンヒルトは同じ炎で勢いを相殺し、連続では操りにくい水魔法を悠々発動させ氷の礫を浴びせかけた。彼らでなければここまで持ち堪えられなかったろう。
「行こう、ベルク!」
「おうよ!」
アラインはベルクとともに駆け出した。
八つの頭にそれぞれアライン、ベルク、アンザーツ、ヒルンヒルト、エーデル、ディアマント、オーバスト、クラウディアが対峙する。ノーティッツは見張り塔の大魔法石の元まで駆けて行き、塔の麓に魔法陣を拵えた。そしていつの間にそんな技術を習得したのかは不明だが、魔法石に蓄積されていた魔力を使い、ヒュドラの腹めがけ凄まじい光線を放った。
「――!!!」
これには全員度肝を抜かれた。さっきの王城の爆発とまではいかないが、それに近い威力がある。
ヒュドラの腹にはぽっかり穴が開いた。塞がるまでにかなり時間のかかりそうな穴が。
「頭を潰す! 同時にだ!!」
アンザーツの声に合わせて一斉に攻撃を繰り出す。剣に斬り落とされた頭もあれば、魔法で切り裂かれた頭もあった。
それで最後だった。
――ぱちぱちと小さな拍手が送られる。音の主を見やればゲシュタルトが薄ら笑いを浮かべていた。
もはや孤立無援となった彼女はマハトの身体を宙に浮かべ、自らも撤退の準備を始める。最初から自身が戦うつもりはなかったらしい。
「イデアールは帰ったようだし、私も欲しいものは手に入ったし、今日はこれくらいにしてあげるわ」
「マハト!! おい、起きろ!! マハト!!!」
アラインは従者に呼びかけゲシュタルトにも飛びかかる。だが寸でのところでかわされた。
どこからか召喚した蝙蝠の背に乗ると、彼女はふわり大空に舞い上がる。
アンザーツとヒルンヒルトが古い仲間をじっと見ていた。そんなふたりにゲシュタルトは忌々しげに吐き捨てた。
「ねえアンザーツ、私ずっと苦しかったわ。……何度も同じ死線を潜り抜けてきたのにあなた何も教えてくれなかった。仲間だなんて言っておきながら、私たちずっとばらばらだったわね」
憎しみに歪んだ瞳は遠い過去だけを睨んでいる。もう変えようのない昔を。
アラインは彼女を見てぞっとした。
勇者のために尽くした女が勇者を憎み、殺そうとしている。まるきり正反対に態度を変えて。
そんなことが起こり得るのかと怖かった。アンザーツはきっと彼女を信頼していたに違いないのに。
「知っていた? ムスケルも私と同じように苦しんだのよ。生まれ変わっても置き去りにされる恐怖に怯えるくらい……」
ねえ、とゲシュタルトは続ける。
「私がどんな思いであなたを待っていたかわかる?」
沈黙するアンザーツに嘲りの笑みを向け、ゲシュタルトは杖に真っ赤な焔を宿した。剣を捨てた勇者を庇うようヒルンヒルトが立ち塞がる。だがそれが彼女の怒りを買い、焔はいっそう大きく激しくなった。
「死にたくても死ねなかった。私はあなたの仲間で、命を癒す僧侶だったから。産みたくもない子供だって産まなくちゃいけなかった。堕胎や自害なんて僧侶にあるまじき行為だった。――あの国は狂ってるわ。あなたがもう戻らないとわかったとき、国王が私に何をしたかわかる? たとえ名ばかりでも勇者の血筋を残すため、私を、私を……!!!」
杖を離れた火炎は真っ直ぐアンザーツに向かった。アンザーツはヒルンヒルトをどかそうとしたが、賢者がそれを許さなかった。
炎は英雄を焼くことなく空中で掻き消える。彼女の思いはアンザーツまで届かない。
ゲシュタルトは震える声で呟いた。
「それでもあなたの言葉を信じて待っていたのに」
堕ちた聖女の笑い声が響く。
その狂った瞳が不意にアラインに向けられて、「可哀想な子」と憐れむ声が滑り落ちた。
どくんと心臓が飛び上がる。聞いてはいけない言葉を聞いてしまう気がした。
名ばかりでも勇者の血筋を残すため。
だってさっきゲシュタルトはそう言ったのだ。
「祀り上げられてこんなところまで来てしまったの?」
耳を塞ごうとして間に合わなかった。
世界はただ真っ黒に塗り潰されていく。
「勇者の血なんか引いてないのにね」
(20120612)