第七話 ヒーナにて






 撤退完了の報告を受け、アペティート帝王ヴィルヘルムは密使に書簡を送らせた。宛先はヒーナ、内容は二国で同盟を結ばないかとの誘いである。
 ヒーナからすればビブリオテークに初陣を取られたアペティートの苦肉の策に見えるだろう。彼らは彼らでビブリオテークを制し損ねたようだから、場合によっては乗ってくるかもしれない。
 だが締結するかどうかはどちらでも良かった。ビブリオテークが「アペティートを攻めるなら今だ」と勘違いしてくれることが重要だった。
(間もなく『あれ』を飛ばせるようになる)
 飛行艇さえ完成すれば戦列艦など不用品だ。ヒーナの気功師軍でさえ強敵ではなくなる。
 試験飛行前に嗅ぎつけられて、帝都に攻め込まれるのが考え得る最も厄介な事態だった。だからこうしてわざわざ陸路を開けてやったのだ。ビブリオテークの愚か者どもは喜び勇んで茨の道にやって来るに違いない。精々今の間に勝利に酔い痴れているといい――。






 ******






「……駄目でした。肝心なことはまったく話してくださいません」
 クライスにあてがわれている小さな部屋を後にして、イヴォンヌは溜め息混じりに報告した。
 オリハルコンと賢者の証を持つ彼女は、ヴィーダとも懇意の間柄だったそうである。破滅の魔法についてわかることがあるなら全部打ち明けてほしいと、あれから何度か交渉しているのだが、にべもない態度は変わることがなかった。
 真っ平らになったイヴォンヌの胸は焦燥に張り裂けそうだった。すぐそこに聖石があるとわかっているのに手出しできないとは。
「そうっすか……。こっちも色々噂話を掻き集めてみましたけど、ドリト島でヴィーダと暮らしてたってのはほぼ間違いないみたいですね。向こうに出入りしてた商人が言ってました」
「穏やかな話ではありませんね、恋人を殺すだなんて……。それともこれが戦争なのでしょうか」
 イヴォンヌの漏らした言葉にマハトは沈黙してしまう。
 クライスはオリハルコンを返すのはヴィーダを殺してからだと言った。けれど殺意の理由に関しては口を噤んだままでいる。
「闇魔法で何考えてるか吐かせられないのか?」
 魔法石で眠る賢者が戦士の呼びかけに応えて半分だけ出現した。重そうな瞼をごしごし擦り、ヒルンヒルトは欠伸を噛み殺している。
「心を開いていない相手に精神干渉するのは危険だ。まして彼女の力が本物なら、私なんかは一瞬で消されてしまうよ。大体今は闇属性もないしな」
 賢者の躍らせた右手には何の刻印も残っていなかった。アラインに力を譲ったとき、彼の五芒星も完全に移ってしまったものらしい。
「……お前天界に戻った方が良くないか?」
「おや、君まで私を仲間外れにするつもりなのか」
「そうじゃなくて。ヘラヘラしてっけど魔法は打ち返すばっかだし、ゲシュタルトより石に入ってる時間も長いし、……心配してんだよ」
 マハトの心配など賢者はどこ吹く風だった。これまで幾多の困難に打ち勝ってきた自信のあらわれか、或いは元々の性格がこうなのか。「大丈夫さ」という軽い返事に戦士の苛立ちが増しているのに早く気づいてほしいものだが。
「ここまで来たら単独で帰る方が難しい。まずいときは石の中に隠れているから頑張って守ってくれ」
「……お前手伝いに来たんだよな?」
「当然だ。サポートは任せろ」
「なんかおかしくねえ? あっおい! おやすみぐらい言ってから消えろ!」
 ヒルンヒルトは再び眠りについたようだ。うんともすんとも言わなくなった魔法石を眺めてマハトがげんなり肩を落とす。イヴォンヌの耳元では「振り回されてるわねえ」とゲシュタルトの面白がる声が響いた。



 首都ではヒーナを、ドリト島ではアペティートを退けたビブリオテークの国民はふたつの大きな勝利に沸き立っていた。モスク中央の尖塔からは街の様子がよく見える。気功師たちに滅茶苦茶に荒らされはしたものの、市場や寺院など重要な施設はしっかり機能しているようだった。
 イヴォンヌは鐘の下でしばし物思いに耽った。己の都とは似ても似つかぬ土の街だが、こうしていると帰るに帰れぬ故郷のことばかり思い出される。
 白亜の城を囲む坂。結婚式を挙げた教会。途中で終わってしまったパレード。
 アラインと初めて会ったのは、確か七つのときだった。将来我々が送り出すことになる勇者ですよ、と母が言ったのを覚えている。以来セレモニーが行われるたび顔を合わせ、少しずつ会話を重ね、会えばなんとなくひと息つける相手になっていた。多分同じように国民から持て囃される立場だったからだろう。「式典ばかりで嫌になる」とぼやく割にアラインは満更でもなさそうで、次第にイヴォンヌも祭日を待ち侘びるようになっていた。
(旅に出る前は普通の男の子だったわ)
 でもちゃんと勇者になって帰ってきた。血統というどうしようもない壁を乗り越えて。
 彼と比べて自分に何ができるのだろう。国のために。王族として、王妃として。
(早くオリハルコンを持ち返らなければ……)
 焦っても仕方がない。クライスの話では待っていればそのうちヴィーダの方から現れるとのことだった。信じるに値する人物かどうかもまだ不明だが、賢者の力を持つ女性相手に無茶をするわけにもいかない。今は彼女の言葉を信用して待つしかなかった。
「援軍の人だよなぁ?」
 不意に背後から声をかけられイヴォンヌは振り返る。尖塔の螺旋階段にはビブリオテーク軍の黒いコートを着た若者がふたり、にやついた顔で立っていた。
「うわー、本当に真っ白」
「こんな肌の色アペティートの奴らだけかと思ってたぜ」
「……何ですか?」
 大柄な男の間に挟まれていい気分はしない。むっとしながら用件を尋ねると、若者たちは「暇なら俺らと手合わせしない?」と誘ってきた。
「手合わせ?」
「そう。モスクの奥に古い礼拝堂があってさ、いっつも俺ら新兵はそこで訓練してんの」
「魔法使いなんだろ? 魔法使ってもいいからさぁ」
 口調こそ親しげだが彼らからは嫌な雰囲気しかしなかった。
 クライスの動向を監視するためマハトは側についていない。戦闘ならいざ知らず、こんなことでゲシュタルトを呼び出すのは気が引けた。
「行こう行こう、ほら早く!」
「ちょっ……!!」
 若者たちは武骨な手でイヴォンヌの腕を掴む。そのままこちらの意向などまるで無視して尖塔を駆け下りた。けらけらと愉快げな態度に顔が歪む。
 わかっている。これはイヴォンヌが貧弱そうなのを小馬鹿にされているのだ。白い肌への嫌悪感も、おそらく火に油を注いでいる。
(マハトと離れるんじゃなかった……!)
 後悔してももう遅い。半ば引き摺られる形でイヴォンヌは礼拝堂に連れ込まれた。
 そんな予感はしていたが、中では十数人のならず者たちが待ち構えていた。年齢は皆十代前半から後半辺りだろうか。こちらより年上の者はいないようだ。柄も良くなさそうだし、正規の小隊というよりは自警団上がりの兵かもしれない。誰も戦場で武器を取って戦うような者には見えなかった。
「何でやり合う? 剣? 槍?」
 逃がすつもりはまったくないようで、バタンと扉が閉められた。ご丁寧にかんぬきまでかけてくれる。
 武器は一応訓練用の模造品らしい。僅かだけ安堵してイヴォンヌは短めの槍を手に取った。彼らがさっさと飽きてくれればいいのだが。
「こんな頭悪そうな奴らの相手するつもりなの?」
 と、耳元で彼女の声がした。さっきマハトに向けていたのとは明らかに異なる不機嫌な声音に思わず肩を竦める。もっと厳しい言葉をぶつけられるかと思ったが、ゲシュタルトはそれ以上何も言わなかった。我関せずを決め込んで早々に引っ込んでしまった模様だ。
「よーし、じゃあまずは俺からだ!」
 こちらが身構える暇もなく、集団の中から体力の有り余っていそうな少年が飛び出してくる。槍を横にして刃を受け止めるが、身体を鍛えたことのないイヴォンヌにとってそれは重い一撃だった。
「……ッ!!!」
 びりびり骨まで響く衝撃に容易く吹き飛ばされる。尻餅をついたイヴォンヌを見て観衆はどっと笑った。体勢の崩れたままで、向かってくる相手に槍を振り回す。あぶねえあぶねえと言いながら少年はあっさりすべての攻撃をかわした。
「ぶん回してるだけじゃ当たらねえよ!」
 模造刀などなくても勝てると断じたのか、少年は敢えて剣を投げ捨て体当たりしてきた。彼は既に成長期も終盤らしく出来上がった体つきをしており、今度は少しも踏ん張れないで壁際まで飛ばされる。げほごほと咽るイヴォンヌに誰かが言った。
「ああ、やっぱそいつ怪我を治す術しか使えないんだな」
 好奇の目に晒されるのも嘲笑を受けるのも人生で初めてのことだった。味方がいないというのはこんなに心細いものなのか。
 いつの間にか槍はイヴォンヌの手を離れ遠くに転がっていた。手合わせとは名ばかりで、少年は蹲るイヴォンヌに思いきり蹴りつけた。
「ぅぐ……!!」
 腕でガードしたと言っても痛いものは痛い。「折れちゃったんじゃねえの」と下卑た笑いが礼拝堂に響く。
「魔法使わないのかよ? スラムのきたねえじじい治してるとこ見たってカプトが言ってたぜ」
「……大事な魔力をこんなところで消費するわけにいきませんので」
 イヴォンヌが全力を出さないことに少年たちは立腹したらしい。罵声に近い響きで「もっと痛めつけてやれ!」と煽られた。
 一体彼らは何に突き動かされてこんなことをしでかしているのだろう。そんなに白い肌が憎いのだろうか? イヴォンヌが彼らを攻撃したわけでもないのに?
(いや……違う、関係ない……)
 同じような問題になら、自分も直面しているではないか。
 手を下したのはイヴォンヌでも、イヴォンヌの両親でもなかった。けれどゲシュタルトの怒りは王族全員に向けられた。肌の色が違うというだけでビブリオテークの民が敵意を持つのも仕方がない。区別など付けられようはずがないのだ。
「ほら、使ってみろよ魔法を!」
「ッ……!!」
 みぞおちを思い切り蹴り上げられ床に伏せる。気絶した程度では物足りないようで、少年はイヴォンヌの髪を掴み無理矢理起き上がらせた。
「……信用できねえんだよ。そんな生っ白いナリで、しかもアペティート帰りのクライスの部屋に足繁く通ってるらしいじゃねえか。数は少なすぎるし、本当に援軍のつもりで来てんのか?」
 吐けよと詰め寄られたところで何も言えることなどない。援軍として派遣されてきたことに偽りはないとしか。
 いつしかイヴォンヌの周囲には少年たちが群がっていた。所謂私刑というものが始められるのだろうか。頭では予測もついたが精神が追いつかない。本能的に逃げ出そうとした腕を誰かが捕まえた。叫ぼうとした口も掌に覆われる。
「喋りたくなるようにさせてやる」
 その声が合図だった。襲いくるであろう痛みに備えてイヴォンヌは目を瞑る。だが不思議にその衝撃は訪れなかった。

「……大嫌いなのよ、こういう馬鹿男は!」

 目を開けばゲシュタルトの起こした風で礼拝堂の中に竜巻ができていた。それは柱や椅子や棚を巻き込み天井のレリーフまで続いている。直撃を食らったらしい何人かが一緒に宙に浮いていた。床を這って逃げる者たちはただ恐怖に慄いていた。
「お止めください! 死んでしまいます!!」
 慌ててイヴォンヌが制すると、長い髪を翻して彼女はフンと魔法を消した。巻き上げられていた物が次々落下し音を立てて壊れていく。覚えたての風の術で少年たちをゆっくり床に降ろしてやると、物も言わずに彼らは逃げ出した。後には怒り心頭のゲシュタルトとイヴォンヌだけが残された。
「……ありがとうございます、助かりました……」
「別にあなたを助けようと思ったわけじゃないわ。あいつらが気に入らなかっただけ。あんな風に抑えつけて、自分たちの思うようにしようだなんて……!」
 ゲシュタルトの横顔はとても平静とは言い難かった。戦慄く肩も、腕も、足元を睨む目も。
 百年も前の不祥事だ。けれどまだ彼女の中では過去にしきれない過去なのだろう。
 アラインは自分の血から逃げなかった。だったら己も誤魔化すわけにいかない。シャインバール二十一世の血が流れていることを。
「怖かったでしょう」
 すみませんと告げたイヴォンヌをゲシュタルトは無表情で振り返る。鉄の仮面の下でせめぎ合う感情を見抜くことはできなかった。彼女はひとこと「早く治しなさい」と痣に目をやっただけだった。






 ******






 気功師たちの船は風を集めてぐんぐん波を追い越して行く。三十分ごとの交代制で、風属性と水属性のある者が船尾に集められていた。
 レギからの指示はすべて闇魔法で伝達されているようだ。最初は周りに合わせて動こうとしたアンザーツだったが、途中からは諦めて倉庫の奥に隠れていた。きびきび動くグループの中にひとりだけ遅い者がいたら目立ってしまう。
(……陸が近づいてきた。あれがヒーナかな?)
 小窓から覗けば水平線の向こうに大陸らしき影が映る。思えば勝手に随分遠くまで来てしまった。ゲシュタルトたちに心配させていなければいいけれど。
 海の飛沫に見入っているとトントンと肩を叩かれた。見れば大柄な男がアンザーツに持ち場へ戻れと言うような仕草で出入口を示している。
(わわわ、見つかっちゃった)
 焦ったが気功師と同じ格好をしていたおかげでまだ不審者とは見なされていないようだった。ぺこりと一礼しアンザーツは倉庫を後にした。――そうしたら廊下にずらりと気功師たちが勢揃いしていた。最後尾ではにこやかにレギが微笑んでいる。

「わたしの懐に忍び込むとは恐れ入った。だが鼠をヒーナに入れるわけにはいかないなあ」

 やれ、という呟きの直後、避ける間もなく雷光や炎、真空波が通り抜けた。いくら精神体と言っても受けられるダメージには上限がある。消し飛ぶかと思ったけれど、なんとか持ち堪えられたようだ。びっくりしたせいで普段の姿に戻ってしまったが。
「い、いったあぁ……!」
 アンザーツは涙目で回復魔法をかけた。このまま彼らの本拠地まで着いて行くつもりだったが、一度退散した方が無難かもしれない。レギはオリハルコンだって持っているのだ。本気になればこの程度で済むはずない。
「ほう、今ので死なないか」
 面白そうに鼻を鳴らすと異国の魔術師は白く輝く杖を振り翳した。補助魔法で肉体を強化しているのだろう、踏み込みが異様に速い。一瞬でアンザーツとの間合いを詰めるとレギは棒術の要領で打ち込んできた。フェイントを交えつつ確実に仕留めようとしてくる。
「ちょっと待って、君と話がしたい!」
「賊が一体なんの寝言だ?」
 ガキンと剣と杖がぶつかる。杖の先から炎が噴き出る。仰け反った僅かな隙にレギは左手で風魔法を編んでいた。刃と同じ鋭さのかまいたちだ。
「――……ッ!!!」
 近頃ずっと天界で緩みっぱなしの生活を送っていたツケだろうか。右腕の落ちた痛みはなかなか、いやかなり凄まじかった。
 血が噴き出す代わりに切断面が蜃気楼のごとく揺らぐ。転がった方の自身の一部は霧と化し、また元の位置に舞い戻った。
 ああ、精神体で本当に良かった。ヒルトにお礼を言わなくちゃ。
「怪しい者じゃないんだよ。ただ話を……」
 こんなところを見られたからにはもう普通の人間と思ってもらえないかも。半泣きになりつつアンザーツは再び説得を試みる。 レギは攻撃の手を休め、ぽかんとこちらを見つめていた。小さな目も口も丸く開いて。
「もしかして……気功師様、ですか……?」
「えっ?」
「わたしとしたことがとんだご無礼を。おい、クヴ・エレ! 丁重におもてなしを!!」
「えっ? えっ?」
 態度を一変させたレギに今度はアンザーツが狼狽する。気功師様、と言ったのだろうか?
「その不死の肉体はかつてお会いしたあの方とよく似ておいでです。さあ、さあ、どうぞこちらへ」
 クヴ・エレと呼ばれた大柄な侍従に椅子の用意をさせると、レギはアンザーツを豪奢な自室へ手招いた。
 金の細工が施された調度品、手触りの良さそうな紅い絨毯。船の中とは思えないほどきらびやかに部屋中飾り付けられている。
 レギは嬉しくて堪らなさそうに皇帝自ら椅子を引いた。
「まさか気功師様にお会いできるとは光栄です。もう何年くらい生きておいでなのです?」
「あ、ぼくは百二十年くらい……というか、気功師様というのは? 君の部下の気功師たちとはまた違う人なのかな?」
「百二十年! 意外と短いのですね。あ、いえ、勿論わたしのような若輩者からすれば豊かな経験をお持ちであると思うのですが……」
 まさか一世紀を越える己の生を短いと言われる日が来るとは思ってもいなかった。確かに封印されている間は眠りこけていただけなので、精神的には見た目通りの年齢なのだと思うけれど。いやしかし。
「そもそも気功師とは畏れ多くも我が父が気功師様から拝借させていただいた名前です。それまで我が国で魔力を持つ者は妖術師と呼ばれ、忌み嫌われておりました。……歴史の節目にお会いできることがあると伝え聞かされてまいりましたが、こうして無事に巡り会うことができ本当に……」
 その後もレギはぺらぺらと喋り続けたが途中から何を言っているのかよくわからなくなってしまった。ともかく自分は「気功師様」なる人物と誤解されてしまったようだ。話を聞く限り、その人物は何千年もの時を旅する死なずの大賢者であるらしい。ひとりなのか複数なのか、それすらわからないという。
(に、人間なのかなぁそれ……)
 大賢者という言葉には引っ掛かるものがあるけれど、王家がよく使う伝説という名の詭弁ではないのだろうか。
「うん? あれ? でもかつてお会いしたって言ってたよね? どこでその人に会ったの?」
「ドリト島ですよ。あの方はいずれあの島が戦場になると予言しておいででした。それは私が皇位についた直後のことだろうと」
 事実その通りでしたと語るレギの目は輝いている。きらきらと尊敬に満ちた眼差しで見つめられ、アンザーツはううっと喉を詰まらせた。
「ぼ、ぼくは多分、その気功師様っていう人ではないと……思うけどな……」
「普通の人間とはまるで違う身体を持っておられるのに? まさか、そんなわけありません」
 若さとは恐ろしい。疑念を挟んですらくれない。
 レギはアンザーツを宮廷まで連れ帰るつもりのようだった。港が近づき、船を迎えんとする人々の声が響いてくる。ゴウンと重い音がして船体は一度大きく揺れた。しばらくすると整列した気功師たちが無言で船を降り始めた。



 外洋の国は大抵そうだが、ヒーナも都は海沿いにある。アペティートやビブリオテークとはずっと海運で繋がってきたのだろう。気候は比較的穏やかなようで、港を吹き抜ける風は暖かかった。
 アンザーツはレギと同じ馬車で宮殿に向かうことになった。皇帝の出迎えにやってきた大臣たちには甚く胡散臭げな目で見られたが、自分でも相当胡散臭いと思うから致し方ない。
「気功師様に粗相のないようにな」
 レギがそう命じても誰ひとりアンザーツを気功師とは見なさなかった。異国の鎧にマントといういでたちで気功師などと言われてもしっくりこないに違いない。それでも皇帝の意に背く者はいなかったが。
「……ねぇレギ……」
「はい、なんでしょうか気功師様?」
 カラカラと回り始めた車輪に合わせてゆっくり景色が動き出す。路傍の人々は大人も子供も馬車の邪魔にならないところで平伏していた。瞳の色はわからないが、黒髪の者ばかりのようだ。住人は皆それなりの長衣を着ていた。街並みは清潔で、靴を履いていない子供がひとりもいない。それだけで豊かな都であるのがわかった。勿論皇帝の車が通るのだから、スラムのような危険な場所は最初からルートに入れていないのだろうが。
「どうしてビブリオテークを攻撃したの? 今まではそんなことしないでも二国の間に入って仲裁してたんだよね? もし気功師軍がビブリオテーク軍に勝ってたらどうするつもりだったの?」
 問いただすアンザーツにレギはきょとんと首を傾げる。何故そんなことを聞かれるのかわからないという顔だった。
「勝てば都は占領するつもりでしたよ。これは気功師様だからお話することですが、わたしは仲裁でも制裁でもなく征服に行ったつもりです。いずれはアペティートにも兵をやろうと思っています。気功師軍は本隊を併せれば五百を越えますから、上手くやれば不可能ではないでしょう」
「……余所の国を手に入れてどうするの? そうしないと困る事情でもあるの?」
 ベルクたちから聞いた話では、ヒーナはずっと中立を保ってきた国だ。それがここにきて急に立場を変えるなど、何か理由があるはずだった。たくさんの魔法使いたちを操ってまで、他国に攻め入る理由。
「わたしは国を強くしたいのです。支配は力の証明でしょう? 弱ければ容易く付け込まれてしまいます。ビブリオテークがアペティートの軍事力を前に、長いこと不当な交易を強いられてきたように」
 レギの言い分にアンザーツは顔を顰めた。理解しようとして何度も言葉を反芻するがどうしても飲み込めない。最近の若い子は、とか言いたくないけれど、最近の若い子は皆こんな考えなんだろうか?
「じゃあ攻撃されないために攻撃するっていうの? それって変じゃない? だって普通やり返されるよ?」
 攻撃は最大の防御という言葉があるのは知っている。だがそれはすべての状況に適応するような真理ではない。
 憮然とした面持ちのアンザーツに、レギは大真面目に「変じゃありません」と答えた。
「自分の方が強いとわかれば安心できるじゃないですか。反撃されても捩じ伏せれば済む話、取るに足りませんよ」
 安心などと言われてはますます不可解だった。国は一匹の獣ではない。そこに暮らす人々の血と思いは脈々と受け継がれる。余程のことがない限り絶えることも有り得ない。一度倒せば二度とまみえぬ相手なら、安心と言うのもわからないではないけれど。
「安心ってそういうのじゃないんじゃないかなあ? うまく言えないけど、ぼくは仲間といるときが一番ほっとするよ。君にはそういう人はいないの?」
「仲間? そんなものは宮中にもいやしませんね。気功師様以外は信用できる者などおりません」
 嫌悪感を露わにした目でレギは吐き捨てた。少年皇帝の表情は何故か闇堕ち時代のゲシュタルトを彷彿とさせる。傷ついて傷ついて、誰の言葉も信じられなくなっていた大好きな彼女。あの頃のゲシュタルトは壊すことばかり考えていた。

「わかった。仲間がいないならぼくと友達になろう」

 ふと気がつくとアンザーツはそんな言葉を口走っていた。レギはまた驚いた顔でこちらを見つめ返している。どうも自分はさっきから彼にとって突拍子もないことばかり言っているらしい。
「と、友達、ですか……?」
「うん。きっと楽しいし、レギも安心できるようになる。だからぼくといて、もう大丈夫だって思えるようになったら戦争なんかやめよう!」
「は、はぁ……。気功師様がそう仰るなら検討してみますが……」
 現時点でレギに侵略行為を止める気は更々ないようだった。だが誰かが死んだり傷ついたりすることを認識していないわけではなさそうに思う。アンザーツと話す傍らで、レギは田畑の実りや人々の様子を隅々まで見渡していた。自分の国を大切にできる王様なら、よその国にだって敬意を持って接することができるはずだ。
「それで、友達というのはどういうことをすればいいのです?」
「簡単だよ。まずはもっと砕けた口調で話すこと。それから一緒に遊んだり、一緒に美味しいものを食べたりするんだ。名前も気功師様じゃなく、アンザーツって呼んでね」
「アンザーツ? 気功師様は個人としての名前をお持ちなのですか?」
「だめだめ。レギ、やり直しだよ」
「……。ええと、アンザーツ、変わった気功師様もいるのだね。わたしが以前お会いしたのはもっと神秘的で底の見えない方だったよ。……いや、あなたも十分ミステリアスだけれど」
 戸惑うレギの手を取ってアンザーツは握手を交わした。
 オリハルコンのことも気功師軍のことも戦争のことも、力尽くならなんとかできるのかもしれない。でもできればそんな方法は取りたくなかった。ヒルンヒルトやゲシュタルトには甘いと言われるかもしれないけれど、レギと話しているうちに戦う以外の道もあるのでないかと思えたのだ。
 聞けば彼はまだ十五歳になったばかりだと言う。アンザーツだって魔物討伐の旅に出たのは十八歳のときだった。そのうえ百歳以上年上なのに、乱暴狼藉を働くわけにいかないだろう。



 流石は海の果ての国、城と言ってもその形状は勇者の国とまったく違っていた。長方形の城壁に赤茶色の瓦屋根、外縁部を巡る掘には深緑の水が張られている。巨大すぎる城門をくぐれば広すぎる広場と横に長く伸びた階段、同じく横長の内殿が見えた。なんというか、あらゆる設計が直線的でシンメトリーだ。そして三日月大陸では考えられないくらい赤い。柱が朱塗りにされているのを見つけたときは、それくらい白いままでもいいじゃないかと思ってしまった。
 レギは広場に馬車を停めさせると、侍従に手を引かせてふわり飛び降りた。先に到着していた気功師軍の面々にごく簡単な労いの言葉をかけ、部屋に戻るよう指示を与える。一糸乱れぬ動きで彼らは兵舎に引き揚げて行った。
「アンザーツ、こちらだ」
 呼ばれてアンザーツはレギの後に続く。階段を上り、庭を抜け、どんどん宮殿の奥へと進んだ。
 おかしなことに、レギの側には侍従のクヴ・エレと自分しかいなかった。普通一国の主が帰還したときは、あちこちから召使が現れてどんどん列が増えていくものではないのだろうか。しかしどんなに見渡してみても、回廊は冷たく静まり返っている。
「あのさ、なんで誰も」
「わたしに護衛は要らない。それに腹の内がわからない者を近くに置きたくないんだ」
「そうなの? じゃあ彼のことは信じてるんだ?」
 アンザーツが侍従を示すとレギは「いいや」と首を振った。素朴な糸目の大男は主君の言葉にがっくり肩を落とす。悲しみを表明するのに遠慮しないタイプらしい。
「こいつは口は利けないし、頭は悪いしパッとしないし愚図でのろまだし、いいところを探す方が難しい。だが馬鹿だからこそ役に立つこともある。権謀術数なんて言葉ははなから理解できないしな。身寄りがないから何家がどうとかくだらないしがらみもない。ついでに金の価値もわからないんだ。いくら積まれてもわたしを裏切らないんだよ」
 そうでなければ誰がこんな鈍臭いのを侍従にするかとレギはわざとらしく嘆息する。そんな彼とは対照的に、クヴ・エレはにこにこ笑顔を取り戻していった。
「仲が良いんだねえ」
「……どういうニュアンスで受け取ったらそうなるんだ?」
 レギの呆れた声にアンザーツはふふふと笑みを零す。なんだ、素直になれないだけでちゃんと仲間候補がいるじゃないか。
「まぁ少なくとも殺伐とはしていないけどね」
 ――わたしは嫌われ者だから。
 どこか諦めたようにレギが呟いた。



 嫌われ者とレギは言ったが、一緒に繰り出した城下町で彼は大人気だった。皇帝になる前もしばしば街まで足を伸ばしていたらしく、レギを見かけた人々は彼のため速やかに道を開けた。そうして無礼にならない程度の距離を取り、固唾を飲んで動向を見守る。アラインが民衆と気さくに話すのとはまた違う付き合い方だった。
「皇帝になられてすぐ出兵なんて大変ねえ」
「ビブリオテークやアペティートが悪さをするからさ。ともかくご無事で何よりだ」
「前皇帝のご崩御は残念だけど、我々にはいい時代が続くよ」
 その服では悪目立ちするからと貸してもらった青い深衣を引き摺りつつ、アンザーツは耳をそばだてる。老いも若きも通りすがる者は皆、揃ってレギの内政手腕を讃えた。
「レギ様が堤防を作り直してくだすってから水害も減ったし」
「その堤防工事のときにレギ様に雇ってもらえてウチは飢えずに済んだんだよ」
「お役人もレギ様の手配でまともなのが来てくれたしねえ」
「商売人とお役所がつるむこともなくなった」
「ああ、長患いしたときなんかも困らなくなったな」
「本当にここ何年かで暮らしやすくなったもんだ」
 民の生活は比較的高い水準で安定しているらしい。皇帝一族への信頼は厚く、レギが兵を出したことに対しても好意的な意見が多かった。ヒーナに生まれて良かったと、心から感謝する者ばかりのようだ。
「すごいねレギ、一体いくつのときから執政に関わってたの?」
「十二の頃だよ。ヒーナは実力主義の国だからね、試験に受かれば何歳だろうと役人になれるし、実績を認められれば同じく高官にも就ける」
「へええ、そんな風にまつりごとをする国もあるんだなあ」
 感心するアンザーツにレギはやや面白くなさそうに唇を尖らせた。その理由がよくわからなかったので、アンザーツは思ったまま「国のためにたくさん勉強したんだね。偉いよ」と誉めた。ビブリオテークに侵攻したことはいただけないけれど、民に好かれる王になるのはとても難しいことだ。それは彼の努力の結果と言えるだろう。
「別に国のためなんかじゃないさ」
 声を潜めてレギが呟く。市場のある大通りを抜けたからか、人通りはぐっと少なくなった。
「足元に自ら火をつける愚か者などいないだろう? 戦争をしに外へ出るなら尚更足場は固めておいた方が良い。治水工事も、賄賂の根絶も、律令の見直しも、わたしがあいつらのためにしたことなんかひとつもないよ。あいつらは馬鹿のくせに口だけは達者で、気に入らないことがあるとすぐ徒党を組んで暴れるんだ。そんなものを相手にするのは面倒じゃないか」
 父親の時代に起きた小規模な内乱について、また地方でも都でも慢性化していた政治の腐敗について、レギはぽつぽつ文句を垂れた。実力主義とは名ばかりで金さえ積めばすぐ役人の資格を得られる区が幾つあったかとか、建てられっぱなしで整備も点検もされていない施設が幾つあったかとか、そんなことを。
「父上は基本的に部下の話を鵜呑みにされていたからな。事なかれ主義の爺が言う耳当たりのいい言葉をにこにこ聞いておられたよ」
 レギはあまり父親が好きでなかったらしい。淡々とした口調に敬愛の念は感じられなかった。寧ろ刺々しいほどだった。
「高官に就いていた連中も大半は己の功績を水増ししていた。だからわたしが気功師たちを使って彼らを脅かした」
 そこまで言うとレギはにっこり口角を上げる。この力は素晴らしいんだと誇らしげに。
「皇帝一族に今まで気功の力を持つ者は誰もいなかった。わたしは幼少時は身体が弱くてね、健康を維持するために気功の研究を重ねていたんだ。でもそれがまさかこんなことになるとは大臣たちも思わなかったのだろう。軍の気功師たちと契約を結んでからは誰もわたしに逆らわない。何もかも思うままだ。民衆はわたしを支持しているから、世論を味方につけることもできないし」
「……」
 アンザーツは何も言えずに瞬いた。政治を綺麗なものにしようというレギの考えは間違っていないと思う。だが気功師を使って脅しをかけるというやり方は些か強引すぎやしないだろうか。それでは完全な独裁体制が整ってしまっている。
「わたしがこんな若さで権威を掌握できているのはすべて気功のおかげさ。国民すべては流石に無理だが宮廷内の人間くらいいつでもどうとでもできる。彼らは不満に思っているだろうけれど、わたしの方が強いとわかっているから結局何もできない。安心だよ」
 また彼の口から安心という言葉が出てくる。そこにこだわるということは、本当はいつも不安で不安で仕方がないということだ。レギは自分で気づいていないのだろうか? なんだか堪らない気分でアンザーツは尋ねた。
「契約で気功師たちの自我を奪っているのかい? 戻してあげることはできないの?」
「アンザーツの頼みでもそれは無理だな。彼らはわたしの盾だもの、それはわたしに死ねと言うのと同じだね」
 国を治める者として確かな資質を備えているレギなのに、心のどこかが酷くねじれてしまっている。
 そっと侍従を見上げると、彼も悲しげな顔をしていた。
「さあ見えてきた。あの丘の上まで競争しよう、アンザーツ」
 人家が途切れ、野原に細い小道しか見えなくなると、レギは大樹の伸びる丘を指差した。木にはいかにも食べ頃ですといった赤い実が生っている。どうやら林檎の木であるらしい。
「つまらない話はもう終いだ。友達と言うのは一緒に遊んで一緒に美味いものを食べる、楽しい相手なんだろう?」
 走り出したレギをアンザーツは慌てて追いかけた。頂上まで一気に駆け抜ける。柔らかい風が頬を撫でていく。
 先に到着したレギが風を纏って枝に跨った。アンザーツはジャンプして彼の隣に並んだ。
「毒入りでないとわかっている食べ物が一番美味しい」
 どれが甘そうか物色するレギに、アンザーツはもぎ取った実を投げて渡す。驚く彼に自分のも選んでくれと頼めば「友達というのはリスクが高いな」とぼやいて大きな実を手渡してくれた。
「ぼくは毒なんか入れないよ。林檎だって勿体無いし」
「……」
 レギはなかなか受け取った果実を口にしようとしなかった。シャリシャリ音を立てながら隣でアンザーツが半分食べ終わった頃に、ようやく齧りつく決意ができたようだった。
「甘い……」
 まだ色々と彼に思うことはある。でもとりあえず伝えたのは「ありがとう」という言葉だった。



 公務の時間がやって来るまでアンザーツとレギはのんびり枝の上で過ごした。林檎を頬張るレギは年相応に幼く、ほんの少し雰囲気が和らいだ気がする。
 でも折角緩んだそれはまたすぐに凍りついてしまった。宮殿に戻ろうと木を降りたところ、道の向こうから馬車が近づいてきたのだ。
「このようなところでお戯れになるのは感心しませぬぞ」
 中から出てきたのは老齢の大臣だった。レギの目がたちまち鋭く細められ、仏頂面の老人を睨む。
「城にいる方がよほど危険に満ちていよう。客人の前で無礼だぞ」
「……申し訳ございません。しかし本当にその方は気功師様でいらっしゃるので?」
(う、うわあああ)
 アンザーツは冷や汗を掻いた。レギが大臣を魔法でどうかしてしまうのではないかと気が気でない。クヴ・エレもおろおろしながら老人に「しーっ」というジェスチャーをしていた。
「貴様、何が言いたい?」
「……いえ、今はやめておきましょう。気功師様が本物かどうかは後になればわかること。それより貴方様がビブリオテークを攻撃なさった件で我々は困惑しております。一体どういうお心づもりでいらっしゃったのです?」
「わからないか? 制裁だ。戦争をやめなければヒーナが黙っていないぞということを示してやったのだ」
 脅しではなく実際にな、とレギが笑う。老大臣は苦渋の顔つきで「畏れながら」と前置いた。
「貴方様のなさることには温かみがございませぬ。亡き皇帝はレギ様の政治手腕を高く評価しておいででしたが、独断の末に他国を侵すなどあってはならぬこと。これ以上は黙って見ておれませんぞ」
「……」
 ハラハラと双方に順に目をやる。手打ち覚悟で進言に踏み切ったであろう大臣を応援したい気持ちはあったが、いかんせんそれを聞く相手の状態が良くなかった。多分レギにはこの老人の思いが伝わらないだろう。彼の黒い目は猜疑に満ちている。
「皇帝が代わったのだから近々家臣も一新せねばならんな。お前もそろそろ暇が欲しいだろう?」
 魔法で何かすることはなかったが、レギの拒絶は明らかだった。大臣のすぐ脇をすり抜け、少年はすたすた通り過ぎてしまう。
 侍従がぺこりと頭を下げたのに倣い、アンザーツも大臣に目配せしながらレギの後を追いかけた。老人は複雑そうにそっぽを向いてしまった。
 ――どうしてレギには周りの人たちが信じられないんだろう。民は彼を慕っているし、侍従は誠意を持って尽くしてくれているのに。あの大臣だってレギが歩み寄れば味方になってくれそうに見えた。
(あ、でもぼくも人のこと言えないや)
 本当のこと、ヒルンヒルトにしか打ち明けられなかった。それが原因でゲシュタルトやムスケルを苦しめた。仲間を、自分を、疑ってしまったから。
(レギも同じなのかなあ……)
 宮殿に戻り、王が寝所に向かってもやはり誰もおらず静かなままだった。がらんとして、何もなくて、真っ白だった世界とどこか似ている。
「気功師様ってレギにどんな言葉をかけてくれたの?」
 藪から棒の問いかけに孤独の皇帝は足を止めた。
 普通の人間ではない何者か。そんな相手にしか心を開けないのには何か原因があるはずだ。それを知りたい。
「……あの方はわたしに力の御し方を教えてくれたんだ。いつかわたしがわたしの星を見つけるとき、きっと気功の力を使うことになると仰って」
「星?」
「運命とか宿命のことだよ。それまでわたしは気功の術を悪いものだと考えていたから嬉しくて。これが磨くべき才能ならばと勉学に没頭したものさ。魔力がなければわたしなど、十五の歳まで生き延びることもできやしなかったろう」
 落ち着きを取り戻しかけていたレギの表情がふと暗く翳る。
 安心という言葉が彼のどこから出てきているのかわかった気がしてアンザーツは目を瞠った。

「レギの側で、誰か死んだの?」

 直感は当たっていた。レギは再びこちらに背を向け歩き出した。
「兄ふたりと姉ふたり。皆わたしが殺したと思っている」
 あなたはどう思うと問われ、少し動揺した。レギが殺したと思うか、殺していないと思うか、答えを誤りたくない質問だった。
 黙ったままでいるアンザーツをちらとだけ振り返ると、レギは落胆したよう小さく息を吐く。
 その華奢な背に、せめてと嘘のない言葉を返した。 多分まだ、彼には「気功師様」の声しか届かない。

「……違うと思うけど、もしそうだとしても友達やめたいなんて言わないよ」

 どうしようもなく弱かったぼくのことをゲシュタルトもムスケルも許してくれた。
 だから今はレギにも大丈夫だよと言ってあげたかった。






 奇妙な友人ができた。十五年間生きてきて初めての友達だ。
 レギと同じ黒い髪に黒い瞳だが、まったく別の生き物のように優しく微笑む。いや、気功師様なのだから人間とは違っていて当然なのだけれど。
「なんだ、クヴ・エレ? ……密書か?」
 アペティートの印が押された封筒を手に取ってレギはがさがさ中身を取り出す。同盟を組まないかという誘い文句にフンと鼻を鳴らした。あの帝王はドリト島を奪われて少し焦っているようだ。
「返事は待たせろ。仲良くしてやる気はないが、すぐに答えてやる義理もない」
「……」
 こくりと頷き侍従は部屋から出て行った。誰もいなくなった自室は不要に広く感じる。今日はずっとアンザーツと一緒だったから尚のことだった。
(妙な人だ、本当に)
 死を知らないからレギの力を恐れる必要がないのかもしれない。だから友達なんて発想ができるのかも。血の繋がった家族でさえ、レギには冷たく当たったのに。
 小さい頃はまだまともだった。病気がちで気功持ちで母親の違う自分を兄たちは蔑みの目で見てきたが、姉はどちらも優しかった。病床のレギに甘い果実や花を届けて、時間があれば隣で本を読んでくれた。いつか私たちに不思議な術を見せてねと言って。
 歯車が狂ったのは長兄が病死してから。数日高熱に苦しんで、最後は内臓が溶けて死んだ。病名はわからなかった。
 レギを良く思わない――母の実家と対立関係にあった勢力がまことしやかな噂を囁いた。あんな死に方は呪いか妖術でしか有り得ない、と。
 姉はどちらもレギの部屋へ来なくなった。家臣が遠ざけているだけだろうと信じた。母はレギに呪詛を吐いた。どうしてお前は術師などに生まれついたのだと嘆いた。
 疑いが晴れるまでだから、と父はレギに監視をつけた。あの父のことだから息子の潔白を信じてはいたろうが、レギが魔力を制御できていないという可能性については否定できなかったようだった。結局それは不信と同じことだった。
 間もなく次兄も死んだ。長兄とまったく同じ症状だった。監視されていたのだからレギの無実は証明されたはずなのに、何故か皆ますますレギを恐れるようになった。
 姉たちは頻繁に「殺される」と零していたらしい。同じ頃、レギも食事に毒を盛られたり、高いところから突き落とされたりするようになった。訴えても取り合ってくれる者はいなかった。
「ご冗談を。それが本当ならどうしてレギ様はご無事なんです?」
 いつもそうやってかわされた。
 宮殿内でレギと母は孤立した。いつ追放されてもおかしくない雰囲気だった。回廊ですれ違った姉がレギに短刀を向けた。彼女はノイローゼになっていた。取り押さえられ、塔に軟禁された姉はやがてそこから飛び降りた。遺書には「呪いで苦しむくらいなら自ら命を断ちます」と書かれていた。もうひとりの姉も精神を摩耗し、物が食べられなくなって死んでしまった。
 父はただ悲しみに暮れるだけだった。原因を追及すれば唯一残った息子まで失うことになる。そう思ったのかもしれない。犯人がいるなら探してほしいと懇願したのに、兄も姉も病魔に奪われたのだとしか言わなかった。それでいてレギを疑っていないとも、ほんの少しも言ってくれなかった。失望するのに時間はかからなかった。
 宮殿には相変わらずレギの味方などいなかった。同じようにひとりぼっちだった母も、疲れ切って弱り果てて、ある朝ついに起き上がらなかった。新しい后を後宮に迎えようとの話も持ち上がり、まるでレギはいない方が良いようだった。
 一生懸命勉強した。少しでも皆に受け入れてもらえるように努力した。でも駄目だった。レギが気功師だというだけで、正当な評価など受けられなかった。皆にとってはレギは最早兄姉を殺した残虐な子供で、排除すべき対象だったのだ。
 このままでは殺されると思った。だから軍の気功師たちを味方につけた。身を守るのにわかりやすい武力が必要だったから。
「レギ、入っていい?」
 回想に沈むレギの耳に、ノックの音とアンザーツの声が響いた。構わないと返答すれば「友人」は嬉しそうに枕を抱えて入ってくる。
「もう湯浴みは終わった? 一緒に寝ようと思って」
「一緒に? そんなの母上にもしてもらったことないよ」
「そうなんだ。ぼくはしょっちゅうみんなで雑魚寝してるけどなあ」
 一体気功師様の生活はどうなっているのだろう。そもそも気功師様はどうやって気功師様になるんだろうか。元は人間だったり、それこそ気功師だったりするのだろうか。
「アンザーツは普段どんな暮らしをしてるんだ?」
 尋ねてから無作法だったかなと悔いた。偉大な存在に問うようなことではなかったかもしれない。だがアンザーツは気分を害した様子もなく、ぽすんと寝台に転がった。
「ぼくのこと聞いてくれるの? 嬉しいよ」
 邪気のない笑顔はかつての姉たちを思い出させる。ずきんと痛む左胸を無視してレギはかぶりを振った。
「百年前、ぼくは勇者って呼ばれてた。魔王を倒して世界を平和に導く使命を負ってたんだ。今はそのとき一緒だった仲間と隠居生活を送ってるんだけどね……」
 遠い国のお伽噺をアンザーツは語り始める。本当か嘘かわからない話を。
 魔法が当たり前の国。人間同士の争いがない国。夢の大地だと素直に思う。アンザーツの話はすべて絵空事のように響いた。それこそ昔、眠る前に姉たちの聞かせてくれた寓話のように。
「三日月大陸についてはまだ造詣が深くないんだ。でもアンザーツが大切にされていたことはわかったよ。気功師様になるような方は、やはり最初から特別なんだね」
 ふたり並んでも手が届かないくらい広い寝台で横になる。アンザーツの話を聞いても彼の苦悩がレギには共感できなかった。 そんなものはめでたしめでたしを手に入れた勝利者の美談でしかない。あまりにも自分からは遠すぎる。
 けれど皮肉っぽいレギの口ぶりにも彼は動じなかった。どころか小さな反発を肯定するよう頷いて、また穏やかに笑う。
「でもぼくは大切にされてるってことをよくわかってなかったんだ。弱さや狡さにいつ気づかれるか、内心いつも冷や冷やしてた。……安心できないってつらいよね。ぼくも長いことぐらぐら揺れていたからわかるよ。大好きな人に大好きだって言ってもらっても、それってどこまで本当なのかなって疑っちゃうんだ。ちゃんとぼく自身に向けて発された言葉なのかなって。そうして自分がその人をちゃんと好きなのかどうかもわからなくなって、どんどん自信がなくなってって、――最後は考えるのもやめちゃった」
「……」
「今日レギと話してて、その頃のこと思い出したよ。君の力になりたいって思った。レギを安心させてあげたいなって」
 ああ、もうやめてほしい。でも嫌なのに言えなかった。この人はやはり古い記憶を呼び覚まさせる。レギにとっては封じておきたい温かな子供時代。豹変する前の姉たちを。
「戦争を止めさせたいなら今わたしを殺せばいい。あなたにならできる」
「ぼくがレギに言うこと聞かせようとして優しくしてると思ってるの? 嘘だと思うなら闇まほ……ええと、気功で見てみればいいよ」
 ほら、とアンザーツは無防備に両手を広げた。彼の言う通り精神世界で嘘をつける者などいない。覗いてみれば嘘か真実かひと目でわかる。
(……友達……)
 なんて甘美な響きだろう。アンザーツは本当に、利害などなしに自分を思ってくれるのだろうか。多すぎる敵からレギを守ってくれるのだろうか。

「――……」

 意を決し頬に触れると目の前に真っ白な世界が広がった。
 奥行きのない空間を埋め尽くす圧倒的な冷たい光。立ち尽くすしかできない心細い風景。
 アンザーツはレギのすぐ側に立っていて、「これが一番ぐらぐらしてた頃のぼくの世界」と懐かしそうに目を細めた。
「レギでふたりめだよ、こんなところまで来てくれたのは」
 今はこっちとアンザーツが手を引いた。急に白い世界が途切れて眼下に青い空が広がる。天界と呼ぶに相応しい雲があちらこちらに浮いており、最も大きな雲の上には美しい神殿が鎮座していた。
 遠い海も島の緑もきらきら眩しい。すべてが色鮮やかだ。
「ぐらぐらがおさまったら世界はまるで違って見える。きっとレギもそうだよ」
 気功師とは即ち預言者のことだ。星の廻りを読んで運命という河に船を渡す。アンザーツは紛れもなく、今レギに託宣を与えたのだ。
(力になりたいなんて、言われたことない……)
 信じてもいいのだろうか。自分の力以外のものを。
 心象世界から復帰してアンザーツと目線を交わすと彼はにっこり頬を緩めた。
「誤解されたくないから先に言っておくね。不必要な戦争を起こしてほしくないっていうのもあるけど、ぼくは操られてる気功師たちを可哀想に思って船に乗り込んだんだ。レギが持ってる白い杖もぼくらの国のものだから返してほしい。でも、それと友達になろうって言ったこととは関係ないから、どうかぼくを信じて」
 白い杖と言われてレギは壁を見やる。そこには先日星空から落ちてきたひと振りの石杖が掛けてあった。
「オリハルコンでできてるんだ。勇者の国の王様を助けるのに必要なんだよ」
 なんだと急にがっかりする。一切のうまみなしに成り立つ関係などやはり存在しないのか。こんな清廉な男ですら見返りをちらつかせてくる。
(そうだ。姉上たちもずっと優しかったのだ)
 血の繋がりがあってもあれだけ様変わりしてレギを殺そうとしたのだから、アンザーツだってどこでどう心が変わるかわからない。こんな風に言ってくれるのは今の間だけかもしれない。
「おやすみレギ」
 漆黒の双眸を見つめているとレギの中に相反するふたつの感情が芽生えてくる。
 どうせこの男も掌を返すに違いないという諦め、今度こそ信じるに足る男かもしれないという期待。
(戦争を止めなくても、オリハルコンを返さなくても、まだ友達でいてくれるのかな……?)
 或いは彼の大切なものを――例えば仲間の誰かを奪っても。
 それならアンザーツのことを信じられるかもしれない。



 アンザーツがヒーナに滞在したのは七日ほどのことだった。誰かと寝食を共にするなど久しぶりで、毎晩穏やかな心地で眠りにつけた。
 薄氷の上でまどろんでいるだけとわかっていても、優しくされれば嬉しかった。今までずっとひとりだったから。
 ビブリオテークがアペティート本土へ上陸するとの情報を得たレギは、二百余名の気功師を率いて再びビブリオテークの首都を目指すことにした。
「……まだ安心って感じじゃなさそうだね」
 やや残念そうに彼は言ったが、無理矢理レギを止めようとはしなかった。






 ******






 暗い。
 寒い。
 吐き気がする。
 頭の奥にずっと靄がかかっている。
 ぼくは何をしてるんだっけ――。

「今日の分できた?」

 ノックもなしに開かれた扉からあの男の声がする。なんだか胸や胃がむかつくが、言葉にならず掻き消えた。
 机の周りに積み上げた呪符の束を指先で示すとブルフは満足そうに鼻を鳴らす。近頃こんなものばかり作らされている。
「ふぅん、俺にも見分けつくようになってきたぜ。これが爆発、これが回復、合ってるだろ?」
 こくりと頷くノーティッツを見て男は笑った。
 何をされたかはわかっているのだ。強い暗示効果のある薬を定期的に投与されていて、抵抗の意思だけを巧みに奪われている。だがそう量を作れる代物ではないのだろう。だから安全策としてブルフは人質を連れてきた。

(気持ち悪い……)

 思考力は落ちているはずなのに、命じられたことには難なく対応できているようだ。机上には飛行艇の設計図らしきものも散乱していて、補強箇所や変更点など記憶にない己の文字で走り書きが残っていた。試験飛行も何度か終わり、間もなく本格運用が始まってしまいそうだ。
 耐えられないほどの目眩にノーティッツは椅子からずり落ちる。じゃらりと鎖の音が響く。
 ブルフはしばらくこちらの様子を眺めた後、「これわかる?」と問うてきた。
 重い瞼をそっと開けば床に転がった何かが映る。
 大きな人形だと思った。ボタンの目玉と毛糸の髪をした茶色い肌の女の子。

「……」

 何がこんなに悲しいのだろう。どうしてぼくは自分を責めているんだろう。
 起き上がれないノーティッツの傍らで、起き上がれない女の子が無造作に掴まれる。

「それ捨てといて」

 背後に控えた兵士に命じてブルフは部屋の扉を閉めた。
 何の呪文かわからない言葉を頭の中で繰り返す。

(……ベルク……)

 早くってぼくは誰に言っているんだろう。
 ごめんって。誰に。






 ******






 ドリト島監視基地から十数キロ離れた海沿いの街にベルクたちは一旦腰を落ち着けていた。
 出撃帰りに部隊を分けるのがアペティートの流行りらしく、西端部の守りに残った部隊にノーティッツがいるのか、帝都に帰った部隊にノーティッツがいるのかわからなくなってしまったのだ。
「……駄目ですね、やはり少尉レベルでは魔法使いがどこに連れて行かれたか知らされていないようです」
 ラウダの身体を隠した大木の下に帰って来たのは美女に扮したクラウディアだった。彼女、いや、彼には兵士たちが行きつけにしている酒場へ潜り込んでもらっている。人家から離れた丘の上で三人と一匹はううんと唸った。
「ったく、なんだって下っ端ばっかり最前線に残してやがんだ? 上層部がケツまくって逃げる軍隊なんかで戦争に勝てっかよ!」
 思うように情報収集が捗らず、ベルクの苛立ちは高まる一方である。赤毛のウェーブヘアをなびかせたクラウディアがきわどいドレスの胸元からアペティート紙幣をどっさり落とし、「これで元気を出してください」と励ましてくれた。
「なあ……日を追うごとに巻き上げてる額が増えてねえか?」
「基本的に女性は特殊部隊にしかいませんからね。飢えた野獣を魅了するくらいは造作もないことです」
「ク、クラウディアさん……」
 ベルクでもちょっと引くぐらいなので坊ちゃん育ちのツヴァングはドン引きだろう。唯一ラウダだけが「頼もしいな」と悪徳僧侶を誉め讃えた。
「ヒルンヒルトも女の格好をさせた途端わらわら群がってくるが、いつの時代もそういう人間がいるのだな」
「おい、俺それつっこまねーぞ」
「わたしは後学のために是非おうかがいしたいですね」
「ク、クラウディアさん!」
 真っ赤になって慌てる青年の反応をクラウディアが楽しんでいる節があるのは見なかったことにしておこう。ノリノリで女装していたぞ、とエーデルに教えるのもおそらく自殺行為だ。
「ま、冗談はさておき、連日の潜入の甲斐あって基地の間取りと外から確認できない倉庫、牢屋のピックアップは終わったぞ。見張りの交代時間も彼らの休憩場所も完璧だ。忍び込むなら明日がいいと思うが」
「なるほど、ありがとよラウダ。そんじゃトンズラこく準備もしとかなきゃな。クラウディア、もうひと稼ぎして食料やらなんやら買い出し終わらせておいてくれるか? 俺はこっちの金で武器の調達に行ってくる。ツヴァングは留守番頼むぜ」
「る……っ!」
 また自分だけ任務なしかと青年は頬を膨らませた。だが申し訳ないが、色仕掛けで兵士から金と情報を引き出したり、闇市で怪しまれずにショッピングしたり、この生真面目な男にできるとは思えない。
「明日はどんぱちやらかすかもしんねぇからな、調子整えとけ。クラウディアもあんま遅くなるなよ」
「ふふふ。遅くなったら察してください」
「一ミリも察したかねえ!!!!」
 どうやって盛っているのかまったくわからない胸を揺らしてクラウディアは夜の街へと消えて行った。その細い背中を見送りながら、ベルクはふうと息を吐く。
「……それにしてもクラウディアさんにあんなことをさせるなど信じられん。この間の基地で武器商人から盗んだ金はどうしたんだ? あれがあれば買い出しくらいいくらでも行けるだろう」
 ツヴァングがベルクにだけ敬語を使わないことには最近気がついた。下町の連中にまでタメ口で会話される自分なのでまったく意には介していないが。
「はああ? あれはお前が使いたくねえって言ったんだろ?」
 これっぽっちも手ぇ出してねえよと伝えると何故かツヴァングが言葉を失う。なんなんだ。なんでそんなびっくりした顔をされなきゃいけないんだ。
「っつーかクラウディアのあれも本人が行ってきますっつってやり始めたんだぞ。昔取った杵柄ですってそりゃあ楽しそうに。俺じゃねーよ俺じゃ」
 聞いているのかいないのか、ツヴァングは時々トリップするため判別が難しい。一緒にいて困るとか足手纏いというのではないが、早く慣れた相方に戻ってきてほしい。ウェヌスも城で酷く心配しているようだ。
(ずっとあいつが横にいんのが当たり前だったんだよな……)
 こんなに長くノーティッツと離れているのは初めてかもしれない。
 何事もなくいつもの調子で「遅かったなあ、待ちくたびれたぞ」と笑ってくれればいいのだが。







(20121111)