「どんなに乞われてもお前だけは連れていけない。たとえお前が拒んでも、私にはそうする理由がある」
 まっすぐにこちらを見つめて彼女が言う。打開できない苦境に追い込まれてなお肩一つ震えさせずに。胸の内の憤りに焼け焦げそうになりながら、その声を聞いていた。拳を握り、歯を食いしばり、くっつきそうなほど眉と眉を寄せながら。
「私はずっと父の名声を勝ち得ようと、王家の威信を取り戻そうと生きてきた。国民の支持さえ集めれば王政はもっと確実なものになると信じて」
 繰り返し見るあの日の夢。ジーアン帝国の圧力に屈したアクアレイアが王族を追放すると決定した、あの運命の日の。
 ついていきたいと言ったのに、騎士としてあなたを守り続けると言ったのに、ルディアはかたくなに受け入れなかった。もはや己は忠義や献身を要求できる立場にはないのだと。それがつらくて、悲しくて、悔しくてたまらなかった。何があっても自分だけは彼女の側にいたかったのに。
「王国の名は泡と消え、私は次期女王でも王族でもなくなろうとしている」
 ルディアは続ける。強い声で。確かな親愛と彼女らしい優しさのこもった声で。「アルフレッド、私についてくるという意味が本当にわからないのか」と。
「私はお前まで私と同じにしたくない。マルゴーへ行けばチャドが召し抱えてくれるだろう。父の幽閉が終わるまで何年留まるか知れない、先の展望もないコリフォ島で人生を無駄にするな! お前には、ハートフィールドの名を栄誉あるものにするという夢があるだろう?」
 ――夢の中でいつも自分は間違える。彼女の説得に応じてしまう。ルディアのためにはできるだけ多くの駒が盤上に残ったほうがいいのではないかとか、そのほうが彼女を絶望させずに済むのではないかとか、大して賢くもない頭を働かせて。
「お前は無名の騎士のまま終わらないでくれ」
 今ならわかる。あの悲痛な囁きがルディアの意図したすべてだったと。彼女はただ、真実アルフレッドの夢が叶うことを願って言ってくれたのだと。
 だってあの時点できっとルディアはわかっていたのだ。コリフォ島に何十年も閉じ込められるような事態にはならないと。イーグレットが生き延びられる可能性は極めて低いと。いざとなれば父親を殺す覚悟で彼女は祖国を発ったのだから。
「ああーッ! アル、ごめん! やっぱ俺あっちに乗るわ!」
 夢の終わりはいつも同じ。呆気に取られるアルフレッドを一人残し、幼馴染が助走をつけて跳躍する。軽々と船縁を越え、友人は主君のもとへ舞い戻る。
 忘れられない。自分の夢も、誰の期待も、何も負っていない背中。彼のあの身軽さが。同時に走り出していたとして、重い鎧をつけた自分では船着場まで跳べなかったろう。
「……ッ!」
 空を掴み、アルフレッドはハッと双眸を開いた。暗闇の中で船が揺れている。夜明けまではまだ遠いのか、室内のハンモックに横たわる仲間たちはスヤスヤと健やかな寝息を立てていた。
「…………」
 小さく息をつき、アルフレッドは肘をついていた備え付けテーブルを離れる。仮眠を取りつつの見張り番など本来は不要なのだが、もうじきアクアレイアに着くと思うと心身を緩ませる気にはなれなかった。
 リマニを出ておよそ一ヶ月半。紺碧だった海の色も次第に緑がかってきて、故郷の近さを思わせる。おそらく残りの行程は数日で消化できるだろう。港が封鎖されているとも聞かないし、何事もなく帰れるはずだ。
(これもオリヤンのおかげか)
 最後まで太っ腹だった亜麻紙商を思い返し、アルフレッドはぐるりと船室を見渡した。以前はあったアクアレイアへの定期船が途絶えていると知った彼は、小型帆船を船員付きでルディアに貸してくれたのだ。しかも乗せてくれたのは敏腕水夫だけではない。彼は自分のところの亜麻紙職人を三人も委ねてくれたのである。「これから印刷業を発展させるなら必要な人材だろう」と言って。
 まったく頭が上がらない。職人たちは技能を伝え終わればまたリマニに帰るのだが、このうえない支援だとルディアも大いに感謝していた。
 彼女が主君の顔でいてくれるとアルフレッドも安心する。自分も騎士の顔をして隣に立っていていいと思える。
(早くアクアレイアに着けばいい)
 ハンモックに沈んで眠るルディアを見やり、目を伏せた。祖国へと近づくにつれ口数少なくなっていく彼女を。
 帰ったら忙しくなるとルディアは言った。それは多分、余計なことを考える暇がなくなるということだ。彼女だけでなく己もまた。早くそうなってくれるように祈る。船の上にいるとどうしても同じ夢にうなされるから。
(意味がない。あの日に戻ってやり直したいなんて願っても)
 後悔は明確な形をもって自分自身の選択を責める。あのときまで確かに主君の信頼は一番にアルフレッドに置かれていた。それが容易く覆ることはないと感じたからこそ遠く離れる決断ができたのだ。
 今はどうだと自問する。くだらぬ苦悶を反芻し、敗北感に飲み込まれそうになっている。
 はたしてこんな体たらくで自分は彼女の役に立てているのだろうか? 騎士として果たすべき務めを、これから果たしきれるのだろうか?
 物音を立てないように甲板へ出て、身に馴染んだ潮の香りを深く吸い込む。無意識に探り当てた剣はまだ掌に馴染まなかった。失くしたバスタードソードの代わりに買った、新しい片手剣は。
(伯父さん……)
 初めて自分に道を示してくれた人。長い努力と研鑽を証明するものをくれた人。
 あの剣があればもっと揺らがないでいられただろうか。誰かと自分を、誰かの幸福と自分なりの尽力の結果を悲しく比較することなく。









(20180429)