トナカイにそりを曳かせた男たちがフスの岬を出発して間もなく、コグ船もコーストフォートへの帰路に着いた。帆船は懸命に櫂漕ぎせずとも風力で進むけれど、甲板に積もった雪を下ろすのは人間の仕事だ。ようやく作業を完遂し、アルフレッドはふうと大きく背伸びした。船縁で父親と雑談に興じる幼馴染を微笑ましく見やりつつ、ルディアのいる船倉へ向かう。
 多少すれ違いはあったものの、収まるところに全部収まってくれて良かった。戦闘の真っ最中に身動きが取れなくなったときはどうなることかと焦ったが、終わり良ければ全て良しだ。くよくよと己の無様を反省するより少しでも鍛錬に時間を割くべきである。
(隊長として他の隊員に負けていられないからな)
 命がけで、レイモンドは二度も王女を救おうとした。頼もしい反面、どうも水をあけられている気がして不安になる。できるのは日々の研鑽、つまり稽古だけだけれど。
(さて、姫様の手は空いているだろうか)
 手合わせの相手になってほしくて客室に急ぐ。ノックした扉を開くと寝台に腰かけて何やらカチャカチャやっている彼女の背中に声をかけた。
「すまない、ちょっといいか?」
「うわあっ!? な、なんだお前か」
 びくりと大仰に肩を跳ねさせ、ルディアはこちらを振り返る。集中していてノックの音が耳に入っていなかったらしい。何をしているのかと覗けば彼女の手には細い革紐、それにフサルク文字の刻まれたセイウチの牙が握られていた。
「ん? それはレイモンドの?」
「あ、ああ、直していたんだ。一度ばらばらになると効果がなくなるとかで、イェンスが新しいのを作ってやったみたいだが……これはこれで捨てなくてもいいだろうと思ってな」
 結び目を固く絞るとルディアはこちらに首飾りを突き出してくる。「お前からレイモンドに渡してやってくれないか?」と言うので受け取ろうとしたら直前でスッと引っ込められた。
「……いや、すまん。やはり私が自分で渡す。改めて礼も言わねばならないし、今のは忘れろ」
 言うが早く彼女はお守りを懐にしまう。ルディアにしては珍しい前言撤回だ。というか今のが初めてではなかろうか。更に彼女はさっさと話題を変えようと捲くし立てるような早口で用件を尋ねてくる。
「それでなんだ? 剣の相手でも探しているのか?」
「…………」
「アルフレッド?」
「あ、ええと、そうだ。甲板の雪を片付けたからまた降ってくる前に、と」
「わかった。では行こう」
 ひらりとベッドから降りて王女はつかつか大股で歩いていく。その横顔に、アルフレッドはしばし目を奪われた。

 ――お前はそうでもあっちはわからん。現に女の顔をしていた。

 耳の奥でかつてルディアにちくりとやられた台詞が響く。アニークの世話を焼いていたとき、親切はほどほどにして手は出すなよと苦言された。
 どうして今そんなことを思い出すのだろう。収まるところに全ては収まり、ルディアはもう元通りの彼女なのに。まるで何かがすっかり変わってしまったように。
「…………」
 呆然と薄赤い頬を見つめる。それが何を意味するのかもわからないまま。
 めでたしめでたしで閉じた幕が悲劇の前座であったことを、騎士はこれから知ることになる。









(20170428)