――どうしたらいい。
 ――どうしたらいい、オリヤン。
 ――俺はなんて罪深いことを。

 己の所業におののく男の幻影が、眼前で似たような顔をしているレイモンドの姿と重なる。若者は気絶したらしい友人を腕に抱え、あの男よりはまだしもしっかりした態度で「館に運んで大丈夫かな?」と聞いてきた。
「あ、ああ、もちろんだ」
 すぐ了承してオリヤンは玄関を開く。どうして急に倒れたのか訳を尋ねればレイモンドは忌々しげに舌打ちした。
「助けたのがカーリス人の――親の仇の息子だったんだよ」
 えっとオリヤンは目を瞠る。振り返って見てみたら馬車の子供を抱き上げたパーキンが「ご無事で良かった、ジュリアン様!」と猫撫で声でゴマを擦っているところだった。
「お、お前はパーキン・ゴールドワーカー!? それじゃここはまだラザラス一派の勢力圏!?」
「いえいえ、違いますよ! ボクが皆さんにお願いしてお坊ちゃんを救出していただいたんです!」
「え、ええっ!? いや待て、そうやってまた僕を騙すつもりだな? 離せ! ラザラスにさらわれたのだってそもそもお前が……」
「いやいや! 本当にお助けしたんですって! まあお父上にちょいと謝礼をいただこうとは思ってますけど」
 金細工師はゲヘヘと卑しい顔で笑う。金持ちの子供としか言わなかったくせに、彼が最初から被害者の身元を知っていたのは明らかだった。
 ジュリアンといえば共和都市の豪商、ローガン・ショックリーの愛息である。カーリス人とは敵対しているアクアレイア人のブルーノやレイモンドにそんな重大な事実を黙っていたのは故意としか考えられなかった。
「……どういうことだね?」
 不快感を滲ませてオリヤンはパーキンの首根っこを掴まえる。背後の怒気に「ヒエッ」と肩をすくませながら金細工師は笑顔で誤魔化そうとした。
「ど、どど、どういうこととは? ボク何かしましたでしょうか?」
「していないとは言わせんぞ。お前たち、どうやら顔見知りらしいじゃないか」
「い、いやあ、盛り上がってる皆さんに申し上げにくくって、ついお伝えするタイミングを逃してしまってですね」
「その子を奪い返す理由がなくなると困るから隠していたんだろう? 父親に謝礼を貰うとか聞こえたが、初めからそれが目当てだったんだな?」
「い、いや、あはは! まさかそんな」
 金細工師はなお言い逃れようとしたが、信じてやる気は起きなかった。既に一人の青年が深く傷つけられたのだ。彼の卑怯なやり口は許しがたかった。
「ちょっと、ブルーノさんどうしたの!?」
「なんでそんなぐったりしてんだ!?」
 と、そこに井戸水を飲み終えたタイラー親子が戻ってくる。主館の玄関にはまだレイモンドが留まっていた。
 オリヤンは詐欺師の抱えた子供ごとパーキンをふん捕まえる。腹立たしいが、今は彼に構っている暇はない。先にブルーノを介抱してやらなければ。
「すまない、親方殿。この二人を倉庫に放り込んでおいてもらえますか」
「へっ!? は、はあ、倉庫ですか?」
「ついでに私が行くまでマヤさんと見張りに立っていてください。事情は後でお話しします」
「はあ。よくわかんねえですが、わかりました」
 半分キョトンとしたままで人形遣いの親子はパーキンとジュリアンの身柄を引き受けてくれる。ずるずると連行されていく金細工師らに冷たい視線を送りながらレイモンドは客室に足を向けた。
「親の仇というのはローガン・ショックリーのことかね?」
 若い友人を追ってオリヤンも通路に並ぶ。「ああ」と苦く頷いたレイモンドに更に詳しく聞こうとすると、もっと苦い顔でかぶりを振られた。
「悪い、オリヤンさん。世話になってる身で言えないっつーのも筋の通らねー話なんだけど、今はとても……」
 空気が重く張り詰める。ブルーノを案じるレイモンドの気持ちは痛いくらい伝わったので、オリヤンもそれ以上尋ねるのはやめにした。
 誰にでも容易に他人に触れさせられない傷がある。痛みが深いなら尚更だ。
 両瞼の古傷にオリヤンはそっと指を這わせた。そんな仕草に気づくことなくレイモンドは廊下を急ぐ。彼とブルーノにあてがった一番上等な部屋に着くと、レイモンドは姫君にでもするように丁重に友人を寝床に下ろした。
「…………」
 横たえられた剣士はわずかな身じろぎもせず、死人のごとく沈黙している。まるで通夜に迷い込んだ気分だ。同じ不安を感じたのか、レイモンドが手首を握って友人の脈を取った。
「……なんでこうなる前に気づけなかったんだろ」
 眠る病人の白い顔に悔恨の眼差しが注がれる。重たげな呟きは波紋となって静けさを際立たせた。
 嫌な感じだ。何か悪いことが起こりそうな。或いはもう取り返しのつかないことが起きてしまった後のような。
 耳の奥に遠い慟哭が甦る。とんでもない罪を犯してしまった、俺は呪いを人に移したかもしれないと、恐れおののく男の声が。
 変えられない過去を嘆くのは不毛だし、変えられるかもしれない未来を嘆くのはもっと不毛だ。「大丈夫さ」とオリヤンはレイモンドの肩を叩いた。かつてイェンスに告げたのと同じ言葉を繰り返す。
「できる限り力になるよ。過ぎてしまえば不幸なんて大抵はなんでもないことに変わるんだ」
 レイモンドは少し笑ったようだった。だがその笑みは、多分に悲哀と自嘲の色を帯びていた。
「そうなってほしいけど、難しいよ」
 若者の手が若者の手に重ねられる。握り返すかに見えたブルーノの指先は、その温もりを振り払った。
「……起きなさそうだし、パーキンのほう問い詰めに行こうぜ」
 剣士の瞼は固く閉ざされている。拒絶の態度は無意識の産物らしい。
 友人に薄い毛布をかけてやるとレイモンドは部屋を出た。憂悶に満ちた横顔は、苦しみ、戸惑い、何度も自分に失望しながら、それでも仲間を守り続けた若かりし彼の父親と、やはりそっくりなのだった。









(20160620)