「殺すなら殺しなさい。私とて一国の王女、無様に命乞いなどしません」
キッと賊を睨み据え、ルディア・ドムス・レーギア・アクアレイアは告げた。荒縄で縛られていようとも、剥き出しの冷たい石床に転がされていようとも、品格だけは損なえない。それがアクアレイア王国で最も尊い家に生まれついた者のさだめだ。愛する故郷のために最後まで最善を尽くせるか。まさしく今、ルディアは王族としての度量を試されているのだった。
「どうしたのです? 私が邪魔で攫ってきたのでしょう?」
返事はない。冷え冷えと暗い闇に立つ誘拐犯は擦り切れたケープのフードを深く下ろし、容貌はおろかわずかな表情も窺わせなかった。カンテラの灯火も、カビ臭い湿った通路に揺れるシルエットを映し出すのみである。
おそらく賊はグレディ家の差し金だろう。老獪な女当主グレース・グレディが昨春の海難事故で急逝して以来、分家もやっと大人しくなったと思っていたのだが。
(まさかこんな大胆不敵な犯行をやってのけるとは……)
ぎり、とルディアは唇を噛んだ。一生の不覚だ。明日は王国の未来を決める大切な一日だったのに。隣国マルゴーと結んだ新たな軍事協定、そして同国の王子チャドとの結婚を大々的に発表するはずだったのに。
これから我が身に何が起きるか、さしものルディアも想像して震えた。縁談を白紙に戻す、グレディ家ならやりかねない、暗殺よりも残忍な方法――それは容易に推測できたから。
「ッ!」
不躾な手から逃れようとして壁に背をぶつける。砂粒がぱらぱらと長い髪に降りかかった。身を汚すのも厭わずにルディアは石床を這う。だが行く手にはぬらりと影が立ち塞がった。
「わきまえなさい! 殺せと言っているのです!」
血の気が引くのを堪えて命じる。ナイフでひと突きにされたほうがまだましだ。少なくとも女としての尊厳は守られる。
辱めを受け、ただでさえ不人気な王の顔に泥を塗りたくはなかった。妃だけでなく一人娘にまで先立たれる父を思うと不憫でならないが、王族が生き恥を晒すわけにはいかないのだ。
「離せッ! 離しなさいッ! イヤー! せめて処女のまま死なせてー!」
「姫様!」
と、そのとき闇の奥に若い男の声が響いた。神の救いだ。もぬけの空の寝所に気づいて誰かが探しにきてくれたのだ。
賊の注意が逸れた隙を突き、ルディアは思いきり体当たりした。キャアッと叫んで刺客がよろめく。足は拘束されていない。迷わず声のしたほうへ駆けた。
「騎士様、お助けくださいまし!」
だがすぐにこの判断は誤りだったと判明する。現れた男はおっかなびっくり柔らかな身を抱き止めたのち、そっと後ろへ押し返したのだ。
「ああっ! い、いいところへ……! み、見ての通り、待ってる間に姫様が起きちゃって……」
「や、その、僕のほうこそ遅れてごめん。皆なかなか寝ついてくれなくて」
やって来たのは助けではなく敵の応援だったらしい。前後に挟まれる格好となり、いよいよルディアは退路を失う。
「……だ、誰か! 誰かいないの!?」
声の限りに助けを呼ぶも、人里離れた場所なのか悲鳴は空しく響くばかりだ。間もなくルディアは床の上に引き倒された。
「ごめんなさい、ごめんなさい」
ぺこぺこ詫びつつフードの賊が髪を掴む。波打つルディアの海色の髪を。
「……ッ!」
肘が当たってカンテラが倒れたのは直後だった。一瞬大きく揺らめいた火はもう一方の賊の姿を明々と照らし出した。
「あっ!?」
見知った顔にルディアは愕然とする。よもやこんなところにまでグレディ家の魔手が伸びていたなんて。
「ブルータス、お前もか……!」
「ひ、姫様! 申し訳ございません!」
青ざめた剣士は平民らしい恐縮した態度でルディアに覆い被さった。
情けない。己の直属部隊から裏切り者を出すなんて。しかもこの男の父親はルディアにとって命の恩人だったのに。
「ご無礼を、お許しを!」
若者の震える両手がルディアの喉を締め上げた。
そうしてそれが、ルディアが王女として見た最後の光景になったのだった。
(20150215)