このサイトに置いている15話は「初稿」です。正式な「最終稿」は7月以降ノベプラ、なろうにアップします。
大幅な修正が予測されますこと、予めご了承ください。またSNSなどで関連ツイートをするのも7月以降でお願いします。
目覚めたルディアの双眸に映ったのは見覚えのない天井だった。
賊のねぐらにしては意外に小綺麗だ。寝かされていたベッドも硬すぎるとか臭うとかいうこともなく、さっぱりと清潔である。
鎧戸の隙間からは朝の光が漏れていた。もう夜は過ぎたらしい。
誘拐されたはずなのに腕も足も縛られておらず、どういうことだと困惑する。ともかくもルディアはそろそろ起き上がった。ここがどこなのかは不明だが、王国本島のどこかには違いない。なら隙を見て王宮に戻らなければ。
結婚間近の王女が消えてレーギア宮は今頃大騒ぎになっているはずだった。婚姻の発表は九時の鐘と同時にと言われていたのを思い出す。はたして今から間に合うだろうか。ずっと気絶していたので絶対にとは言えないが、我が身の純潔はまだ奪われていないようである。賊どもに見つからないように、しかし素早く出て行きたい。
(部屋の鍵もかかっていない……)
不用心だが願ったりだ。ほくそ笑み、ルディアは薄暗い廊下へと滑り出た。
こそこそと忍び歩いて出口を探す。するとすぐ下へ続く階段が見つかった。上階からは人の歩き回る足音が響いていたが、同フロアや下階には気配自体を感じない。見張りすらいないなど妙だなと首を傾げつつ階段を下りていく。
踏まないように長い髪を持ち上げておこうとして、ルディアはあるべき己の髪がばっさりと切られているのに気がついた。思わずあっと叫びかける。姫の可憐さと王族の威厳を醸し出すために腰より長く伸ばしたのに。何年かけたと思っているのだと悔しさに歯噛みした。いや、しかし、髪だけで済んできっと幸運だったのだろう。
階段を下りきるとわずかに開いた扉がある。覗いてみれば奇妙な部屋が目に入った。台のついた壁に向かって一定間隔に並ぶ小椅子。小椅子の前には銅を磨いた丸鏡。ほかにはカツラや髪飾りがあちらこちらに置かれている。
「……床屋……?」
昔読んだ騎士物語にこんな店が出てきた気がする。だが部屋の種類の見当がついても困惑は深まるばかりだった。なぜ床屋が一国の王女をさらうのだ。
(いや、待てよ。ブルーノの実家は確か整髪店だったな)
一年前に行わせた防衛隊員の身辺調査。あのとき剣士が理容師コンラッド・ブルータスの息子だということを知った。なるほどやはりこの店は逆賊どもの本拠地であるらしい。
室内は無人だったのでルディアは中へと踏み込んだ。店の扉から出て行けば大鐘楼の屋根くらい見えるだろうと思ったのだ。国民広場まで出れば城はもう目と鼻の先。誘拐犯など一網打尽だ。
ルディアはさっと店内を走り抜けようとした。そうしてぎょっと目を瞠った。
「ブルーノ・ブルータス……ッ!?」
誰もいないと思ったのに鏡に賊の片割れが映る。慌てて後ろを振り向くが、奇怪なことに室内は無人のままだった。
「えっ……?」
見間違いだったかと金属鏡に目を戻す。だがやはり、何度見てもブルーノ・ブルータスはそこにいた。なぜかルディアと同じ動作を取りながら。
「え…………?」
たじろぎながらルディアは店の出口へ後ずさりした。明るいところで事実をきちんと確かめなければならなかった。
まだ夢を見ているのかもしれない。だってそんなことあるはずない。他人と身体が──魂が入れ替わっているなんて。
「おーっす! おはよ、ブルーノ!」
明るい声が真後ろで響く。びくりと肩をびくつかせ、声の主を仰げば側には背の高い金髪の青年が立っていた。知っている顔だ。名前は確かレイモンド・オルブライト。王都防衛隊の一員である。
「昨日はあんまり眠れなかったの? なんか顔色悪いよ?」
長身の陰からひょこりと顔を出したのはピンクの髪の小柄な少女。彼女とも一度宮殿で会っていた。ブラッドリーの姪のモモ・ハートフィールドだ。
「ふわーあ……ブルーノさんもまだお布団にくるまっていたいですよねえ」
大あくびをする緑髪の少年はバジル・グリーンウッド。眠たそうに目を擦りつつ彼はモモの隣に収まる。
「ひとまず急ごう。そろそろ九時だ。国民広場の警護は海軍がやっているとは言え、防衛隊も遊んでいるわけにいかない」
堅物そうな太い眉、夜明けの空に似た赤髪の青年がそう呼びかけた。彼らはどうやら今日から始まるカーニバルの自主警邏に出るつもりらしい。
(アルフレッド・ハートフィールド……)
己の騎士に任じた男は主君がすぐ目の前にいるのにまったく気づいた様子がなかった。槍兵も弓兵も斧兵もルディアをブルーノとして扱う。
一体何がどうなっているのだ。考えても考えてもわからなかった。
持ち上げた手を見つめてみる。節くれたそれはどう見ても男のものだった。清らな麗しき乙女の、私の身体はどうなってしまったのだろう。
「あ、ブルーノってばグローブ忘れてきてるじゃん。取りに戻る?」
目ざとく装備の欠如に気づいたモモがそう尋ねてくる。「特別報酬もないのにやっぱやる気出ねーよな!?」とレイモンドが勝手にうんうん頷いた。「モモさえいれば僕はなんでもいいですけどね!」と聞いてもいないのにバジルが語る。
「お前たち、いいから急げ! グローブなら兵舎に予備があるだろう!」
アルフレッドに急き立てられて三人は小走りに路地を駆け出した。これからニンフィへの左遷を命じられるなど夢にも思っていない顔で。
ルディアはまだ呆然と動けないでいた。己に何が起こったのか、どうすれば元の肉体に戻れるのか、一つもわからなかったから。
「どうしたんだ? ほら、行こう」
橋の上から騎士がこちらを振り返る。朝日を反射して輝く水面に目を細めて。
あの日から随分遠くへ来てしまった。
彼らとともに歩んだこと、後悔はしていない。
けれど私は彼らに十分応えることができたのだろうか。
彼らの好意と献身に見合うだけの報いを与えてやれただろうか。
──それだけがいつも。
(20210405)