何の因果か知らないが、自分とウェヌスは生者でありながら死者の国へと迷い込んでしまったらしい。
 事情のわかる男に会えたのだけが不幸中の幸いだ。分け目が以前と逆になったオーバストにベルクは尋ねた。「落っこちた穴から出れば帰れんのか?」と。
 オーバストは困ったように首を振る。
「多分一方通行ですよ。こういう道は入ったところから出られるとは限らないんです。それにベルク殿は空から落ちてきたわけですし、飛んで戻るのは無理でないかと……」
「そうか、それもそうだな……」
 頭を悩ますベルクにオーバストはわかる範囲で色々説明してくれた。魔王の間に黄泉への扉を開いた何者かがいるだろうこと、その何者かもおそらく穴に飲み込まれこちらに転落しているだろうこと、早急に神具で穴を塞がねば、いずれもっと多くの生者が吸い込まれるだろうこと――。
「え、普通にやべーじゃん」
「そうですよ。もしベルク殿の言う通り本当に玉座が消失していたなら大変なことです」
 オーバストの推定ではその何者かが魔王の玉座を有しているに違いないとのことだった。椅子引き摺ってほっつき歩いてるなら案外早く見つかるかもと周囲を見回す。そうしたら「神具は形を変えているかと思いますが」と苦笑いされた。
「でも大丈夫ですよ。ベルク殿が神鳥の剣を通じて神具に呼びかければいいんです。何百万という魂が彷徨っていようと、呼びかけに応じられるのは神具を持った者だけですからね!」
 爽やかなオーバストの光る歯にベルクはエッと後ずさる。何かさらりと難しいことを言われた気がする。
「呼びかけるってどうすればいいんだ? おーい聞こえるかーとか言えばいいのか?」
「違います。呼ぶというよりお祈りに近いですね。魔法陣を作るイメージで相手に信号を発信するんですよ」
 お、お祈り?魔法陣?
 苦手な単語がドンと並んでベルクの口元が引き攣った。
「俺そういうスピリチュアル担当じゃねえんだけど……」
 魔力の魔の字もない自分に魔法陣のイメージなんかはなから無理だ。大体兵士の国には祈るという習慣がない。
「え、でも天界では神具と通じ合って形状変化させてましたよね?」
「いや、あのときは俺も必死だったし」
「一度できたんですから大丈夫です! 私も応援しています! フレー、フレー、ベルク殿!!」
「そういう運動会の保護者みたいなノリはよせ!! 余計できなくなる!!!」
 ぎゃあぎゃあと騒がしいベルクたちを一列に並ぶたくさんの魂がじろじろ眺めてくる。
 早歩きで進みながら「えー、神具さん神具さん応答ください」と試しに呼びかけてみたが一切何の反応もなかった。
 というか剣に話しかけるなど恥ずかしい以外の何者でもない。故人から貰った剣に故人の名をつける風習はなくもないが、その名を呼んで可愛がる剣士にはお目にかかったことがなかった。無機物にこんな懸命に話しかけて、お人形遊びの女の子か俺は。
「うーん、もっと心から呼びかけないと届かないのではないですか?」
「これが俺の精一杯だ!! つうか相手が誰かも知らないで呼びかけもくそもあるか!!!」
「あ、ではアライン殿に呼びかけるのはいかがです? ご心配なさっているでしょうし」
「へ? あ、アラインに?」
 そうか、神具同士が結びついているならそういうこともできるんだなと納得する。
 あいつに向かって念じるくらいならまだいけるかも。そう思ってベルクは真剣にオリハルコンと向かい合う。前へと進む歩も止めて、その場にドンと腰を下ろした。
(アライン、アライン、アライン返事くれ。おーいアライン俺だー。おーいベルクだー)
「…………」
 同じセリフを脳内で三周したところでじわじわ正気に返り始めた。
 神具は相変わらず反応なし。ベルクの羞恥心だけがマックスだ。
「ベルク殿、ほら、声に出してください」
「あ、あ、アラインくーん? 助けてー?」
 真っ赤になりながら神具を小突くがオリハルコンにはスルーされ続けた。せめて少しくらい輝きを増すとか光を放つとかしてくれればいいのに。これでは希望すら湧いてこない。
 オーバストに宥めすかされ十五分は粘ったが、無理なものは無理だった。
 そもそも自分が神鳥の剣などというアイテムを装備している時点で奇跡なのだ。神聖とか清廉とかそういったものにこれまでずっと無縁で生きてきたのだから。
「だー! もう無理!! ウェヌスも神具持ってるヤローも自力で探す!!!」
「べ、ベルク殿……」
 呼びかけを投げ出し立ち上がったベルクにオーバストはまた苦笑いだ。意外に広い湿原を隅から隅まで見渡して、すたすたと歩き出す。ちょっと途方に暮れそうである。
 ああ、せめて参謀役のノーティッツがいてくれれば。何故あのとき俺はあいつに来るなと言ってしまったんだ。
『――ク……ベルク! 聞こえる?』
 そのときだった。腰元のオリハルコンがぱあっと白い光を覆った。
 確かに響いたアラインの声にベルクは「おお!!」と感嘆の声を漏らす。
『あ、良かった! やっぱり無事だったんだね!』
 どうやら時間差でアラインの方からもベルクに呼びかけてくれたようだ。
 俺がやったときはできなかったのに……と遠い目をしていると、慰めるようオーバストが優しく肩を叩いてくれた。
 驚いたことにアラインたちは今天界にいるらしい。そしてその天界にはアンザーツやヒルンヒルト、ゲシュタルトが霊体として生き残っているらしかった。神具への呼びかけを提案してくれたのは旧勇者パーティの面々だそうだ。
「んじゃあ大体こっちと見解は一致してんだな?」
 天界組の協力で、魔王の玉座が死者への国の穴を開けたこと、その実行犯がいることはアラインたちも掴んでいた。こちらもオーバストと行動を共にしていることを告げる。神具を持たないウェヌスの安否だけまだわからないと伝えるとアラインの後ろで低い声が唸るのが聞こえた。
「あれ? ディアマントもそこにいんの?」
『ああうん、そうだよ。天界まで連れて来てくれたんだ』
「ディ、ディアマントさまあああああああーーーー!!!!!!!!!!!?」
 名前に反応してオーバストが神鳥の剣を揺さぶる。
「うわ! あぶねえ!! 刃ァ出てんだぞわかってんのか!?」
「ディアマントさばあああ!!!お、お、お元気ですかあああああ!!!!?」
『ええい死んでからも暑苦しいな貴様は!!!!!!』
 ベルクの耳まで届いたツッコミは呆れ返っている割にどこか嬉しそうだった。オーバストはぐしゅぐしゅ鼻水を啜りながら「そのうち生まれ変わってまた会いに行きますからね、絶対ですからね」と泣く。ウェヌスのことならまだ冷静に聞けているのにディアマントが絡むと性格が崩れるのは何故なのだろう。が、今はそんなことに構っている場合ではなかった。
「悪ィんだけど、要領掴めなくて俺からそっちに連絡取るのができねーんだわ。できたらアラインもこっち来てくんねえ? 穴開けた奴に関してはそれで見つけられると思う」
『僕が? いいけどそしたらエーデルも呼ばなきゃいけないな。神具でやりとりできるのはわかったし、通信役は必要だよね。ちょっと都に寄ってから転移魔法ですぐ行くよ、待ってて』
 てきぱきとその後の段取りを決めてしまうとアラインは交信を終了させる。
 改めて勇者が自分のような肉体派ばかりでなく良かったと安堵した。






 一時間後、神殿は焼き立てパンの良い匂いに包まれた。
 バイト先の商品を腕いっぱいに抱えたエーデル、呼んでもないのにくっついてきたクラウディア、ちょうど職務を終えたばかりのマハトがアラインの案内でぞろぞろ神殿に集まってくる。三人ともアンザーツたちの無事を心から喜んだ。
「わあい腹ペコだったんだー」
 エーデルの持ってきた食糧を見てノーティッツが万歳した。ひとまずベルクの生存がわかり、日常感覚が戻ってきたようだ。アラインも腹ごなしにクリームパンをひとつ拝借した。
「……何故貴様まで来る必要がある。いつももっと遅くまで教会にいるのではないのか?」
「エーデルがアラインさんたちと天界へ行くと聞いて、居ても立ってもいられず。何かお役に立てそうなことがあればと来てしまいました」
 ぶすくれたディアマントとにこにこ笑顔のクラウディア。この応酬もそろそろ見慣れてきたなとアラインは嘆息する。ゲシュタルトがぼそりと「あの長髪の子の気持ちわかるわぁ……」と呟いているのが怖い。多少形は違っているが新生天界チームも三角関係みたいなものだ。そして取り合われている当人はその事実に同じく無頓着である。
「ねえヒルト、このパンぼくらも食べれられるのかな?」
「普通に消化されるとすると厄介だな。神殿に厠を作らねばならん」
「どうしてあなた食べる前にそういう話するの?」
「精神体のときも味覚はあったけど、こうして食事なんかしてると本当に身体があるみたいだねえ」
「……アンザーツは物ともせずに食べ始めたが?」
「あああああ!!!! もおおおおおおおおおおおお!!!!!!」
「ちょ、ゲシュタルト落ち着けよ! お前らすぐ喧嘩すんのなんでなんだ!?」
「なんでと言われてもな……」
「ヒルトとゲシュタルト、いつも仲が良いよね」
「誰と誰がなのアンザーツううううううう!!!!!!!!」
「こら!! だから落ち着けって!!!」
 とりあえず彼らの口論が激化する前に退散しよう。そう決めてアラインは「じゃあ僕、また魔王城に行ってくるね」と踵を返した。仲裁はきっとマハトがしてくれるだろうと信じて。






 アラインが来てくれるまではとりあえずゆっくりすることにして、ベルクは足を休めるところがないか探した。お祈りなどという慣れない真似をしようとしたせいで妙に疲れてしまった。
 さっきまで足元には短い草が生えていたが、今はやや舗装された砂利道になっていた。死の国とは言えただの暗闇ばかりではないようだ。
「あそこがいいのではないですか?」
 そうオーバストが指差したのは噴水のある公園だった。「誰がこんなところにこんなもん建てたんだろうな」と素朴な疑問を口にすれば、オーバストは律義に「きっと誰かの思念が残って形になっているんですよ」と答えてくれた。
「ふーん、じゃああの噴水、誰かの思い出のデートスポットだったかもしれねえってこと?」
「その可能性は否定はできませんね。いや、ロマンチックです」
 ロマンチックか、また俺には縁のない横文字だ。ベルクはふっと溜め息をついた。ついでにメランコリックとかセンチメンタルなどという言葉ともご縁はない。もっと儚げな顔立ちに生まれてきていれば違ったのかもしれないが。
 そんなことを考えていたら信じ難いものを発見して噴き出した。ちょうどベルクが腰かけようとしていた噴水の縁に仲睦まじげな男女が座っていたのだ。
 一方はワンレンの長い髪をスカした様子で掻き上げる男。そしてもう一方は――。

「な、何やってんだウェヌス!!!!」

 無意識に声が荒ぶってしまったのは男の腕がウェヌスの肩に回されていたからに他ならない。ウェヌスはウェヌスでまるで男に寄りかかるよう上半身をぴったりくっつけていた。
 これまで感じたことのない動揺がベルクの心臓をもてあそぶ。あたかも拮抗する綱引きのように心は冷静とブチ切れの間を行ったり来たりした。
「おま、なんなんだその男は!!!」
 自分で言った自分の台詞にベルクは頭を抱えそうになった。主婦層が好む愛憎渦巻くドラマティカルミュージカル、それに出演する間男に嫁を寝取られた夫じゃあるまいし、なんだって俺がこんな発言をしなければならないのだ。
「あなたこそいきなり現れてなんなんです。彼女はボクの恋人ですが、何か?」
「……は?」
 ワンレン長髪のイケメンはむっとベルクを睨みつけた。意味がわからずウェヌスを見やれば怪訝な顔で見つめ返される。
「あなた私のことをご存知ですの?」
「お前……何言って……」
「ベルク殿、もしやウェヌス様は記憶が……」
「――」
 冥界の力の影響。最初に思い出したのはそれだった。神具の守りがなかったせいで記憶喪失になってしまったというのか?展開としてベタすぎるだろうそれは。
「ウェヌス……」
 とにかくこのままじゃいけないと細い手首をぎゅっと掴む。思ったより力が入ってしまってウェヌスが「きゃ!」と痛がった。
「あ、わ、悪い」
 思わず手を離した隙にワンレン男がウェヌスを自分の背に庇う。その影から涙目で顔を出し、元女神は「あなたは一体何なのです!?」と尋ねてきた。
 なんだこれはとベルクは焦った。酷く焦った。ウェヌスはいつだって鬱陶しいくらいキラキラした眼差しをベルクに向けてきたのだ。こんな風に見つめられたことは一度もない。
「思い出せよ、俺はベルクだ。一緒に旅してきただろ!?」
 妙に胸がドキドキする。嫌な感じのドキドキだ。
 不審なものを見るようなウェヌスの目つきに変化はない。二の句さえ継げないベルクの代わりにオーバストが進み出て「最近何か食べ物や飲み物を口にされましたか?」と聞いた。
「ええ、リユーゲさんにお紅茶をいただいて。とっても美味しかったですわ!」
 にこりと笑顔でウェヌスはワンレン男と腕を絡める。「油断してると他の男に……」という幼馴染みの脅し文句を思い出してうんざりした。
 まださほど時間が経っていないなら吐かせられるかもしれない。こうなったら多少手荒になっても構うものか。ベルクは再度ウェヌスを捕まえようとした。泣かれようが喚かれようが口にしたものだけは出してもらわねば。
「ウェヌス、悪いがお前の飲んじまった紅茶――」
 リユーゲという名前らしいワンレン男がベルクに拳を突き出してきたが、簡単にその腕を捻り上げ地面に叩きつける。ぬっと反対側の手をウェヌスに伸ばせば元女神はヒッと息を飲み後ずさりした。おそらくこの女の目にはベルクが極悪人にしか映っていないだろう。もし自分がイケメンだったなら、イケメン補正によって印象が上方修正されていたはずなのに。ちくしょうめ。
「吐いてもら……」
 もらうぜと細い肩を掴みかけたそのとき、腰元でキイイイイインと耳鳴りのような高音が響いた。
 一体なんだと神具を見ればオリハルコンが七色に輝き反応している。
「な、なんだこれ!?」
 わけがわからずオーバストに解釈を求めるも、彼とて首を振るばかりだ。そのうち音と光はどんどん大きくなっていく。



「ふえええん、イデアールさまどこぉ……」



 声とともに同じ色の光が辺りに振り撒かれた。光の源を辿れば泣きべそをかきながら歩く幼い少女が目に映る。オリハルコンと思しき大きな鍵を引き摺って、魔物の少女は向こうの方へ消えて行った。
(あいつが魔王城に穴開けた犯人だってのか!? あんなちっせえガキが!?)
「あ、ベルク殿!! ウェヌス様が!!」
 慌てたオーバストの声に気づいて振り向くとワンレン男とウェヌスがいなくなっていた。残っているのは美しい噴水だけである。
「しまった! どこ行きやがったあいつら!!」
「わああベルク殿すみません、神具を持った女の子もーーーー!!!!」
 オーバストが更に慌てふためく。
 いつの間にか神鳥の剣は元の色合いに戻っていた。もう小さな音さえ発していない。
 ちょっと目を離した隙に捕獲しなければいけない対象をふたつも見失い、ベルクはがっくり項垂れた。
 真面目なオーバストはすみませんすみませんと謝罪してくれたがどう考えても平静を欠いた己のミスである。ノーティッツが聞いたらお前馬鹿すぎと罵ってくるところだ。
「〜〜ッだあああああ!!!!神具のガキは後だ後!!!!!!」
 ともかく捕捉の難しそうな方が先だとベルクはそこら中駆け回ってウェヌスたちを探した。しかし連れの男にこの辺りの土地勘でもあるのか影も形もまったく見当たらない。
(あんのクソ男、恋人だのなんだの好き勝手な設定盛りやがって……!!!!)
 ウェヌスは単純なのだ。そのうえ一直線なのだ。
 早く迎えに行ってやらねば本当に何があるかわからない。
「……」
 ゴクリと飲み込んだ唾は苦い味がした。
 こんな気持ちにさせられるのは本当にあの女くらいのものだ。






 のんびりアラインを待つ気にもなれず、ベルクは見知らぬ誰かの思念によって形成された街並みをしらみ潰しに歩き回った。あまりにも殺気立っていたためかオーバストもなかなか声をかけてこない。それでも彼もウェヌスが心配でならないらしく、「大丈夫でしょうか……」と時折呟いた。
「現世に嫌気が差してずっとここに居座ろうとする魂が時々いると聞いたことがあります。さっきのリユーゲという青年、そういうのじゃないかと思うんですけれど」
 あの調子でこちらの食べ物をどんどん与えられたら二度と地上に戻れなくなるかもなどと不穏なことを言われ、キリキリ胃が締めつけられる。
 自分が瀕死の重傷を負うことに関してはなんとも思わない。だがウェヌスが大怪我をしたり生死の境を彷徨ったりするのはもう勘弁してほしかった。
「くっそ、今度あいつら見つけたら絶対……」
 そのときまたキインキインと神具が高い音を鳴らした。アラインからの交信だった。
『あ、ベルク? 近くまで来たと思うんだけど、ちょっと剣を掲げてくれないか?』
「おお、早かったんだな!」
 言われるがままベルクは神鳥の剣を抜き天に突き出す。七色の光が一筋に集まってアラインのいると思しき方角を指し示した。
 すげえなあと素直に感心する。アラインは勇者らしく神具を使いこなしているというのに自分ときたら。得意な人間が得意分野を極めればいいとは思っているが、神鳥の剣の持ち主としては反省すべき点もある。
 光を辿ってアラインはすぐベルクたちを見つけ出してくれた。昼間も一緒だったのに再会の喜びはひとしおだ。
「わああ、本当にオーバストさんだ! あれっ分け目変わった!?」
 きゃいきゃいとはしゃぐアラインにオーバストはにこやかに微笑み返す。
「お会いできて嬉しいです、アライン殿。ですが今はゆっくりお話ししている時間が……」
 残念がるオーバストにアラインは「そうだね、早くウェヌスたちを見つけないとね」と頷いた。そうして頭脳派の一角らしく「そう言えば来る途中に思ったんだけど」と帰還方法についての推測を語り出した。
「魔王城から入ったってことは、僕たち勇者の都から出ていくことになるんじゃないかな? ヒルンヒルトが生命も魔力と同じように循環してるって言ってたし、そうなると都に五つ目の神具があってもおかしくないかなって」
「おお……!」
「それは大いに有り得ますよ……!!」
 アラインの考えをまとめるとこうだ。ツエントルムが天変地異の魔法陣の核としたのは三つの塔と魔王城、勇者の都。だからそれぞれに力ある魔道具を配置したのではないか。更に魔王城の神具だけが玉座という固定されたものだったのは、黄泉への入り口に栓するというもうひとつの役割があったから。だとすれば都にはそれと対を成す神具があるはずだ――と。






「……成程な。調べてみる価値はある」
 アライン・エーデル間の神具通信を耳にした賢者は興味深げに頷いた。それをちらりと横目に見ながらノーティッツは「アラインって賢いなあ」と感心する。いや、賢いとは微妙に違うか。勇者と賢者双方のセンスを有しているがゆえに、ここぞというときで敏感なのだ。思えばベルクは神具を持っているから大丈夫、と言ったのも彼だった。信用していなかったわけではないがこうして幼馴染の元気な声を聞いているとアラインが頼りに思えて仕方ない。ベルクの嗅覚とはまた違う鋭さがある。
「だったら……ぼくの屋敷の……地下が怪しいかも……」
「ほう……君の家のか……」
 アラインの推測に旧勇者が人差し指を立てた。もぐもぐと暢気な咀嚼音を響かせながら。それを受けた大賢者もアップルパイを鷲掴みもしゃもしゃ貪り出す。
『……なあ、お前らもしかしてメシ食ってねえ?』
 あ、向こうにも聞こえてたかとノーティッツは苦笑した。
 実はさっきからノンストップで食べ続けているのだ、アンザーツもヒルンヒルトもゲシュタルトも。
「いや、エーデルが焼き立てパンを差し入れてくれてな」
「ぼくたち普段水くらいしか飲めないから美味しくってつい……、ごめんね?」
「ちょっとヒルンヒルト、それ私のクロワッサンよ」
「何を言う、これは私のクロワッサンだ」
「わかったわかった、俺のクロワッサンをやるから……!!」
 ヒルンヒルトとゲシュタルトに挟まれて疲弊しきったマハトの声が室内に響く。
 自由すぎる旧勇者たちに幼馴染は頭を抱えたようだった。通信に映像は付属していないがベルクが蹲ったのがノーティッツにはよくわかる。きっと「こいつらちょっと前まで悲愴感漂いまくってたのに、なんでパンの取り合いなんつーガキみたいな理由で争ってんだ? アホか? アホなのか?」とか考えているのだろう。
『と、ともかくアンザーツの見立てでは僕の屋敷に神具がありそうなんだよね?』
 場を取り繕うようアラインが尋ねてきた。旧勇者は自分がフォローを入れてもらっているのも気づかずぽやんとした声音で答える。
「うん、地下の倉が土蔵なのに板張りだったと思うんだ。お城の方も怪しいと言えば怪しいけど、神具があるならやっぱり勇者の側だろうし…………もぐ」
『最後まで緊張感を保てよオオオオオオオオオオ!!!!!!』
 幼馴染の絶叫が轟いた。オチを予測していたノーティッツは両耳を塞いで鼓膜の死亡を免れたが、エーデルとディアマントは直撃を食らい絶命寸前だ。
『ベルク殿、落ち着いてください!!』
『ベルク! 気持ちはわかる! 気持ちはわかるから!!』
 オーバストには羽交い絞めにされ、横からアラインに宥められ、ベルクはゼエゼエと息を切らしていた。アンザーツはきょとんとするだけで自分が怒鳴られた理由をあまり理解していない。前から薄々そうではないかと思っていたが、この勇者は相当天然だ。おそらくウェヌス以上の天然だ。
「んじゃアライン様、俺がその地下を見てきますよ。もし神具を見つけたらどうすりゃいいんです?」
『あ、そうだな。多分そこが出口になると思うから、動かすなりずらすなりしてもらわないとかも……』
「でしたらわたしも屋敷へ戻ります。神具の形を変えるのは強い祈りの力なのでしょう? わたしが一番適任です」
 クラウディアの申し出にアラインがありがとうと礼を述べる。これ以上ベルクを刺激しないようにか二度目の通信はそこで途切れた。
「……んじゃ悪いけど都まで乗せてくれるか?」
「勿論や! クラウディアはラウダに乗せてもらいな!」
「ええ、そのつもりです」
「あ……っ」
 恋人が都へ引き返すことになりエーデルも同行したがったが、それはクラウディア本人に止められた。アラインとの連絡役として天界に残るよう窘められ、少女はしゅんと肩を落とす。毎日一緒の屋敷で暮らしてまだ離れたくないというのかこのリア充どもは。
「すぐに戻ってきますよ。あなたに寂しい思いはさせません」
 さらりとエーデルの黒髪を指で梳き、そのひと束に口づけて、クラウディアは颯爽と神殿を後にした。あまりに気障な仕草に生気を奪われノーティッツとマハトはぽかんとしてしまう。ディアマントは静かに沸点に達して目を見開いたまま気絶していた。
「ねえヒルンヒルト、あなたが私の前でしてることってああいうことよ。わかる?」
「いやすまない。なんのことだかまったくわからない」
「だからアンザーツにベタベタ触らないでって言ってるでしょ!?」
「頬にジャムがついていたのだから仕方なかろう。君はアンザーツがジャムまみれでもいいと言うのか?」
「マハト、ぼく久しぶりに炙りイカが食べたいなあ。こっちに来るとき買ってきてくれない?」
 意味不明な方向へ突き進んでいる天界組の会話は可能な限り聞き流す。
 ディアマントは今ので灰になってしまったし、エーデルは桃色に染まってしまっているし、ここで留守番するの嫌だなあ。本気で嫌だなあ。






 ――アラインが加わってから事態はすぐに急展開を見せた。やはり神具への呼びかけができるか否かは大いに命運を分けたらしい。
「おお、あれだあれ! あの青っぽいちんまいのがオリハルコン引き摺ってんだよ!」
「額に角がある。小鬼みたいだね」
「さっき見かけたときはイデアールの名前を呼んでましたよ。何者なんでしょう?」
 こそこそと様子を窺いながらベルクたちは魔物の少女の後をつけた。三方向から一気に襲いかかり捕獲すべきか、まずは紳士的に話しかけるべきか決めかねていたのだ。
「声かけて逃げたらとっ捕まえようぜ。正直あのガキよりウェヌスを先に見つけてーくれえなんだ」
「うんそうだね……って待って!!!」
 前へ進み出たベルクをアラインが抑えつける。一体なんだと思ったら前方の小鬼が知人を発見したらしく、駆け寄って行くところだった。
「あ、あいつは……!!!」
 雑踏の中に見覚えのある黒リーゼントが混ざっていた。蝶結びの棒タイに黒いベストとズボン。あれは確かハルムロースが連れていたチンピラ魔族のリッペである。

「リッペ!! リッペ、イデアールさま見なかった!?」
「ああーん?」

 不良そのものといった声と表情でリッペが少女を振り返る。威嚇するような眉間の皺やいかり肩もまさにテンプレ通りだった。
「うわ、うぜぇ、おチビユーニじゃねえか。つーかお前浮いてねえじゃん。死んでもないのになんでこんなとこいんだ?」
「ひゃ、やめて! リッペ!! いたい!!」
「背負ってるそのデッカイ鍵はなんだよォ? イイモノ持ってるなら俺によこせよー」
 クズ丸出しの態度でリッペが少女を蹴り転がしたので思わず剣に腕を伸ばす。魔物同士と言えど弱い者いじめなど見ていて気持ち良いものではない。
「あんにゃろ……!」
 だが少女を助け出す前にひやりと冷たい腕がベルクを捕まえた。

「おやおや、勇者がふたりも雁首揃えてこんなところでどうしました?」

 ねっとり粘着質な声に弾かれ、剣を抜きつつ背後を振り返る。
 神鳥の剣に斬られた男はアハハと楽しげに上空へ飛んだ。引き裂かれた身体は魂であるためかすぐにくっつく。
「ハルムロース!!!」
 まさかこんなところで再会するとは思ってもみなかった。それは向こうも同じだったようで、「冥界に落ちてなお復讐の機会があろうとは!!!」と氷魔法を放ってくる。
「くっ!! やめるんだハルムロース!!!!」
 アラインの防御結界に氷の刃は弾かれ消えたがハルムロースに手を止める気は皆無だった。
 あちらはもうこれ以上死ぬ心配がないので笑いながら向かってくる。なんて迷惑な男なのだ。
「ほんっと悪霊家系だなー!!!」
 ベルクはジャンプしハルムロースに再度斬りかかった。こま切れにしてやるつもりでオリハルコンを振り回す。
 だが魂が元通り結合するのは一瞬だった。アラインが魔法を撃っても同じ結果にしかならない。
「ははははは! どうやら私に分があるようで」
「えいっ!!!」
 いつの間にかハルムロースの背後にはオーバストが回り込んでいた。霊体同士ならダメージを与えられるのか、思い切り頭をどつかれたハルムロースは涙目だ。
「き、貴様ッ……!!」
 だが悪の賢者はめげない。魔力を解き放ち、その勢いでオーバストを吹き飛ばす。
「お前も何か魔法を使って対抗しろよ!」
 そう要求するとオーバストは首を振って俯いた。どうやら旅の間見せていた力はすべてツエントルムのものだったらしい。
「俺らが戦っても死なねえ効かねえじゃ意味ねえし……!」
「うーん、闇魔法なら通じるのかなあ」
 ここは癪だが逃げるしかないか?とアラインと顔を見合わせたときだった。ハルムロースの魔法など比較にならないほど強い力が悪徳賢者に襲いかかった。
 ドゴオオオンと派手な爆発音がこだまする。充満する煙の中から現れたのは意外すぎる男だった。

「まったくお前たちは悪さばっかりしおって……。まだ己の死を受け入れられんのか?」

 褐色の肌に垂れるのは長い白銀の髪。漆黒のマントに身を包み、深淵まで見通すかのような瞳をしている。アラインは男の姿を見たことがあるらしかった。ベルクは初めて邂逅する相手だったが、その威容、その佇まいにひと目で彼が何者かわかった。胸に迫る緊張はアンザーツと出会ったときのそれと似ている。
 小鬼の少女が目を潤ませて男に飛びついた。男は少女を抱き上げて「おおユーニ、久しぶりだのう」と頬を擦り寄せた。

「ファルシュ! ファルシュ――!!」

 紛れもない魔王の名にベルクはあんぐり口を開いた。ハルムロースとリッペは既に何度か制裁を加えられているらしく、すごすごとその場から逃げ出していく。
「うわあああんファルシュー!! イデアールさまがいなくなっちゃったのー!! わあああああん」
「おお、そうかそうか、もう泣かなくていい。こんなところまで探しに来て、お前は偉いなあ」
 ぐしゃぐしゃと頭を撫でられユーニはぽろぽろ涙を零した。なんだか不思議な光景だった。魔王が子供をあやしているなんて。
「よしよし、きっと疲れただろう? お前は少しお休み」
 魔王が少女の背中を叩くとユーニは安心しきって瞼を閉じてしまう。いつの間にか誰もいなくなった通りにすやすや規則正しい寝息が響いた。
 魔王という言葉からイメージするものとあまりにも実態が異なる。ベルクたちは固まったままでいた。
「お前たち、この子に用事があるんじゃないのか?」
「えっ」
「あ、いや」
「用事はあります……けど……」
 唐突に話しかけられベルクたちはどもって舌を噛んだ。ファルシュはにこにこと近所のおじさんのような温かい笑みを浮かべて「そう警戒せんでもいい」と手招きする。
「お前たちのことはよく知っているよ。アンザーツと融合していたときに覗かせてもらったからな」
「そ、その節は……!」
 アラインが異常に恐縮し出したので「まさかこいつが魔王にトドメ刺したのか?」と思ったら本当にそうだった。だがファルシュは非常に気さくに「良い良い」と笑い飛ばす。
「もっと胸を張ればいい。あれ以上の決着はなかった。……この子には少し可哀想なことになったがね」
 魔王の眼差しは眠る少女に注がれる。
 少し座って話そうと誘われ足は自然とファルシュの元へ進んでいた。






 しばらく歩くと街が途切れていきなり森になっていた。更に進むと朽ち果てかけた神殿がぽつんと佇んでいる。白い祭壇に腰を下ろし、ファルシュはユーニを膝に寝かせた。ベルクたちもその周りを囲むよう胡坐をかいた。
「……この子は魔王城に棲みついている小鬼でね、イデアールにとてもよく懐いていたんだ。ここへ来たのもあれに会いたいあまりだろう、大目に見てやってくれ」
 優しげな手つきで魔王はユーニの頬を撫でる。
 確かに「イデアールさま、どこぉ」と泣いていたなと思い返してベルクは小さく息を吐いた。
 辺境の都を襲い、人間と共存などできないと言い切ったイデアール。そんな男にこんな仲間がいたなど考えもしなかった。
「当人たちは知らないが、ふたりは母子なんだよ」
「えっ!?」
「えええ!?」
「ちょっと待てどう見てもこっちのが娘――」
 しー、という魔王のジェスチャーにハッとして慌てて声のボリュームを下げる。
 アラインとオーバストも愕然と目を瞠っていた。いくらなんでも見た目に無理がありすぎる。
「魔王の息子など産ませたから、ユーニは出産のとき魔力の大半を使い果たして死にかけたんだ。元はグラマラスな美人鬼だったんだぞ? 胸なんかGカップでな……まあこの話はいい。彼女の命を守るには小さな子供の姿にするしかなかったんだ。記憶もほとんどなくなってしまって……それでも愛着は残ったんだなあ。よくイデアールを愛してくれた」
 アラインの「G……」という呟きは聞かなかったことにして、ベルクはファルシュに視線を向けた。
「俺たちがイデアールを倒しちまったから、この子ひとりぼっちになっちまったってことか?」
「ああそうだ。寂しくて神具に呼びかけるうちにオリハルコンが反応してしまったんだろう。悪いがお前たち、この子がイデアールに会えるよう手伝ってやってもらえんか? 私が手を貸してもいいんだが、できるならお前たちに頼みたい。魔物と人間が争わず生きる道を模索してもらいたいからな」
 ファルシュの依頼にベルクとアラインは顔を見合わせた。断る理由なんかないよなと目と目で通じ合う。
「いいぜ、任された」
「僕たちもイデアールのこともっと知ろうとすれば良かったね。彼には彼で守りたいものがあっただろうに」
 胸を締めつけるのは少しの罪悪感。
 何かがもう少し違っていれば、もしかしたらわかり合えたかもという後悔。
「思い詰める必要はない。イデアールは少しばかり魔物の本能が強すぎた。それにお前たちとて己の正しいと思うことのため戦ったのだろう? ならそれでいいんだ」
 己の命も息子の命も失ったのに、ファルシュの声はどこまでも穏やかだ。
 思えばアンザーツもそうだ。世界だとか人類だとか、そういう大きなもののために自ら犠牲になることを厭わない。魔王もきっと同じなのだ。同時代にたまたまこのふたりが揃ったから、ツエントルムにも抵抗することができたんだろう。
(こいつ、いい魔王だなあ)
 変な言葉だがそうとしか言えない。アンザーツもいい勇者だ。今はまだパンに噛り付いているかもしれないけれど。
(でも多分、ふたりとも俺たちに自分と同じことは求めねえ)
 この先の未来はこれまでとは違う。神様はもういない。どんな世界にしていくかは自分次第だ。誰かが大きな代償を差し出さなくても平和に過ごせるように、きっと――。

「あの、ツエントルムを恨んでいますか……?」

 意を決したようオーバストがファルシュに尋ねた。
 問われることをわかっていたのか魔王は静かに首を振る。
「恨んでなどいないさ。なるようになった今、そんな感情は手放して生まれ変わった方が良かろう?」
 アンザーツもきっとそう言うとファルシュは笑った。ホッとしたオーバストを見てベルクも少しホッとした。
 眠るユーニが魔王の腕に抱き上げられる。少女はまだ目覚めない。
 ベルクとアラインにかつての妻の身を預けるとファルシュは今来た道を引き返して行った。



 魔王ファルシュとの邂逅はベルクたちの精神面に大きな影響をもたらした。
 ユーニをおぶったアラインが最終決戦を振り返り「僕も神様に対しては恨みとかそういうんじゃないな」と語り出す。
「あのとき戦う以外の方法があればもっと良かったんだろうけど……」
 オーバストは反省どころか深く落ち込んでいる様子だった。ファルシュがすっかり許してくれていることが逆に心に突き刺さったらしい。
「黄泉へ落ちて、古い記憶が戻ってきて、前よりずっとツエントルムの気持ちがわかるんです。……私が早く彼を思い出してあげていれば、悪いことなど何も起きなかったのに……」
 ずうううんと陰鬱なオーラを放ち出した男に「お前案外面倒くさい奴だったんだな」と零して肩を叩く。だがベルクの慰めはあまりオーバストの胸には響いていないようだった。
「だってここへ来てからのツエントルムはすごく優しいんですよ。意地悪なことも言わないし、ディアマント様やウェヌス様、クラウディアのことまで気にかけて、色々話すようになってくれて」
「へええ」
「マジか? なんか想像つかねーな」
「マジですよ! あの人あまのじゃくなんです。本当は倒してもらえて自分が一番ホッとしてるんですから。特にウェヌス様のことは、双子で魔力が強いなんてロクな人生歩めないだろうと甘やかしすぎたってこの間も反省してましたし、そもそも制約の魔法だってウェヌス様の場合は地上で好きな殿方と幸せになれるようにと――」

「喋りすぎだオーバスト」

 うわ、と隣でアラインが叫んだ。同じ顔が突然もうひとつ増えたことへの驚きだ。ベルクはベルクで驚愕はしたがオーバストほどではなかった。
「お前の話しぶりでは誤解が生まれる。女児には技術上の問題で魔法をかけられなかったから半分放置していただけだ」
「わああ、ツエントルムいつからそこに!?」
 怒りの表情を見せるツエントルムにオーバストは冷や汗を滴らせる。ベルクとアラインは思わず剣の柄を握り締めた。
「それにわたしがウェヌスの方を可愛がれば、ディアマントばかり贔屓するお前は焦るだろう?」
「そんな言い訳しなくたっていいのに……」
「言い訳ではない。わたしはお前の好きなものには酷いことをしたくなるんだ。何を自分のいいように解釈している」
「でも結局ウェヌス様が心配で私たちを追いかけて来てるじゃ」
「違う。お前がとろとろいつまでも帰ってこないから迎えにきてやっただけだ。というか、お前たちまだウェヌスを見つけられていないのか? まったく何をやっているんだか」
 ふたりのやり取りを見守りながら、ベルクは「ああ、こいつ間違いなくディアマントの父ちゃんだ」と納得した。ベルクが剣から手を離したのでアラインも臨戦態勢を解除する。まだ状況が飲み込めていないようなので「双子だったらしいぜ。ついでに和解したらしい」と教えてやった。
「ウェヌス様は見つけたよ。でも変な男に恋人だとか吹き込まれていて、記憶もなくなってるみたいなんだ」
「……ほう?どんな男だそれは」
 ツエントルムはオーバストにではなくベルクに尋ねてきた。ニヤついた表情にムッとしてつい喧嘩腰になってしまう。
「鳶色の長髪で、スカしてて、軽薄そうで、とにかく俺とは対極にいるような男だよ!」
 思い出すだけでムカムカしてくる。簡単に女の肩に腕なんか回しやがって。こちとらそんな真似すりゃゴリラが伝染するだの獣の臭いが服につくだの散々な言われ様なのに。
「成程、ではわたしが探してきてやろう」
 ツエントルムはそう言うとあっという間にいなくなった。出てきたときと同じくらい神出鬼没に。
 残されたベルクたちは一様に目を丸くした。まさか協力してくれるとは微塵も思わなかったのだ。
「……すごいですねベルク殿。よくわからないですが相当気に入られてますよ」
「えっ」
「だってツエントルムが自分の足で探してきてやるなんて……」
「いつの間にそんな打ち解けたんだ? 何か突っ込んだ話でもしたの?」
 アラインにも驚かれたが、そんなことを言われても大した会話などしていないぞと疑問符が浮かぶ。そもそも最初に呆れた間抜け面だのウェヌスももうちょっとこましな男をだの言われていなかったか。後は精々「相方借りるぜ」と告げたくらいで。
(あれ? もしかしてそんなんで喜んだとか?)
 わからない。神様というやつの思考は読めない。
「ふふ、なんだか嬉しいです! 流石はウェヌス様の選んだ勇者ですね!」
 困惑するベルクたちを余所にオーバストはひとりニコニコしている。
 アラインまで「いや、本当に凄いと思うよ?」などと言い出し、妙にリアクションしにくかった。






 「ひとまずウェヌスの方はツエントルムに任せるか」と言い切ったベルクを見て、アラインは心の底から「ベルクすごい」と感嘆した。あんなに苦労して戦った敵にあっさり大事な女の子の危機を預けるなんて、ちょっと器が大きすぎるだろう。
 オーバストのように血縁関係があるわけでもなし、旅立ちの当初から天変地異の魔法のことだって隠され騙されていたようなものなのに。いくらもう全部終わったこととは言え、少しくらい躊躇はないのだろうか。
 はあ、とアラインは溜め息をついた。ベルクといるとやはり自分はまだまだだなと痛感させられる。
 彼は決してお人好しでも馬鹿でもない。アラインがすっかり信用していたハルムロースだって彼とノーティッツは最初から怪しいと睨んでいた。
(悪人か善人かぐらいすぐ見分けちゃうんだもんなあ)
 ノーティッツがベルクの隣に居続けるわけがよくわかる。不思議とついて行きたくなるのだ。彼さえいれば大丈夫だと根拠もなく信じてしまう。
 凱旋パレードやらセレモニーやらでちやほやされて近頃いい気になっていたが、気を引き締め直そう。いつまでもこんな調子じゃすぐベルクに置いて行かれてしまいそうだ。
(油断してるつもりなかったけど、魔王城でもやっぱり気が緩んでたのかも)
 短い反省を終え、アラインは己の頬をペチンと叩いた。そうしたらその小さな衝撃で背中のユーニが目を覚ました。
「……うにゃうにゃ……ファルシュ……、あ、あれ!? ファルシュは!?」
 ハッと覚醒した小鬼の少女はきょろきょろ周囲を見回す。
 ベルクとオーバストが両脇から彼女に「おお、起きたか?」「一緒にイデアールを探しましょうね」と声をかけると今度は「イデアールさまどこおおおおおお!!!」と勢い激しく泣き出した。
 妙齢のお嬢さんならともかくこんな小さい子をどうやって慰めればいいんだと焦るアラインに、オーバストが「代わってください」と申し出る。小柄な身体を引き渡せば彼は高い高いしながら優しい声でユーニに語りかけた。
「きっと会えますよ。頑張って探しましょうね」
「わあああああああん!!!!ぴぎゃああああああああああ!!!!!」
「あ、安心してください。我々はファルシュからあなたを預けられたんですよ」
「ぴぎいいいいいいいいいいい!!!!!!!!!!!!」
 流石のベルクも「やかましい!!」と怒鳴ることができず、子育て経験のない勇者ふたりでオロオロ見守る。そのうちオーバストも半泣きになってきた。
 今度もしどこかで戦いになったとき、相手にこんな風に帰りを待っている誰かがいるとわかったら僕は戦えるのかなあ。
 ふとそんなことを考える。
(己が正しいと思うことのために戦う……か)
 意外にそれは難しいことなのかもしれない。それでもファルシュの言うように、信じた道を行くしかないのだろうけれど。
「おーおー好きなだけ泣け! 喚け!! そしたらイデーアルの方から見つけてくれっかもしれねえぜ?」
 諦め半分に言い放つベルクにアラインはぷっと笑みを零した。
 何とか泣きやませないとと奮闘していたオーバストがそれを聞いて成程と手を打つ。
「ふぎゃあああああああ!!!!!!!イデアールさまあああああああああああああああ!!!!!!!!」
 ユーニがひときわ大きな泣き声を響かせると、呼応して彼女の神具が輝き出した。
 赤、青、黄色と虹色に変化する美しい光が冥界を照らす。周りの魂が一斉にこちらを振り返った。
「貴様らユーニに何をしている!!!!」
 紅髪の男が剣を振り翳し襲いかかって来たのはその直後だった。






 ガキンと剣戟の音が響いた。神鳥の剣で刃を受け止めながらベルクは「おお、一本釣り!」と感心する。だがやはりと言うか何と言うか、ゆっくり話し合えるような雰囲気ではなかった。
(どうする? あのガキだけ渡してトンズラこくか?)
 先のハルムロースとの衝突で圧倒的にこちらが不利なのは知れている。本格的な諍いになる前にできれば退避したい。
 が、先に剣を収めたのはベルクでもアラインでもなくイデアールだった。
「貴様ら私を倒した勇者どもではないか……」
 そう呟くと魔王の息子は苦々しげに武器を捨てる。
 あれだけ好戦的だったのに信じ難い態度だった。
「頼む、その子を離してやってくれ。その子は一度も人間を殺したり傷つけたりしていない」
 まだオーバストにしがみついてぐすぐす泣いているユーニにどんな勘違いをしたのか知らないが、思わず息を飲み込んだ。胸の痛みにベルクとアラインは立ち尽くす。
(っとに……うまくいかねえ世の中だぜ)
 大事な奴がいるなら言っとけよ。札にでも書いて首からぶら提げておいてくれ。
 オーバストは「いじめてたんじゃありませんよ!?」と慌ててユーニを降ろしてやった。
「ほら、あなたの探し人です」
「ふえ……イデアールさま? ――イデアールさま!?」
 わあああんと飛びついてくる少女を抱いてイデアールはふうと安堵の息を吐く。ベルクも己の武器をしまい、まだ立ち呆けているアラインに「謝んじゃねえぞ」と呟いた。
「俺たち、ああいう別れがなくなるようにこれからやってこうぜ」
「……うん」
 魔物と人間の共存か。何ができるかなんてわからないけれど、ひとりで考えるわけじゃない。きっとたくさんの道がある。それを見つけていくのがこれからの「勇者」の役割かもしれない。
「イデアールさま、会いたかった。ボクさびしいよ。お城にひとりぼっちなんだよ」
 一緒に帰ろうと泣くユーニにイデアールはかぶりを振る。私は帰れないんだと言って。
「うそ! だってイデアールさま帰ってくるって約束したもん!! だったらボクもここに残る!!!」
 離すものかと少女は紫のマントを握り締めた。
 こうしているとどっちが親だか本当にわからない。年の離れた兄妹のようでもある。
 戦闘中に見せていた笑みとはまったく種類の異なる笑みを唇に浮かべ、イデアールは「駄目だ」とユーニを諭した。
「お前が魔王城で待っていてくれないと困ってしまう」
「ふえ……なんで?」
「あの遠くの光が見えるか? あそこから出て行けばまた地上に生まれ変われる。お前のために順番を譲ってもらったんだ。だからもうすぐ会いに行ける」
 イデアールが指差した先には仄かに明るい一点があった。きっとあれが黄泉の出口だとベルクたちも目を輝かせる。良かった、なんとか帰れそうだ。
「……すぐってどのくらい? 生まれ変わったときボクのこと忘れない?」
「すぐはすぐだ。それに忘れていたって同じことだろう? お前だって最初に会ったときは何もわからなかったんだから、またふたりで遊んでたくさん思い出を作ればいい」
 懐に手を入れるとイデアールは何やら鏡の破片らしきものを取り出した。それを見てユーニもごそごそ手鏡を取り出す。鏡と鏡は光で結ばれ、ユーニの目から溢れていた涙が止まった。
「なくさないで城で待っていてくれ。そうしたら絶対にお前を見つける」
「……うん、約束、イデアールさま」
 指切りをした途端イデアールの身体はどんどん薄くなっていく。
 ああ本当に駆け足で生まれ変わろうとしてるんだなとわかった。
「今度会うときは敵じゃなきゃいいな」
 そう呟くとアラインも隣で頷いた。



 クラウディアから通信が入ったのは光に向かい歩き出ししばらく経った頃だった。
 なんとアラインの予測が的中し、床下から巨大なオリハルコンの結晶が見つかったという。
『エーデルから伝えてもらおうと思ったんですが、彼女うまく呼びかけられないみたいで……』
 武闘派の彼女もどうやらベルクと同種の人間だったらしい。妙な親近感が湧いた。脳味噌が筋肉なのと脳味噌が常春なのは案外似ているのかもしれない。
『今わたしとマハトさんでアラインさんたちが戻ってこれるよう祈りを高めているところです』
 クラウディアは神具が繋がり合っていればいつでもベルクたちを引っ張り出せると伝えてきた。帰る準備は万端だ。イデアールに会ってからユーニはすっかり落ち着いているし、となれば残る問題はただひとつ。
「早くウェヌス様を見つけなければ……」
「ああ、まったくはた迷惑な女だぜ」
 ベルクの胸にまたじわじわ焦燥が戻ってくる。あのワンレン男に変なことされてないだろうなと苛立って仕方なかった。
「おや? はた迷惑な女なのか? 折角見つけて来てやったのに、それじゃ居場所など知りたくないか」
「うっおああああああ!!!?」
 耳元に息を吹きかけられベルクの背中が粟立った。
 またも気づかぬ間にツエントルムが舞い戻っていて、こちらの肩にのしかかっている。
「つ、ツエントルム!」
「驚かすんじゃねえよ!! 寿命が縮むだろうが!!!」
「ふん、お前がわたしの娘に舐めた口をきくからだ」
「……お、教えてくださいすんません……」
 素直に謝罪したベルクに目を瞠った後、ツエントルムは面白そうに笑った。
 あそこだと彼が示した先にはお花畑でイチャイチャするリユーゲとウェヌスの姿が見える。
「あ、あいつらーーッ!!!」
 怒りに燃えるベルクの横でアラインが素っ頓狂な声を上げた。
「あれ……!?なんか男の方に見覚えがあるような……」
「え!? なんで!?」
 突拍子もない発言にベルクは驚き振り返る。「ああ、あいつか」と疑問に答えたのはツエントルムだった。
「彼ならわたしも知っている。シャインバール・リユーゲ・シュピーゲル――通称シャインバール二十一世だ」
 アラインを取り巻くオーラが一瞬で暗黒に染まったことは言うまでもない。影に塗り潰された魚のような目がぎろりと男を睨み据える。
「へえ……シャインバール二十一世、へええ……?」
 顔は笑っていたが声はまったく笑っていなかった。
 アライン、気持ちはわかる。気持ちはわかるぞ。



 かくしてリユーゲもといシャインバール二十一世はベルクとアラインにより成敗された。霊体同士でなければ攻撃は無効じゃないのかと思っていたら、途中からアラインがオリハルコンの光を利用し「これはゲシュタルトの分! これはアンザーツの分! これはヒルンヒルトの分! これはムスケルの分! そしてこれがこの僕の分だあああああああッッ!!!!」とガチ攻撃を加え出したので「ああ、祈りは通じるんだ」と改めて呼びかけの重要さを感じた。
「ひ、ひどいですわひどいですわ!! 乱暴はおやめください!!」
 ふたりの間に割って入ろうとするウェヌスを捕まえベルクはふうと嘆息する。
「ひどいのはどっちだよ。いつまで忘れてる気だ?」
 本気であんなクソ男に惚れたんじゃなかろうなと一抹の不安が頭をよぎった。ウェヌスの思い込みの激しさは一筋縄でいかないので、少々、いやかなり心配である。
「ですから、あなたは私の何なんですの!?」
「ベルクだっつってんだろうが!! 旅の仲間だろ俺たち!!!」
「そんな方は存じません!! 早くあの者の狼藉をお止めなさい!!!」
 ギャイギャイと掴み合いの喧嘩になりかけたときだった。ぐいと肩を掴まれ「馬鹿者」と罵られる。声の主はツエントルムだった。その後ろではオーバストがはらはらしながらベルクたちを見つめている。
「問いかけに正しく答えていないから記憶が戻らないんだ。気をつけろ、三度しくじるとウェヌスはこちらの住人になってしまうぞ」
「……!?」
 アラインにのされるリユーゲの悲鳴をBGMにベルクはごくりと息を飲んだ。
 そう言えばさっき会ったときもウェヌスは同じことを聞いてきた。ツエントルムの口ぶりでは正解さえ答えられればウェヌスを取り戻せそうである。
 最後の最後はクイズで決着か。だがこんな、答えのわかりきった簡単な問いではほとんど障害の意味を成さないだろう。
「大丈夫ですか? ベルク殿……」
「ああ、間違えるわけねえよ。なんならノーティッツに答えさせてもいいくらいだ」
 ホッとしすぎてもう肩の力が抜けている。
 怪訝にこちらを睨むウェヌスにベルクは再度溜め息をついた。
 ――あなたは私の何なんですの、か。
 安心しろ、それだけは確実に答えられる。散々その口から聞いてきたからな。

「俺はお前の勇者だ。……思い出したか?」

 ベルクの笑みにウェヌスがハッと目を瞠った。こちらの名前を呟いた直後、元女神は身体を折って苦しみ出す。
「う、ぐ、ごほっ……!!」
「ウェヌス!!」
 落ち着けと言うようツエントルムが腕を広げる。長い指が杖の代わりにウェヌスの前に翳されると、濁った音を立て空中に褐色の液体が浮いた。
 飲んでしまったと言っていた紅茶は水球となりふよふよ漂う。ツエントルムはベルクを見やって「何をしている。ぼやぼやしてるとまたこれがウェヌスの中に戻ってしまうぞ」と叱り飛ばした。
「え!? ど、どうすりゃいいんだ!?」
「ベルク殿、蓋、蓋です。蓋をして封じてしまえば戻りません!」
「蓋ってどうやって――」
 双子は示し合わせたようにニヤニヤ頬を緩ませる。いや、オーバストの方が多少遠慮していたが。
 凄まじく嫌な予感がしてベルクは「おい……」と声を低くした。
 蓋ってもしかして……もしかして……。
「どうしたの? ベルク、真っ赤じゃないか」
 戻ってきたアラインがオーバストから事情を耳打ちされ「へえええ!」と目をきらめかせる。また居た堪れなさがパワーアップした。まだノーティッツがいないことが救いだ。あの幼馴染がいたらどんな脚色をつけ吹聴されるか知れたものではない。
「どうした早くしろ。わたしも魔法を維持するのが疲れてきたぞ」
「絶対嘘だろ!! 魔力有り余ってるくせにホラ吹くな!!!」
「ベルク殿、さあ覚悟を決めて!!」
「ちょ、待て待て、こいつだって気絶してんのにそんな……」
「大丈夫だよ。どう見てもふたり両思いだし、後で裁判沙汰になる心配なんかないって」
「そういうことじゃなくてだなあああ!!!!」
 腕に抱えたウェヌスはひとりスヤスヤ心地良さそうに眠っている。
 この女を連れて帰るということは、きっとこれからもこんな苦労を背負い込んでいくということなのだろう。
 ――いいだろう。決めてやるよ、覚悟くらい。
「お前ら絶対こっち見んなよ……!!!!」
 はーいと明るい返事が揃う。
 強敵に立ち向かうときよりずっと心臓がバクバク言っている。
 ああもう、くそ、十年は寿命が縮んだ。



「……あら? ベルクったら、なんだかとっても顔が近いですわ」



 目を開けた馬鹿女は人の気も知らず呑気なことこの上ない。魂ごと蒸発しそうになりながら、ベルクは場の勢いに任せてウェヌスを抱きしめた。振り解かれずひとまずは安堵する。アラインたちのひそひそ話には全力で気がつかないふりをした。
「とりあえずお前、帰ったらすぐ親父んとこ行くからな」
「え? 帰国するんですの? でも視察の途中ではありませんでした?」
「いーから帰るんだよ!! そんで、あれだ、あれ……こ……、こ……っ」
「こ?」
「こ、こんや……、く……」
「今夜? 今夜なんですの?」
「ち、ちが……!」
「? ? ?」
「……ッ!!」






 耐え切れなくなったベルクがウェヌスの腕を掴んで歩き出したので、アラインは笑みを噛み殺してユーニの手を引き後を追いかけた。
 振り返ればオーバストが手を振ってくれている。ウェヌスに声かけなくていいのかな、と気になったけれどツエントルムもオーバストもふたりに水を差すつもりはなさそうだった。
「アラインお前、帰ってもノーティッツに余計なこと喋んじゃねえぞ!?」
 ベルクにはそう釘を刺されたけれど「わかったわかった。(口では)言わないよ」と返事する。彼が自分とノーティッツの文通に気がつくのは一体いつになるだろう。
 神具を通じてクラウディアに「もう帰れるよ」と伝えると光る出口が大きく膨らむ。
 もう一度ベルクの代わりにオーバストたちに別れを告げておこうかなと振り返ったとき、光の中に男女の影が並んでいるのが目に飛び込んだ。ぼやけて輪郭がはっきりしないけれど、なんだかとても懐かしい……。



 ――よく頑張ったのね。



 白い光が弾けて飛んだ。
 手を伸ばしても影には少しも触れられなかった。

「父さん! 母さん!」

 がばりと飛び起きたアラインの側にはクラウディアとマハトがいた。
 オリハルコンの出口からはベルクとウェヌス、ユーニが這い出てきたところだった。






 ******






 あれから一年――。
 いつも通り王宮の執務室でアラインは書類作成業務に従じていた。
 今回で第十二回目となる魔王城の調査報告書だ。月に一度の視察は三国の協力のもと定例化している。玉座の見張りはユーニに任せていた。
 あの後すぐにアラインたちはユーニを連れて魔王城に向かった。大きな鍵に変化していた神具を穴に突き刺すと、オリハルコンは玉座の形に戻って黄泉への穴も綺麗に塞がった。都の出口も同様だった。このふたつの聖石は今後も動かすことはあるまい。
 ユーニが寂しくないように、魔王城にはエーデルと何故かラウダが頻繁に足を運んでいるらしい。神鳥はヒマだからと言い訳していたが、きっと無垢なタイプが好みなのだとバールが邪推していた。エーデルはひと目会った瞬間ユーニから「イデアールさまそっくり!」と気に入られていたので、まあ、多分またキュンキュンしてしまったのだと思う。ユリ科の女の子はこれだから。
(まあ僕じゃ忙しくって転移魔法があってもなかなか遊びに行けないしなあ……)
 ベルクとウェヌスに遅れてふた月、実はアラインも婚約を決めた。相手は勇者の国の第一王女イヴォンヌだ。芯が強くて美人でおまけに胸も大きい。子供の頃から社交界の華だった自慢のフィアンセである。
 「やっぱりアンザーツと血が繋がってない話、国民にちゃんとしませんか」とシャインバール二十三世に交渉しに行った際、存外素直に国王は頷いた。もっと駄々をこねられるかと思っていたのに。更に国王は「ただ打ち明けただけでは国民も王家の仕打ちに納得しないだろう。わしはいずれそなたに王位を譲りたい」とまで言ってくれた。幸いと言っていいかはわからないが、シャインバール二十三世は男児を授かっていない。王女との婚約は将来この国を預かることとイコールだった。
 これでやっと肩の荷を降ろせる。
 頭を下げた王の声は今も耳に残る。
 と、コンコンとノックの音が響いた。 兵士長用の白いマントを身につけたマハトが執務室に入ってきて「アライン様、隣国からのお手紙ですよ」と口角を上げる。
「ベルクから? ……ということはもしかして!」
 それまでやっていた仕事など全部放り出しアラインは急いで手紙の封を切った。
 一年前、彼は外洋へ漕ぎ出す船を作ると言っていた。職人たちを総動員して過去この大陸にあったはずの大型船を復元するのだと。
「すごい、完成したんだ!! 半年ぐらい同行しないか? だって! 姫も連れて行っていいかな!?」
「いいんじゃないすか? 転移魔法でいつでも会議には出れますもんね」
「……お前イヤなこと言うなー、たまには僕だって長期休暇が欲しくなるんだぞ?」
 悪態をつきながら青く広い海へ思い馳せる。
 まだ見たことのない大地を、またベルクたちと目指せるのだ。
 新しい世界を!














(20120714)