第十四話 汝の名は孤独






 兵士の国から連絡が入ってすぐ、辺境の王ウングリュクは外海に物資を積んだ巡視船を浮かべた。
 首長アヒムを乗せたビブリオテーク船団が南下してきたのは、彼らが勇者の都を襲おうとした翌々日のこと。
 甲板に立ち魔法で合図を送ると先頭の戦列艦がゆっくりと停止した。ややあって中から不機嫌そうなアヒムが顔を出す。
「……同盟反故の話でもしに来たか? 無断で領海に立ち入り、魔の国から獣を連れ去ったのは確かだ。我々に報復を与えたいなら好きにするがいい」
 フンと鼻息を荒げる彼は妙に攻撃的だった。後続の船の砲台はすべて辺境側を向いている。ここで争ったところで仕方なかろうに。
「アペティートと休戦することはもうできないのか? なんなら我々とヒーナが間に入り、不平等のないよう和平条約の締結まで支援するが」
 今少し冷静さを取り戻してくれれば話のできない男ではないと、個人的には思っている。ビブリオテークは元々アペティートを侵略したくて戦争を始めたのではない。自国から彼らの干渉を取り除こうとしていただけだ。長年搾取されてきた過去が原因で容易に他国を信頼しようとしないけれど、もし本当の意味での同盟国となってくれるなら全力で応えようという気概はある。
「今更戦いをやめるなど無理な話だ」
 だがアヒムは頑なに首を振った。憎しみが勝って、他の何も視界に入れようとしない双眸にはウングリュクも見覚えがある。ずっとそんな相手と対峙してきたのだ。
「十五年――、否、もっと以前から溜まりに溜まった鬱憤で我々は最早アペティートが崩壊しなければ納得できないところまできている。妻を殺され、娘までかどわかされ、私憤も大いに入り混じっているがな」
 アペティートによる略奪行為で、ビブリオテークの漁村や農村では生活が成り立たなくなり浮浪民となる者が後を絶たないと聞く。かの大国の属領であるフロームやエアヴァルテンではビブリオテークの数倍の早さで経済破綻が起きているようだ。
 国家を背負う者として剣を手にした気持ちはわからないでもないが、アペティートとて今や満身創痍なのだ。何も共倒れする必要はどこにもないだろう。ウングリュクには憤怒と暴食で二国がどちらも破滅に向かっているようにしか思えなかった。

「……我々とて国土の大半を魔物に滅ぼされた。みな本心では魔物を憎んでいるが、我々を救ってくれた勇者たちは彼らと共存していこうとしている。だから我々も勇者たちを信じて、魔物を殲滅することはしていない」

 ビブリオテークにとってそういう存在に成り得るのがクライスやドリト島の住民なのではないのか。そう問いかけるとアヒムは視線を海に落として沈黙した。やがて静寂を断ち切った彼は「我々が戦いを止めたところでアペティートが止まりはせんさ」と呟いた。
「飛行艇の話は聞いているのだろう? さっさと帰国して対策を練らねばならん。……同盟を維持するつもりなら邪魔立てはするな」
 嘆息するウングリュクを残し、船団は再び波の上を走り出す。
 一度抜いてしまった刃を鞘に戻すことは、おそらくそれを振り下ろすより難しいのだ。
 剣を捨てることもまた英断であると信じているけれど。






 ******






 昨日中途半端に終わってしまった会議の続きは「今日あたり国土を奪還してこようかなぁ」というアラインの発言から始まった。あまりに軽い口調で言うので最初は冗談かと思ったほどだ。が、笑いどころか迷う重臣たちの間でベルクが「ひとりで行く気なのか?」と眉根を寄せたため、ツヴァングにも王が本気であるのが理解できた。
 大賢者の力とオリハルコンを同時に所有する勇者がどれほど強いかは承知しているつもりである。しかし、だからと言って無計画にアペティート軍と対決するのはいかがなものだろう。同じ思いはイヴォンヌも抱いたようで、王妃は心配そうにアラインの横顔を見つめた。
「ラウダとバールに教えてもらって、アペティート兵の居場所は大体把握してるんだ。まだ鉱山では採掘を続けてるらしくてさ。流石に僕もこれ以上アペティートに贈り物をするつもりはないし」
 行くのは僕ひとりで十分だ、と国王は断言した。いくら人数がいると言っても相手は神や魔王ではない。転移魔法で不意を突き脅かして逃げ帰らせるか、適当にアペティートまで送っていくよと笑う勇者に「一般人」であるツヴァングたちは却って笑みを引っ込めた。
 こんなことを話したら国民に笑われるかもしれないが、封印から戻ってきたアラインはどうも以前の彼より強くなっている気がする。「大賢者であり勇者である英雄」はまだ人間的であったけれど、今のアラインには薄らと人間離れした何かを感じてしまうのだ。ただの杞憂であればいいのだが。
「しかしなぁ、アペティート軍の拠点は十数か所にも及ぶのではないか? ひとりでそんな数を一気に叩くのは……」
 トローンがそう苦言を呈したときだった。少し強いノックの後に会議室の扉が開かれ、思いもかけぬ人物が現れたのは。

「ノーティッツ!? 何やってんだ、まだ寝てろよ!!」

 椅子を蹴って飛び出したベルクの背中をツヴァングは息を飲み見守る。敵軍から救い出されたばかりの参謀長は真っ青な額を俯けたまま「何がどうなってるか教えてくれ」と乞うた。
 本調子でないことは誰が見てもわかる。ノーティッツは自分の身体も支えられずにドアに凭れかかっていて、今にもずるずる座り込んでしまいそうだった。
「後で議事録持ってってやるから、今は寝てろよ。まだ熱もあんだろ?」
「こんなときにぼくだけ休んでろってか? 勇者の国を取り返す段取り決めてるんじゃないのかよ?」
 ベルクはノーティッツを見て話すのに、ノーティッツの目はベルクに向かない。ただ歯を食いしばって何かに耐えるよう立っている。痩せた腕もやつれた頬も他人事ながら見ていられなかった。差し出がましい真似とは思ったが、ツヴァングも立ち上がりノーティッツの側に駆け寄る。
「あの、参謀長代理の方も出席しておられますので、今は横になられていた方が」
 代理との言葉にピクリと彼の耳が揺れた。少しだけ視線が上がり、コの字に並んだ座席をぐるりと一瞥する。
「……こっちの防衛はどうなってんの?」
「湖の街で水門を開いた。陸路は水浸しで通れなくしてある。国境は呪符と兵士で固めてるし、海は魔法使える奴らで監視中だ」
「……。あぁそう……」
 ぼくがいなくてもなんとかなるんだな、と聞こえた気がした。
 同じくベルクも怪訝な顔で友人を覗き込むが、表情を読むことはできなかった。病人はすぐに倒れ伏してしまったから。
 やはり相当な無理をして起き上がってきたのだろう。揺らさないようにそっと意識のない身体を抱きかかえると、ベルクは「ちょっと部屋に帰してくる」と会議室を出て行った。
 集まっていた兵士の国の大臣たちは沈痛な面持ちだ。今までノーティッツに頼るところは大きかったらしく、しきりに彼の身を案じる言葉を口にしていた。






 やっと会話らしい会話ができたと思ったらこれだ。
 客室に戻る廊下を突っ切りながら、ベルクはちくしょうと顔を歪める。
 ウェヌスや侍女たちの目を盗んで寝室から這い出てきたのだろう。部屋に近づくにつれノーティッツを探す彼女らの声は大きくなった。普通の病気や怪我だったら、周りに心配させないようにこいつも大人しくしていたろうに。
「ベルクさん! あの、ウチで捕まってたっていう参謀長さんが部屋からいなくなったって……!」
「!! お前らあのときの……!!」
「あっ、もしやそのお方がそうですか? ああ、無事で良かった」
 アペティート西部の不毛地帯にある街で助けた元軍人たちが、狼狽しているベルクをわらわらと取り囲む。兵士の国で預かる約束はしていたが、まさかまだ王城内にいたとは迂闊だった。今の声で目を覚ましていないか幼馴染の寝顔を怖々確かめた。これ以上変な刺激を与えたくはない。
「気に掛けてくれんのはありがてぇけど、お前らは近づかないでやってくれるか。……向こうでひでぇことされたみたいなんだ」
 自分で口にした言葉に自分で落ち込んだ。ベルクの暗い表情に察するものがあったのか、アペティートの若者たちはハッとした顔で頭を下げ、足早に去って行った。
「……。今の誰……?」
「えっ? あ、ああ、新しく雇った兵士だよ」
 薄目を開けたノーティッツの問いになんとか返答してみせるけれど、ぎくりと強張った腕の動きまでは隠し通せていなかった。ふぅんと掠れた相槌は疑いの色が濃く滲ませている。
 降ろせと言うのでその通りにしてやるとノーティッツはずるずる足を引き摺りながら前へ進んだ。痩せた背中が痛々しくてまたアペティートへの怒りがこみ上げてくる。
「横にはなるけど、聞いてるから説明はしてくれよ、ベルク」
 名前はちゃんと呼ぶようになった。でもまだ一度も目は合わない。
 わかったと答えて寝室に戻ると侍女たちはホッとした様子で出て行った。






 ひとりで十分というアラインの言葉は豪気で頼もしいけれど、まさか本当にひとりで行かせるわけにいくまい。
 不安そうなイヴォンヌの意も汲み取ってマハトが「俺らも付いて行きますよ」と申し出ると、主君は礼を述べつつ苦笑した。
「いや、実はひとりのほうが都合いいんだ。僕がいる限り勇者の国に手を出しても無駄だぞってアピールになるしね」
 ともかく今日中に片をつけたいとアラインは言う。半日で敵軍を追い出したという成果をあげるには転移魔法が不可欠だし、わざわざ大軍を率いて移動に余分な魔力を消費する必要はないと。
「無理だなと思ったらこっちに引き返してくるし、そのときはマハトとヒルンヒルトで残りを手伝ってもらえたら助かるよ」
 あっさりしているのはこれで大丈夫だという確信があるからだろう。不測の事態に陥った場合もこちらにきちんと伝わるよう呪符を用意するとの考慮があった。それでようやくトローンたちも頷いた。
「お前さんが人並み外れた実力の持ち主だってことはわかっておるんだがな。どうしても我々は我々の物差しで測ってしまう。……最初にアペティートの攻撃があってからもう二ヶ月だ。一日で、それもたったひとりで決着をつけようなんていうその感覚は、多分お前さんにしかないものだよ」
 何気ない王の言葉はどこか訓戒めいて響き、マハトの胸にも重く沈んだ。英雄というのはやはり異質な存在なのだ。
「ありがとうございます、トローン陛下」
 アラインにも思うところがあったらしい。万全の準備を整え、よくよく手順を説明してから出発しますと勇者は頭を下げた。
 そこからは具体的な奪還ルートについての打ち合わせとなった。
 中央の大テーブルに自国の地図を置き、アラインは神鳥たちから聞き及んだアペティート軍の拠点を順番に書き入れていく。初めは湖の街を越えてすぐの炭鉱に、次はその付近の鉱山に赴き、北上する形でアペティート軍を追い詰めて、最後は港で彼らの船を見送る心づもりだそうだった。
「都には誰も残ってないと思うけど、破滅の魔法も心配だし、様子を見てから帰ってくるね」
 末席でヴィーダがぴくりと膝を揺らしたのにヒルンヒルトが目ざとく気づき、マハトの袖を引っ張った。一応大人しくしているとは言え敵国の要注意人物であるのに変わりはない。「アラインがここを離れるなら我々で監視しておいた方がいいだろうな」と耳打ちしてきた声に小さく頷き了承した。
 折角取り返したオリハルコンもアラインのはからいで再びヴィーダの手に戻っている。破滅の魔法をどうするかはヴィーダとクライスで決めるべきだというのが主君の考えだ。短剣を返したのもその意思を示すためだろう。しかし実際、彼らの希望を聞き入れる余裕がこちらにあるかは甚だ疑問である。今のクライスに冷静な判断ができるかどうかだって考えものだ。クラウディアの言うように、結局はふたりに死を選んでもらうほかないのではなかろうか。酷な話だとは勿論己も思うけれど。
(それとも何か、アライン様には別の解決策が見えてるのか……?)
 ひとりのほうが都合いい。そう言った理由は本当にアペティートへの牽制だけなのか。
 いずれにせよ自分は勇者の命令に従い、真意を打ち明けられるのを待つだけだが。






 毒消しの魔法のおかげで思考はかなりハッキリしている。頭の回転も特に鈍ってはいない。
 ドリト島での戦い、ヒーナの介入、クライスとヴィーダ、破滅の魔法、気功師のこと、飛行艇でのこと、――それから。
 ベルクの説明はそう丁寧ではなかったが、自分の知らぬ間に何が起きていたのかは大体把握できた。最初はただ大陸外の抗争に巻き込まれぬよう動いていただけだった。それがあんな魔法と繋がっているなんて、誰にも予測できなかったはずだ。
 だからすべての責任が己にあるのではないのだと、そう思いたいのだろうか。
 誰の予断が取り返しのつかぬ過ちを招いたかわかっているくせに。
「……それでアラインがひとまず国土を奪い返してくるって? まぁアラインが言うなら本当に今日中に片付けちゃうかもね。ゴリ押しでなんとかできるくらいの力は持ってるし、アペティートの飛行艇だってひとりで追い返しちゃったんだろ? さっすが勇者様だよね」
 あれ、と違和感を覚えつつノーティッツは口を閉じた。なんでぼくこんな棘のある話し方をしているんだろう。
 俯いて座っていたから顔は見れなかったけれど、ベルクが返答に詰まるのがわかった。
 羽毛の入った柔らかい上掛けを握り締める。ちゃんと前を向いて話さなきゃと思っているのに何故かできない。これ以上顔が上がらない。浅い呼吸を繰り返すと、開いた口はまた勝手にぺらぺら喋り出した。
「でもさ、破滅の魔法はどうするのかな? あのままじゃ避難民を戻せないよね? あれは魔力を吸って更に巨大化するっていう古代魔法だろ。普通のやり方じゃ消滅させられないと思うんだけど。今までだってさ、結界の中にオリハルコンの楔を打って動かないようにしてただけなんだからさ、ヴィーダとクライスの存在に反応して復活しちゃうなら早いとこ処分すべきものは処分すべきなんじゃないかなあ?」
 一気にそう捲くし立てるとノーティッツはゼェゼェ肺に空気を取り込んだ。
 何を言っているんだろう。何を言っているんだろうぼくは。
 息を飲んだベルクの手が少し震えていて、その震えがこちらにまで伝染してくる。
(あれ? なんで? ――今ぼくふたりを殺せばいいって言わなかった?)
 ずきんと心臓に痛みが駆けた。鼓動が早まり肺が酸素を受け付けなくなる。
 もう中毒ではなくなったはずだ。使われた薬は継続使用が途切れると効果の弱まるものだったし、毒素も浄化されている。なのにどうしてまだ同じ症状に襲われるんだ?
「なんか判断が甘いよね? アペティートに何されたかアラインはわかってないんじゃない? 封印の中にいたから自分の目では見てないわけだし。クライスは自分たちで何とかするって言ってるんだから、それに任せればいいじゃないか。なんでわざわざヴィーダの意見まで聞いてやってるわけ?」
 目眩がする。寝台に腰かけて楽な姿勢を取っているのに視界がチカチカ明滅した。背中や脇が汗で湿って気持ち悪い。なのに唇だけは妙に乾き切っている。
「……っ」
 ベルクは何か答えてくれているんだろうか。心臓の音がうるさすぎて声なんか聞こえなかった。
 いや、聞きたくなかっただけかもしれない。
 顔を見なくたって、声を聞かなくたって、こいつが何を考えているかくらい簡単にわかってしまうから。
「ああ、でももし誘導可能なら破滅の魔法を発動させるのも悪くないかもね? アペティートに持ち込んでやれるなら、あの国も戦争どころじゃなくなるだろうし、封印もいっそあっちでやればさ」
「ノーティッツ」
「こんな戦争始めた国なんだから、それ程度のこと甘んじて引き受けてくれるよね? どこより一番他人の命を軽んじてくれたんだからさあ」
「ノーティッツ!!!!」
 殴られたのかと思った。でも現実には肩を少し揺らされたくらいだった。
 目の前にベルクの胴体が見える。多分今「そんなこと言う奴じゃないだろお前」って戸惑った顔をしている。
 頭の中は真っ白なのに、言葉は次々喉の奥から溢れ出てきた。
 なんで? 止められない。
「お前もお前だよベルク。さっきの連中、アペティートの軍人だろ? 誤魔化したって訛りがあるからわかるって。なんで仲良くやってんの? あいつら自分のことしか考えてないんだぞ? 自分と自分の家族が無事ならそれでいいって悪政にも犠牲にも目を瞑ってるような連中だよ。勇者の国の避難民受け入れるだけでも大変なのに、手ェ広げすぎ。それともまさか戦争起こした悪い奴らはアペティートの上層部だけだとでも思ってんの? 国民だって知ってて止めてないんだぞ? 自分の国が余所でどういうことしてるのかさあ!!!!!!」
 叩きつけた拳が熱を持っていて、サイドテーブルが少し溶けた。こんなところに最も強い自分の魔法属性が現れるなんて知らなかった。
 乱れた呼吸を落ち着ける間に炎も消えて、代わりに涙が頬を伝う。
「飛行艇で聞いたんだろ……? ニコラがどうやって殺されたのか……」
「……」
 薬が効いている間は人形にしか見えなかった、女の子の冷たい身体。今は鮮明に思い出せる。
 ぼくが馬鹿だったから死なせてしまった。敵兵なんかを信用したから。
 それだけじゃない。ベルクのことだって殺しかけたのだ。あんな高さから吹き飛ばして、自分の魔法で。
「……ッ」
 役に立つつもりで何もできなかったことが、小さな命を奪ってしまったことが、どうしようもなくノーティッツを追い立て焦らせる。土地と同じに取り戻せる代物ならどんなに良かったか。
「ノーティッツ……」
 思っていた通り幼馴染は罪の追及などしてくれそうになかった。仮に責任の所在を確定せねばならぬ事態になったとしても、この男はきっとこちらのせいだなどとは言わないだろう。そう庇われることが何より苦しいのに。

「あの、すみません」

 静寂の中にコンコンというノックの音が響く。遠慮がちに扉を開いたのはツヴァングとかいう勇者の都の青年だった。結婚式の前日に会ったなと思い出して、あれからまだ二ヶ月ほどしか過ぎていない事実に愕然とする。
「そろそろアライン様が出発するらしくて……、出られそうか?」
「アラインが? あいつやっぱりひとりで行くのか?」
「そのおつもりみたいだ」
 かつて青年がベルクに向けていた敵意の眼差しはまるで違うものに変わっていた。
 代理という言葉が頭をよぎって吐きそうになる。
 ノーティッツが囚われベルクの隣に立てなかった間、この青年が幼馴染の補佐に回って動いていたのだ。己の代わりに。
「…………」
 がくんと四肢の力が抜け、寝台に崩れ落ちてしまう。絶対に揺らがなかったものがぐらつき始めている。
 ベルクの頭がこちらを向いて、今にもまたヒステリックに叫び出しそうなノーティッツに小さく呟いた。

「お前いっぺん家帰れ。後で送ってくから」

 断絶を言い渡されたような気分に陥り音もなく喘ぐ。一瞬だけ双眸に映したベルクの顔は酷く苦々しかった。
「それって、ぼくは、外されるってこと……?」
 馬鹿と罵る声がいつもの友人のそれでなければみっともなく喚き散らしていたかもしれない。
 「違ぇよ」と否定すると、ベルクは家で休んで明日また来いと続けた。
 さっさと日常の中に戻して、いつもの自分を思い出させようということだろうか。
「……明日じゃなくても、今日何かあったらすぐ呼びに来てくれよ」
「わかってらあ。お前がいなきゃウチじゃ何にも決まらねえよ」
 その言葉にようやく安堵し、ホッとした自分にまた刃を突き立てたくなる。
 何もできなきゃ、このままじゃ、それこそ外されるのも有り得る話だ。
 ニコラのためにもぼくが結果を残さないと。ちゃんとアペティートに報復を与えないと――。
 パタンと閉じた扉の音にわけもわからず涙が滲む。
 ベルクはツヴァングに伴われ、部屋を後にした。
 ノーティッツはひとりだった。
 離れていても確かにあると感じられた絆が、今は遠い空にでも旅立ってしまったようである。






 これから戦地に赴くとは思えないほどアラインは軽装だった。武器は腰元に聖剣がひとつ、防具は兵士の国が貸し出した胸当てのみ、上から紅い裏地の白マントを羽織っている。
 イヴォンヌに安否確認用の呪符を手渡していた彼がこちらに気づいて振り返り、回廊の奥から手を振ってきた。ベルクは歩を速めマハトやエーデルたち見送り組の輪に入る。
「ごめんベルク、取り込み中ならいいって言ったんだけど」
「いや、丁度良かったぜ。俺もなんか余計なこと言っちまいそうだったし」
 いつも理知的で誰より冷静な判断を下してきた幼馴染の豹変ぶりを思い出し、つい溜め息をついてしまった。戦争が始まる前は、争ったって苦しむのは普通に暮らしたいと願う一般市民ばかりだろうと話していたのに。
 ニコラがいないことには気づいていたが、殺されていたことは知らなかった。ドリト島で会ったニコラの弟は家族全員アペティート兵に連れて行かれたと言っていたし、飛行艇ではその両親にしか会わなかったのだから、引き算すれば答えは明白だったのかもしれないが。
(ニコラか……)
 ブルフが、あのいけ好かない頬傷の男が殺したのだろうか。
 ノーティッツの見ている前で。

「ベルク」

 不意に呼ばれた名前にハッと現実に帰ってくる。
 見ればアラインが心配そうにこちらを覗き込んでいた。
「大丈夫? ノーティッツ、そんなに悪いのか?」
「……すぐには回復しねえだろうな。俺もなるべく目ェ離さないようにするけどよ」
「闇魔法で一定期間の記憶を消去することはできるよ。もしどうしても必要なら、だけど」
 思いがけない提案にベルクは一瞬目を瞠った。忘れることで癒えない傷をなかったことにできたとしたら、いつものあいつが帰ってきてくれるのだろうか。
 考えて、それから首を横に振った。
「それはいいわ。あいつが絶対そんなこと頼まねえもん」
 うん、と返ってきたアラインの頷きにベルクは苦い笑みを刻む。
 魔法で消せれば楽なのに。このどうしようもない怒りと悔しさを。
 折角連れて帰ってきたのに、もうあいつは俺の横にいるのに、何も言ってやれないなんて。

「ベルクはそのまま変わらないでね」

 アラインの声音についぞ聞いたことのない響きを感じてベルクは面を上げた。
 どういう意味だと問う前に、隣国の勇者は転移の光に包まれて影も形も消え失せる。
 胸の奥で警鐘が鳴り響いた。
 ――僕もあんまり一気に色んなこと決めすぎるの怖いんだ。
 昨日聞いたアラインの言葉が甦る。
 あいつ一体何を決めるつもりでいるのだろう。






 久方振りに戻った実家の食堂では昼の営業時間が終わったところのようだった。忙しなく洗い物を片付ける母にただいまを告げると「あぁおかえり」と普段通りに出迎えられる。
 王城から下町までベルクとウェヌスの三人で歩いてきたけれど、会話らしい会話など皆無だった。平和な街の光景がなんだか他人事のようで、まるで故郷にいる実感なんて湧かなくて。
「焼きパスタの余り食べるかい? 今ならトマト乗せてあげるよ」
「……いらない」
「あ、そう。じゃあ母さん食べちまうからね。欲しくなったら自分でお作りよ」
 敵軍に捕まっていたことくらい聞き及んでいるだろうに、昼食の続きを再開する母の態度があまりにいつもと変わらなさすぎて、何かがぷつんと切れた。膝の上に開かれた読みかけのレシピにも苛々する。
「他に言うことないのかよ!?」
 ノーティッツはカウンターに掌を叩きつけ、返事も待たず奥の階段を駆け上がった。配慮がないとしか思えない大きな嘆息まで聞こえてきて、勢い任せに自室の扉を閉める。奔放な性格なのはわかっていたが、こんなときまでマイペースを貫かれるとは思わなかった。
 ふらふらと寝台に突っ伏し、もう何も考えたくないと思考を放棄する。
 実家にいると三年前の旅立ちの日が甦ってきてつらかった。
 もう一度あの日からやり直せたらいいのに。






 ******






 戦争にならないようにと努力したのは、自国の安全保持以上に、殺し合う以外の道を選びたかったからだ。今でもその気持ちに変わりはない。
 アペティート兵を害するつもりは一切なかった。鉱山に連れて来られた作業夫たちもだ。
 己の理想主義が多少崇高に過ぎるのはアラインも理解している。ひとりも殺さず戦争を終わらせようなんて不可能だ。
 だが同時に思う。力を持った人間が理想を実現しなくてどうするのだと。
 普通にはできないことだから、普通から逸脱した誰かが先導者となるべきでないのか。
(これがベルクだと、普通の人をどんどん巻き込んで何でもないことみたいにやってのけちゃうんだけどね)
 勇者にもタイプがあるだろと笑った彼を思い出す。
 道に迷ったときいつも思うのは、ベルクがいてくれて良かったということだ。
 おかげでこうして己のやり方を貫ける。

「撤退準備、進めてくれてたみたいで良かった。もう採掘の時間は終わりだよ」

 山の中腹に設けられた建物ではアペティートの軍人たちが集まって会議を開いていた。飛行艇損傷の報せを受け、魔法使いの襲撃を受けた場合どうするか話し合っていたようだ。
「何者だッ!?」
 突然の闖入者に彼らは長い銃を構える。けれど銃弾は空気の壁に阻まれて、用途を果たさず地に落ちた。
 青い顔で次の武器を持ち出す彼らに五芒星の刻まれた右手を掲げ、アラインは呪文を唱える。デモンストレーション用の炎や稲妻を光らせながら。
「ひーっ! ま、魔法使いだ!!」
 得体の知れない術に対する恐怖からか、それとも直接的な死の恐怖からか、武器を捨てて逃げ出す者もいた。かと思えば果敢にサーベルを振り上げてくる者もいる。
「悪いけど効かないんだよ。ごめんね」
 全部まとめてひとつの結界に封じこめ、アラインは港への転移魔法を発動した。流石に本国まで送るのは骨が折れるので船で帰ってくれという無言のメッセージだ。
「わああああ!!!!」
「う、うわああああ!!!!!」
 部隊を丸ごと強制移動させるとまた元の山に戻ってきて、今度は鉱夫たちに同じことをした。彼らは下層の貧民で構成されているらしく、ガタガタ震えて命乞いをする姿を見ていたらなんだか気の毒になってしまった。
「……向こうに戻ったら、平和に生きられるよう自分たちにもできることを、何でもいいから探してみてください」
 ベルクならもっと胸に響く言葉で伝えられるんだろうなと思いつつ、なるべく穏やかに語りかける。
 何が正しいことなのかなんて今でもよくわからない。
 でもできることをするのは間違っていないと思う。きっと。






 ――港に送られた兵士たちは瞬間移動の脅威に度肝を抜かれ、皆一様に逃げよう逃げようと口を揃えているようだった。次々に出航する船を見つめてアラインもほっと息をつく。暴れられる前に結界に捕え、送り、また戻って、今度は場所を変えての繰り返し。それも最後の山を奪取し先程終了した。魔力はまだ十分に残っているし、実に呆気ない幕切れである。
 だが本番はここからだ。最後の船が港を遠く離れていくのを見送って、アラインは王都の屋敷跡へ転移した。どうしても確かめておかねばならないことがある。

「アライン……」

 いるかなと思っていた先客は封印の傍らで待っていた。金髪碧眼の破滅の使者。敵国の第三皇子。
 そう、最初に敵だと思い込んでしまったから協力し合えなかった。魔物をただ魔物としか認識していなかった頃と同じに。
「君に言わなきゃと思って……。気功師がぼくのところへ伝えに来たんだ。破滅の魔法はもう一ヶ月もすれば封印を破って出てきてしまうって……」
「一ヶ月? それだけしかもたないの?」
 驚いて穴の底を見やれば魔法はどくどくと心臓に似た鼓動を打っている。封印のためのオリハルコンを増やせば多少時期を遅らせるくらいできるのかもしれないが、おそらく焼け石に水だろう。ツエントルムが破滅を封じることに成功したのは片割れであるシュルトが絶命していたからだ。ふたりともが生きている現状では歯止めが効きはしまい。
 どうしたらいい、とヴィーダが震えて立ち尽くす。こちらがひとりであるタイミングを見計らって告げたのは、きっと皆の考えがクラウディアに近いと判断してのことだろう。タイムリミットが迫っているとわかればますますふたりの立場は悪くなる。
「どうすれば止められるのかわからないんだ。ぼくはどうなってもいい、でもクライスだけは……!」
 黙っていても悲痛な叫びが聞こえてくるようだ。彼はもう自分本位に相手を欲しがるラーフェじゃない。勇者としての自分もそれに応えようとしている。
 ヴィーダから視線を外し、アラインは真っ直ぐ破滅の魔法と向かい合った。
 赤黒い光の上に顔を隠した男がひとり浮かんでいる。以前は子供の姿をしていた気功師が。

「……やぁ、久しぶりって言えばいいのかな?」

 夕暮れの赤い光線が眩しく彼を照らし出していた。相変わらず微笑は型通りで崩れない。
 気功師を見上げたヴィーダが左手の魔力を放とうとしたのを腕で制する。攻撃などしても無意味だ。
「ずっと味方のふりをして……! 最初から破滅を呼び起こさせるつもりでぼくらに近づいたんだろう!? これで満足か!?」
 罵倒を受けても気功師は平然としていた。彼はひとり別の次元から世界を見下ろしていた。
「いいえ、私は運命の流れるままに従っているだけです」
 そうしてあっさりヴィーダの言を否定する。己の行動に意思など介在しないのだと。
 だから尋ねた。最後の決断をするために。
「君は運命の流れを見るだけで、流れを生み出したり操ったりする存在ではないんだよね?」
「ええ、その通りです。時折星に見合った力を渡すことはありますが、それをどう使うかまでは私の預かり知るところではありません」
「だったら今はどんな風に世界が見えてる? 君の言う流れはまだ破滅に向かって一直線なのかな?」
 気功師が何と答えるか、初めからわかっていた気がする。
 薄い唇は静かに開いて「いいえ」とはっきり音を刻んだ。

「あなたが目を覚ましてから急速に流れが捩じれています。あなたが持つ引力に負けて――」

 それを聞いてようやく半分心が決まった。
 もしやと想像していたことも確信に変わる。

「実は破滅の魔法をなんとかする方法、思いついてるんだ」

 ヴィーダは瞠目していたが、気功師の態度はそのままだった。成程とわかったような返事をするので「どういう方法か聞かないの?」と目を丸くする。
「今のあなたの問いかけで大体わかりましたよ。それに本来ふたつに割れるはずだったオリハルコンが三つに分かれてしまったのも、死の影を纏っていた人間がまだ生き延びているのも、あなたの干渉による結果でしょう?」
 時空を越えられるような人間は後にも先にもあなたくらいです、と気功師はアラインを指差した。
 ――来ている。今もどこかでこのやりとりを見守っている。何年後か、何十年後か、何百年後かの自分が。その目的が何なのかまではわからないけれど。
「僕を止める?」
 気功師は首を横に振った。
「私が人の意志を覆すことはありません。運命も、より強い引力を持った星に束ねられるでしょう」
 太陽が沈んでいく。
 都には闇の帳が下りてきて、白い月のもとに星々が煌き出す。
 この決断を成したとき、僕はどちらになるのだろう。広い空のたったひとつの輝きか、共に夜を越えんとする灯か。
「彼らの運命が破滅なら、あなたの運命は孤独です。あなたはきっと他の誰も歩んだことのない道を行く」
「……前にも同じこと言われたよ」
 山門の村での出来事を思い出し、アラインは小さく笑った。
 ひとりぼっちになった自分を導いてくれた聖女。彼女はあのとき背中を押すべくそう言ってくれたのだろうけれど。
「僕にとってもこの魔法をどうするかは簡単に決められることじゃないんだ。だからまだ結論は言わないでおくね」
 アラインの言葉に頷いて気功師は薄闇に姿を眩ませた。呆然と佇むヴィーダに帰ろうと呼びかけると、「どういうこと?」と説明を求められる。
「破滅の魔法をなんとかするって……クライスを死なせずにか? 本当に?」
「うん、でもその前に戦争を終わらせないと。これは本当に君がきっかけで始まったことなんだから、どう決着をつけるつもりかちゃんと考えてくれ。皆やクライスと生きていくために、君が何をすべきなのか」
「……」
「君にしかできないことがあるはずだ」
 兵士の城へ飛ぶ呪文を諳んじるアラインにヴィーダも黙って付いて来る。
 君にしかできないことがある。それはそのまま己に向けた言葉でもあった。
 破滅の魔法は消滅可能だ。でもアラインがそうしたところで、今度はもっと強い澱みを生み出すだけかもしれなかった。






 話し声が途絶え、風の音しか聞こえなくなり暫く経つと、ようやく賢者は重い口を開いた。
「……何を思いついたか知らんがあの口ぶりでは相当ろくでもない方法だぞ。賭けてもいい」
「ああ、まぁ血は争えねえってこったな……」
「どういう意味だそれは」
 屋敷の一角に残った壁の裏側に背を預け、マハトはふぅと溜め息をつく。
 ヒルンヒルトの言うように、きっとろくでもない解決策を思い描いているのだろう、あの勇者は。
 ヴィーダが都への転移魔法を唱えたときは何事かと思ったが、すぐにアラインがやってきて、気功師が現れて、盗み聞きするつもりなどなかったのについ最後まで見守ってしまった。アラインの様子も少し、いつもとは違う気がしていたけれど。
「心配か?」
「や、そりゃな。あんま無茶なことしねぇでほしいと思ってるよ。……でもアライン様はやっぱ勇者だからな」
 尋ねてきた男の方が心配そうな顔をしていて笑ってしまう。百年前はこんな風に話すこともなかったのに。
「決めたって言われたら俺は付いてくだけだ。大事なことならちゃんとその前に相談くらいしてくれるだろ」
 置いてけぼり食らわなきゃそれでいいと言うマハトにヒルンヒルトは眉根を寄せた。ばつ悪そうに「すまなかったな」と詫びるあたり、意外と可愛いところもあるのかなと思わなくもない。
「ともかく妙なやり方でないことを祈るよ。この種の問題で勇者ほど信用ならん相手はいない」
 昔のアンザーツのことを言っているのだろうとはすぐにわかった。世界のためなら自己犠牲も厭わなかった優しすぎる男。今はもうそんな勇者も、氷の賢者も、どこにもいない。
「アライン様とアンザーツは違うさ。それにベルクだっているしな」
 あの人が打ち明けるまで誰にも言うなよと釘を差すと賢者は頷き了承の意を示す。
 引っ掛かるのはアラインの頭の中より気功師の言葉だった。
「――孤独か。彼の名前は『ひとり』という意味だったな、確か」
 私がその名に力を与えてしまったのかもしれないとヒルンヒルトが呟いた。何も残らぬ真っ白な右手を見つめながら。






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 帰国からこっち、ヴィルヘルムは荒れ狂っていた。
 フロームを落としたのも、エアヴァルテンを落としたのも、ビブリオテークを跪かせたのもこの帝王だ。気功師軍を擁するヒーナでさえアペティート本国に軍を立ち入らせたことはない。それが数百年も霧に閉ざされていた未開の小国に、しかもたったひとりの王に自慢の飛行艇を撃墜されてしまったのだ。負け知らずで生きてきたこの男にそんな屈辱が耐えられようはずもなかった。

「ゼファーはまだ直らないのか!? 鉄はまだ予備が残っていただろう!! さっさと修理を進めろこの愚図ども!!!!」

 見境なく当たり散らす帝王の側をブルフはそっと離れていく。今まで彼が支持されていたのはアペティートという国の強さを誇示する才に長けていたからだ。三日月大陸の魔法に対抗できないとわかった今、権威の失墜は時間の問題である。
(少なくとも次のビブリオテーク戦には勝たなきゃならん。でないと武器が底を尽く)
 十五で軍の門を叩き、二十年かけてここまで上り詰めてきたが、そろそろ潮時かもしれない。ブルフが粛清を繰り返してきた結果、軍にも大して有能な武官が残っていなかった。金に替えられるものは金に替え、逃げる準備をしておいた方が利口だろう。この国はもう終わりが見えかけている。
(戦闘の混乱に乗じて足抜けするか。ビブリオテークを落とせそうならもう一、二年甘い汁が吸えそうなんだがな)
 勇者の国の王が間抜けで命拾いした。勝てない獣に噛みつく趣味はない。最近豊かになってきたというヒーナにでも渡って、少しのんびりするのも悪くはなかろう。或いはこのまま軍の私物化を押し進め、帝王の権力ごと掠め取ってしまうか――。
「負けられん、ビブリオテークだけはどうあっても陥落させる……っ! 呪符を積め!! 砲弾を倍にしろ!!!!」
 ヴィルヘルムの枯れた声は船倉にわんわんとこだました。尻に火がついた王など本当にみっともないだけだ。
(もっと上手に生きりゃいいのにねぇ)
 飛行艇の修復作業は急ピッチで進められている。電気系統をやられたのが痛いところだが、元の状態に戻すだけなら二週間はかからないだろう。
 鼻歌混じりにブルフはゼファーを見上げた。敗北の責任を然程追及されなかったのは幸運だった。もっともヴィルヘルムの周囲から重臣や息子を遠ざけ、他に頼る者を持たないように仕向けてきたのは己なのだけれど。
(ご安心を陛下。何もかも俺が引き取って差し上げますから)
 愚かな帝王は金切り声で叫び続けた。王は王として生まれ、王として死んでいくのだと疑いもしないで。







(20130107)