日の沈む頃には無事オステン村へと辿り着き、ベルクたちはやっとひと息つくことができた。知らない間にウェヌスが兄と再会していたり、クラウディアが友人と再会していたりしていたが、バールが人語を喋ったことに比べればそう大した驚愕ではなかった。
 小さい村ながら宿泊設備の整った建物は多く、やはり交易で成り立っている土地なのだなと実感する。確かここは元々兵士の国の移民が拓いた村で、辺境の国にあっても村民の魔法使い率は低かったはずだ。生活の柱を奪われ、国土は魔物に攻められ、今までどうやって生き延びてきたのか不思議だったが、帰り道で見たエーデルの戦いぶりを思い出し納得した。これだけ凄腕の用心棒がいれば確かに何とかならなくはなかったろう。
 それにしても一気に大所帯になったなと椅子やベッドに腰掛けるメンバーを見て思う。バールが一度全員で話したいと言うので、宿の大部屋にはベルクをはじめとし、ノーティッツ、ウェヌス、オーバスト、ディアマント、エーデル、クラウディア、マハト、アラインの総勢九名が集まっていた。冒険者揃いなので仕方はないが若干の男臭さが鼻につく。部屋もそう広くはないため皆肩を寄せ合っていた。
 隣に座ったノーティッツが「ウェヌスのお兄さんと話した?」とこそこそ聞いてきて「いいや?」とベルクは首を振る。幼馴染はしかめっ面で「あっちも相当問題児だよ」と囁いた。既に何かしらの衝突があったようだ。
 こっちの問題児――女神ウェヌスが抱えていた問題はつい昨日解決したばかりである。剣が抜けないなんて、オリハルコンが輝かないなんてと取り乱しに取り乱した挙句、重病人のように伏せっていたのがようやく元気になってくれた。これもアラインがベルクの窮地を救う手助けをしてくれたおかげだ。女神は他の勇者候補と協働することを前向きに考え始めたようだった。素晴らしい精神的前進である。
「えらいすんまへんなあ、天界人の女神はんたちにもこんな狭いとこお越しいただいて」
 訛った声が響くと同時、パタパタと入り口から青い鳥が飛んできた。全員揃っているのを確かめるとバールは輪の中央で羽を畳む。
「……フン、番人風情がこの私を呼びつけた理由をさっさと説明しろ」
 鼻息荒く吐き捨てたのがウェヌスの兄、ディアマントだ。成程ノーティッツの言う通り集団生活には向いていなさそうだった。王宮によくいるワガママ貴公子タイプだなとベルクはほんのり思い出に浸る。従兄弟がまさにあんな感じだったのだが、数年前に手合わせしてから彼には徹底的に避けられている。負けたら頭を剃ると言うから約束を実行させただけなのに。
「ほな早速話させてもらいますわ。えー、あー、ゴホン。こうして集まってもろたんは他でもない。なんでこないに勇者候補がようけおるんかハッキリしたからや」
 だがホームシックになっている時間はなさそうだった。勇者という言葉に部屋はシーンと静まり返り、皆一様にバールを見つめる。
「ワシも何から話せばええのかやけど……ともかく事は百年前に遡る。ホンマやったら魔王を倒した勇者は国に帰って子孫を残して自分は墓に入るもんやねんけど、どうも前回に限ってはそう収まらんかったみたいなんや」
「……というのは?」
 バールに尋ねたのは天界人のひとりであるオーバストだ。ウェヌスはともかく彼が把握していない出来事なら今まで本当に誰も知らなかったのだろう。
「アンザーツは――、あのアホは死なへんかったんや。せやから他に勇者になれる奴が誰もおらへんねん」
 ぽかんとベルクは口を開いた。対角線上ではアラインが瞬いている。
 死ななかったとは、考えるまでもなく存命ということだろう。だがそれが事実だとしてアンザーツは今何歳なのだ?百歳は確実に越えているはずだ。それではヨボヨボのジイサンではないか。
 ベルクがそう口を開きかけたのを遮るようバールは「ツッコミと質問は全部聞いてから頼むわ」と制してくる。流石にこのリアクションは予想済みだったらしい。
「……なんぼ神様でも自分の神託だけは覆せへん。アンザーツは三つの塔を制覇して真の勇者やってことを一度は認められとる。それが未だに唯一無二の勇者の称号持ったままウロウロしてるとしてみい? 世界には次の勇者が必要やのに、その席は既に塞がっとるわけや。そら勇者の力も分散するて」
「アンザーツって天界に召し上げられたんじゃなかったっけ?」
 これはノーティッツからの問い。バールは首を振り「それは人間が後付けやと思う」と答えた。
「アンザーツが生きとるっちゅう証拠はまだあるんや。さっき河の上をワシひとりで飛んでたとき、番人仲間のラウダと賢者のヒルンヒルトに会うた。何をどうしたんかはわからんけど、ヒルンヒルトはハルムロースに憑いとった。多分憑依の魔法や」
「ハルムロースが!?」
 ガタッとアラインが寝台から立ち上がった。ベルクにとっては詐欺師同然の男だが、あちらのパーティにとっては共に旅した大事な仲間であるらしい。心配そうなアラインにバールは「心配すんな」と声をかけた。
「ハルムロースに危害を加えようって感じやあらへんかったし、大方あの兄ちゃんの魔力狙いやろ。ハルムロースもまあ賢者名乗っとるだけあってメチャメチャ強いさかい、そのうち自分でなんとかしよると思うわ」
「……でも本当にヒルンヒルトがそんなことを? バールの勘違いじゃないのか?」
 アラインは信じられないという顔をしていた。百年前の英雄たちの名前などベルクにはあまりピンと来ない。「憑依ってことはヒルンヒルトっておばけなのか?」とうんうん唸る程度だ。幼馴染のひとつ隣ではウェヌスがクエスチョンマークを浮遊させている。自分はまだ話についていけているが、もしわからなくなったら後でノーティッツに説明してもらおう。勝手にそう決める。
「えっと、ラウダっていうのは首飾りを守ってる番人? それもバールと同じように鳥の姿で飛んだり話したりできるわけ?」
「せや。そいつも百年前から行方不明やったんや」
「ってことはそれって……」
 ノーティッツはごくりと息を飲み黙り込む。改めてバールの姿を見て、ベルクも「まさかな」とある男の顔を思い浮かべた。紅いマントの肩に青銀羽の尾長鳥を連れた神速の剣士――。
「まどろっこしいな。地上では神具を持つ者が勇者とされているのだろう? だったらエーデル、お前に神鳥の首飾りを預けた奴がアンザーツなんじゃないのか?」
 と、そこへまったく予期しなかった方向から爆弾が飛び込んできた。ディアマントが顎でエーデルを示すと褐色肌の少女がキッと男を睨み返す。「なに勝手に人のことべらべら喋ってるの? デリカシーがないわね!」と言ったところだろうか。
「神鳥の首飾りて、ジブンそんなえらいもん持っとるんか!?」
「あたしのじゃないわよ! あたしはただクラウディアに……っ!!」
 今度はシスターの姿をした少年に注目が集まった。次から次へと忙しい。クラウディアは困ったように笑みを零すと、落ち着き払った様子で「まずはバールさんのお話を最後まで聞きませんか?」と提案した。
「あなたにはもうアンザーツが誰なのかわかっているんでしょう?」
 ざわめいていた部屋が再び静寂を取り戻す。独白のように「せやな。せや」と繰り返し、バールはアラインに顔を向けた。
「……アンザーツはイックスや。姿が若いままなんは今になるまで封印されてたからやと思う。そう考えると全部辻褄が合うねん。どこ探してもあいつがおらんようになったことも、あいつの子孫のはずのジブンに勇者らしさが全然備わってへんことも」
 え、とベルクは顔を上げた。勇者らしさが備わっていないとはどういうことだ。アラインは国中から応援されているサラブレッド勇者なのではなかったか。
 だが当人は今更という風で取り乱す様子はない。それで合点がいった。何故アラインが突然自分は勇者に向いていないかもなどと言い出したのか。
(だからあいつヘコんでたんだな)
 勇者を目指してあんな高い塔を登ったのに、そこで聖獣に向いていないなどと評されてはさぞかし落ち込んだことだろう。更にイックスが本当にアンザーツなら、もう出来上がっている勇者と自分を比べてドツボにハマっていたと思われる。
「イックスが……? でもそうかも。盾の塔に入ったとき、イックスは地下に隠しルートがあるのを知ってたんだ。彼がアンザーツならそれぐらい知っててもおかしくない」
 ベルクははたと思考を止めた。視線をすっと横に向ければ幼馴染が自分と同じ表情で硬直している。唇は薄く開き、眉間には濃すぎるほどの皺が寄っていた。つう、と静かに汗が伝う。
「隠し……ルート……?」
「うん。フロア数が三十か四十近くあっただろ? こういう場所には最上階への最短ルートが隠されてるものだって教えてくれて。剣の塔の地下にも一気に最上階へ行ける魔法陣があったけど……」
「助けてくれベルク!! ぼく死にそうだ!!!」
「俺もだ!!! 俺も瀕死だ!!!!」
 散々苦労したあのダンジョン攻略はなんだったのだ?一時は死を覚悟したほどなのに、そんな抜け道があるなんて聞いていない。聞いていなさすぎる。
 あまりのショックに幼馴染と男泣きに泣いていたら、バールに「やかましい!!」と怒鳴られた。こちらは今までの冒険の中で最大かつ深刻なダメージを食らったのだ。暴れなかっただけマシだと思ってほしい。
「まぁともかくや、何考えとんのかは相変わらず謎やけどアンザーツはまだ生きとって、ラウダとヒルンヒルトとつるんで何かしようとしとるらしい」
「何かってなんだよ?」
「それがわかったら苦労せんわ。……けどラウダはワシに、勇者を魔王城へ送る必要はないて言うてきよった。もしかするとアンザーツも魔王だけは自分でどうにかする気なんかもしれん」
 直接聞かな何もわからんけどなとバールは付け加えた。
 イックス――イックスか。ベルクもしばらく討伐隊の一員として関わったが、まさかあの男がアンザーツだなんて思いもしなかった。だが実力的には頷ける。そもそも漂わせている気配や風格が普通ではなかった。他にはこんな人間見たことがないと思うほど。
「でもイックスがアンザーツなら、どうして神鳥の盾は黒く濁ったんだろう?」
 寝台に座り直したアラインが考え込んで親指を噛む。確かにイックスはベルクにも「君はぼくより神様の望む勇者像に近いんじゃないかと思うよ」と話していた。
「多分それは今あのアホが不完全やからやと思う。アラインと一緒に塔へ入ったんも同じ理由やろな。あいつ多分、身体がないんや」
「はあぁ!? けど普通に戦ってたぞ!?」
 頭脳労働の不得意なベルクとしては、納得いかない推測に文句をぶつけるしかできない。考えるのは苦手だ。
「精神体でも高密度やったらちゃんと触れるで。ワシかてしょっちゅうアラインの肩にとまっとるやないか」
「えっ!?」
「あ、バールも精神体なのか……。そりゃ見た目じゃわかんないや」
 じろじろと全員から見つめられ、バールは気恥ずかしそうに咳払いした。何を照れているのだこの鳥は。
「まぁイックスがホンマにアンザーツなんかどうかは会うて確かめなアカンけどな。ほな次はジブンの番や、クラウディア」
「……」
 名指しされた僧侶がすっと麗しい顔を上げる。
 彼に関してはノーティッツとふたりで「あの僧侶は何故女装しているのか?」「スカートめくりテロを実行した場合、我々は何を得て何を失うことになるのか?」などこっそり白熱トークをしたことがある。そのあたりの謎もついでに解明されれば嬉しいのだが。
「話聞かせてもらえるか? ジブンその首飾り、どこでどうやって手に入れたんや?」
 が、クラウディアの薔薇の蕾のような唇で紡がれた返答は予想外に血なまぐさいものだった。






 あまり多くは語れませんとクラウディアは前置きした。そんな彼を庇うように主人が僧侶の事情を説明する。温泉街で聞いた、言動を制限することで飛躍的に魔力を向上させるという古代魔法について。
 アラインとクラウディアを見守りながら、マハトはちらりとバールを盗み見た。僧侶の話も気になるが、さっき神鳥が言っていたことはもっと気になる。アラインに勇者らしさが欠けている理由。何故それがアンザーツと繋がるのか。

「……わたしは捨てられた子供でした。ヒルンヒルトの隠れ家で、彼の娘によって育てられてきました。育ての親を亡くしてもわたしはまだ盾の塔の傍らに住んでいましたが、ある日天の声を耳にし、ここに至るまでの旅を始めたのです」

 お告げの話は聞いていなかったぞ、とマハトは内心舌打ちした。
 仲間同士の隠し事が一番嫌いだ。築き上げてきた信頼が失墜する第一の理由になる。
「天はわたしにふたつのことを命じました。ひとつは神鳥の首飾りを探すこと。これはヒルンヒルトの手記通り、辺境の遺跡に封じられていたので見つけることは難しくありませんでした。もうひとつは勇者アンザーツの足取りを掴むこと。こちらに関してはかの大賢者も一切情報を残していませんでしたから、どうすることもできませんでした」
 ちょっと待て、と不機嫌な声が響く。ディアマントとかいういけ好かない天界人の声だった。
「天からのお告げだと? 貴様のような人間に神託を与えたなど聞いておらんぞ」
「わ、私もです……!」
 不遜な態度で腕を組む男の横でオーバストがこくこく頷く。ウェヌスも戸惑うような顔をしていた。マハトからすれば彼らが天空からの使者だという方がよほど胡散臭く感じられるのだが。
「まぁまぁ、全部聞き終わってからにしましょうや。ほんでジブンはアンザーツの足取りをどうやって掴もうか悩んでるうちにアラインと会ったっちゅうことか?」
「ええ、そうなります。神鳥の盾がアラインさんの隣に転がっていたときは驚きました。それを手にしたのがアラインさんとは別の方だと知ったときも」
 一緒について行けば何かわかるかもしれないと思い仲間に加わった、とクラウディアは打ち明けた。あのときはもう一度会いたい友人がいるなどと言っていたくせに。
 何を苛々しているのだろうとマハトは嘆息する。いでたちからも信用し切れぬ相手なのはわかっていたはずだ。魔法のせいで自分を語ることができないなどと口にしていたし、今更こんな話が出てくる可能性は十分あった。気に留める必要はない。
「首飾りをエーデルに渡したのは何故だ? 必要なものではなかったのか?」
 またディアマントだ。彼はクラウディアに対して妙に突っかかる。
 この問いには答え難いものがあったのか、クラウディアは暫し黙り込んだ。
「……首飾りは持ち歩く必要があったわけではありません。勇者であると定められた人間に、いつか渡せれば良かったのです。エーデルに預けたのは単にわたしの我侭です。もう一度会いたいと思った初めての友人でしたから」
 探し人の話、半分は本当のことだったかとマハトは少しホッとする。
「クラウディア……」
 潤んだ瞳を僧侶に向けるエーデルを見てディアマントの血圧はますます上がっていたが、正直あまり関わりたくなかった。
「じゃあ別にクラウディアがひとりで首飾りの塔へ行って、ひとりで聖獣と戦って勝ったとかじゃないんだな? ちょっと焦ったよ。実はそんなにすごかったのかって」
「いくらなんでも無理ですね。辺境へ旅してくるだけでわたしには精一杯でしたし」
 アラインの零した軽口が何故かマハトの心臓を刺す。笑ってそんなことが言えるようになったのは喜ばしいことだ。そう思うのに認めていない自分がいた。

「……なぁクラウディア、それどこまでホンマの話や?」

 やや綻んだ雰囲気を凍りつかせたのはバールだった。羽を広げて空中に舞うと、神鳥はクラウディアの膝に降り立つ。凄むような聖獣の目つきにも迫力があったが、それ以上に恐ろしかったのは僧侶がまったく表情を変えず微笑んでいることだった。
「なんや違和感あるねん。ジブン天の声聞いたて言う話やったな? そのときお告げで命じられたことっちゅうのはホンマに首飾りを探すこととアンザーツを探すことやったんか?」
 緊迫した空気など露ほども気に留めず、僧侶は黙っている。否定することも肯定することもなく。
「……言えないのか?」
 アラインが聞くとクラウディアは「いえ、お話しします」とかぶりを振った。彼にかかった古代魔法への影響については何も言及しない。嘘をついたぐらいなのだから問題ないわけがなかろうに。
「バールさんはどう思ってらっしゃるんですか? わたしのお告げについて」
 今度はバールが黙る番だった。誰に対しての配慮なのか、喉まで出かかっている言葉を酷く言い淀んでいる。
「神様のお告げっちゅうんは特別な契約や。初めてジブンを見たとき、ワシはええ勇者が来よったなあて思た。せやからとりあえず、勇者になれっちゅうお告げか、それに近いもんは受けたんちゃうかなて思っとる」
 クラウディアは沈黙を保った。それはバールの推測が事実に近いものであると認める沈黙に思えた。
「馬鹿か鳥、そんなわけがなかろう。父なる神に魔王討伐を命じられたのはこの私だ。そんな胸板の薄い軟弱そうな男が勇者に相応しいはずあるまい!」
 憤慨するディアマントの鳩尾がエーデルの肘に抉られる。暫し彼は痛みに悶絶した。
 人を悪し様に言うからそうなるのだとマハトも呆れる。顔立ちは整っているのに残念な男だ。
「そうや、神様がこっそりお告げをしたのには理由がある。他の勇者候補には頼めへんようなことをジブンには頼んだからや。そうなんやろ?」
 少しの時間逡巡して、クラウディアは静かに頷いた。白く細い指が祈るように組まれ、腿の上で震えている。
 開かれた唇から涼やかな音が響いた。粛々とした聖歌のように。

「見つけ次第アンザーツを殺すようにと」

 勇者にしか入れない場所があるので勇者として使命を授かったのでしょう、とクラウディアは続ける。
「黙っていてすみません」
 僧侶はアラインに詫びると身体を弛緩させ、疲れた顔で長い息を吐いた。その細い肩をエーデルが献身的に支える。
「……それは確かに頼めないねえ。勇者になりたければ邪魔な先代勇者を消せってことか。人類の英雄になろうって男にはさせちゃいけない汚れ仕事だな」
 ノーティッツの言葉は静まり返った室内にこだました。まさかそんな殺伐とした話になるとは思ってもおらず、誰も二の句を告げない。目を見合わせるしかできない面々にいつもの清廉な眼差しを向け、クラウディアは笑ってみせた。
「お告げを受けはしましたが、わたしはまだ自分がどうすべきか答えを出していません。それはこれからのアラインさんとの旅の中で見つけたいと思っています。……ご迷惑でしょうか?」
 急に話を振られたアラインが「えっ!?」と素っ頓狂な声を上げた。
「それはつまり、これからも……?」
「ええ、これからもお供させていただければ嬉しいです。勿論僧侶として」
 右手を差し出したクラウディアにアラインは迷うことなく握手を返す。イックスがアンザーツかもしれないという話は元より、そのアンザーツを殺さなければ勇者にはなれないという話も些かショッキングであっただろうに。
 今どうするのが一番いいのか、クラウディアの手を取りながら考え始めた主人が見ていて眩しかった。――自分ひとりで考え始めた彼が。
「……アライン様に勇者の気配がなかった理由はなんだったんだ?」
 胸の内を誤魔化すようにマハトは声を絞る。何か別の話題が欲しかった。いつものようにアラインと話せる話題が。
「ん?わからんか?おんなじ家系にバリバリ現役のホンマモンがおるんやから子孫に反応が出んでもしゃあないやろ。アンザーツが大人しゅう勇者であることを放棄したら、アラインにも勇者オーラがばっしばし放てるよぉになるわいな! 楽しみにしとったらええで!!」
「おお、成程! 良かったっすねアライン様!!」
 ばしんとアラインの背中を叩いたら「痛いぞ、マハト」と半分顔をしかめて見上げてくる。だが残り半分は安堵に緩んでいた。
 短いやり取りだったがマハトもほっと胸を撫で下ろした。
 恐れや不安など早く消え去ってしまえばいい。置いて行かれることなど有り得ないのだから。
「とりあえず今夜はこれで解散かな?」
「せやな。結局アンザーツのアホが何考えとるかハッキリせんうちは今まで通り魔王城を目指すしかないやろしな」
「おう、そうだ。魔王を倒せば全部解決すんだから、誰が勇者とかこの際関係ねえ! とにかく魔王をぶちのめしゃいいんだ!!」
 話し合いはともかく終わったらしい。立ち上がったアラインに声をかけようとしてマハトは身が凍るのを感じた。

「ベルク、広場でちょっと手合わせしよう。もう暗いけどその方が面白いだろ?」

「おー! いいぞいいぞ!!」

 同世代の気安さか、或いは同じ勇者という立場から来る親近感か。アラインはベルクをどこかしら特別な人間として認識したらしい。
 あっさり閉じられた扉は一度だけ開かれた。ひょこりと顔を覗かせたベルクが「ノーティッツかオーバスト、そのアホ女にわかるように説明しといてやって」と言い残し、再び部屋を後にする。
「あいつ嬉しそうだなあ! まぁぼくじゃ剣の相手にはならないもんなー」
 対等な友人だからかノーティッツのぼやく言葉はどこか呑気だ。
 自分はどうなのだろう。もしアラインに頼ってもらえなくなっても、存在価値は残るのだろうか。






 辺境の風はどこか生温い。土地自体が魔力を帯びていると聞いたことがあるけれど、成程という感じだった。
 交易の盛んだった頃は市が開かれていただろう広場まで来るとアラインはベルクを振り返る。早速打ち合いを始めようと背中の剣に手をかけたところで「さっきの話さあ」と切り出された。
「さっきの?」
「勇者らしさが備わってるの備わってないのっていう話」
「ああ」
 ぽりぽりと頬を掻きつつアラインは苦笑いを浮かべる。気には病んでいたがもう吹っ切れた話だ。どん底に落ちていた昨日までの自分を思い出すと少々気恥ずかしい。特にベルクに指摘されると居た堪れなかった。彼にはそういった悩み事などなさそうだったので。
「言われたときはショックだったし、引き摺ったけどね。それでもまあ勇者の子孫としてはやるしかないから。……まさか勇者らしからぬ原因がアンザーツだとは思わなかったけど」
 バールの言ったことが本当かどうかはまだわからない。しかしイックスがアンザーツだと言われるとすんなり納得できた。立ち居振る舞い、強すぎるほどの強さ、優しげな眼差し。すべて鮮烈に印象に残っている。
「お前としてはどうなの? アンザーツが生きてるとして」
「うーん、そうだな……」
 ベルクと話すのは心地良かった。彼にはアラインの内側を探ろうとか見透かそうという意識が一切ないし、一度胸の内を吐露したおかげか楽に会話できる。勇者同士が一番気を遣わないなんて不思議だ。仲間の中ではどうしても気を張ってしまうのに。
「僕はイックスがアンザーツなら嬉しいよ。自分の中ですごく理想の勇者に近いんだ。彼の血を継いでいるなら素直に誇らしいし、僕もあんな風になれるかなと思うとドキドキする。会えたらたくさん話を聞きたいな! 何をしようとしてるかわかりたいし、賛同できそうなら協力もしたい!」
 熱の入った目で話すアラインにベルクは少し驚いたようだった。「そっちの国ってやっぱアンザーツ大好きなんだな」と半歩引いた感想が返ってきたので慌てて首を振る。
「いや、僕もあの勇者第一の国民性はたまにどうかと思うけど、アンザーツは僕にとって、そういうの関係なく特別だから」
 尊敬してるんだと教えるとき妙に照れてしまった。ベルクには聞いてほしかったけれど、理解されないのではないかとも思えたから。
「ああ、わかるぜ。俺もそういう人いるよ、ノーティッツのカーチャンなんだけどな」
「へえ、ノーティッツの?」
「昔からあの人にだけは頭上がんねえんだ。どんだけ巧妙な悪戯を仕掛けても一度も引っ掛からねえし、逆に『あたしに予測できない悪行はないよ!』とか豪語するし。まー色んなこと教えてもらったよ。大抵ろくでもねえことだったけど」
「……」
 へえ、そう、としか言いようがなくアラインは地面に目を逸らした。王子様のくせに何故ベルクはこんなに自由なのだろう。悪戯とか悪さとか、うんと小さい頃でも自分は考えたことがなかった。
 早くに両親が事故で死んで、それからはマハトたち一家に面倒を見に来てもらって。
 寂しさを紛らわすようアンザーツの本ばかり読み漁った。寝る前にはマハトが冒険譚を聞かせてくれた。
 強いアンザーツ。優しいアンザーツ。
 憧憬はあの頃に刷り込まれたのかもしれない。






 アラインたちが出て行ってすぐ、コンコンと扉がノックされた。「エーデル様はおられますか?」との声に眉をひそめ、椅子から立ち上がる。声はエーデルの嫌いな村長のものだった。
「何の用?」
 ドアを内側に引きながら問いかけると老齢の男がへつらうような目で見上げてくる。眼差しの奥にはエーデルに対する恐怖と嫌悪が見え隠れしていた。心がざわつく。こんな風に見られることにはいつまでも慣れない。
「実はですねえ、船で来られた兵士の国の方々に何名か残ってもらえることになりまして……。それでそのう、エーデル様には申し訳ないのですが……」
 明日には出て行ってもらえませんか、と言われてエーデルは頭を抱えたくなった。散々こちらの世話になっておきながら手を切るときは一瞬か。都合のいい連中だ。
「どうせもう出て行くつもりだったわ」
 それだけ返すと村長はそそくさと立ち去る。魔物の血が入った娘など、用がなくなれば置いておく気もないというわけだ。悔しさを堪えてエーデルは立ち尽くした。気遣うようにそっとクラウディアがやって来て、綺麗な声でエーデルの名を呼ぶ。
 喋る鳥の話は今ひとつ理解できなかったが、クラウディアが特別な人間だということだけはわかった。あの失礼なディアマントですら天上の住人であるらしい。――どこにも居場所がないのは自分だけだ。
「エーデル、少し外を歩きましょう」
「……」
 手首を握られエーデルはハッとクラウディアを見つめ返した。
 昔と変わらない大好きな笑顔。肌も髪も変わり果てた自分が、どうやって彼にはエーデルとわかったのだろう。
 宿を出てひっそりとした村の外縁を歩く。星が静かに瞬いている。手はずっと握られたままだった。
 昼間ははぐれた仲間を探すためゆっくり話もしていられなかったが、クラウディアはぽつりぽつりとエーデルに別れてから今までのことを教えてくれた。どんな仲間と旅しているか、この先どこへ向かうつもりか。
 聞けば聞くほど悲しくなる。勇者の旅など自分が混ざれるはずもない。

「……首飾り、あなたに返すわ。ひと目でも会えて嬉しかった」

 村外れの門で足を止めるとエーデルは首裏の鎖に手を伸ばした。もうどこかで野垂れ死んでも構わなかった。
 けれどクラウディアが首を振る。「まだ返されると困るんです」と苦笑しながら。
「どうして? 大事なものなんでしょう?」
「あまり自分では持っていたくないんですよ。その首飾りは神聖すぎて……」
 それにと彼は続けた。エーデルの指先を温かい両手で包んで握り締める。
「首飾りがあなたを魔性の血から守ってくれるはずです」
 にこりと微笑むクラウディアにエーデルは目を瞠った。
 まさか彼は最初からそのつもりで首飾りを預けてくれたのだろうか。
「……知ってたの?」
「あなたのお母様から、お話は」
「……あたしが怖くならなかったの?」
「なりませんでしたよ。だってわたしたちは友達だったでしょう」
 ぽろぽろと目の端から涙が溢れた。エーデルはクラウディアの手を握り返したままずっと離さない。
 一緒に行きませんかと彼が問う。エーデルには頷くしかできなかった。
 魔物の姿の娘なんて受け入れてくれる街などない。だからと言って、生まれ故郷を壊滅させた魔物の国に行けるわけがない。
 クラウディアのいるところ以外、もう生きていたい場所などなかった。






 アラインとベルクが出て行き、クラウディアとエーデルが出て行き、マハトが疲弊した顔で隣の部屋へ移ると、残されたメンバーはほぼ天界の人間だけとなった。本来こうあって然るべきなのは、ディアマントやオーバストがアンザーツの行動についてああでもないこうでもないと意見を交換することなのだろうが、残念ながらそういった雰囲気には露ほどもなっていない。相変わらずウェヌスの頭からは煙が出ているし、ディアマントはクラウディアが気に入らないと言ってカッカしている。そんなディアマントにオーバストは「もしかしてディアマント様、魔物殺しのことをお好きになられたのですか?」などと若い娘のようなことを尋ねていた。
 天界とは一体なんなのだろう。もうトルム教が信じられない。いや、元々そんなに信じてもいなかったけれど。
 ノーティッツは溜め息をつくとウェヌスの前で掌を振った。女神はまだうーんうーんと唸っており、情報処理が追いつくには少し時間がかかりそうだった。
「誰があんな女を好きだと!? ふざけたことをぬかすな!!!」
 恥ずかしげもなく叫ぶディアマントの声が鼓膜を揺らす。「それもうフラグ立ってるぞ」と教えてやるべきか否かノーティッツは少し悩んだ。
「なかなか生きづらそうな性格してはるなあ、ディアマントはん」
「そうだねえ」
「女神はんも常々ボケトーク炸裂してはるし……神様がふたりには肝心な話しとらんのもわかる気ぃするわ」
「そうだねえ」
 相槌を打ちながらノーティッツは神様とやらに思考を巡らす。先代勇者を殺せなど、あまり穏やかな話ではない。しかも隠密に事を運ぼうとしていたのが引っ掛かった。その根回したるや、神様というより時の権力者のようではないか。少々人間臭すぎる。
「恋愛トークついでに聞いといてええか? 女神はんとあの不細工て実際どうなっとるん?」
「いやーどうにもなってないね!」
 神鳥の質問に即答すると「あ、やっぱりか。そうやと思ったわ」とバールも頷き返してくる。
「女神と勇者の間に男女の感情など有り得ませんわ! とか言うてはるんやろうな、この女神はん」
「まさしくその通りだよ」
 女神なのに言動を読まれすぎていて笑えた。妙なところで漂う人間臭さと言えば、ウェヌスたちも確かにそうだ。羽がなければほとんど人間と変わりない。
「天界ってどういう人口比率なの?」
 軽い好奇心から出た問いに、しかし明確な答えは与えられなかった。
 バールは事もなげに「知らん」と言い放ち、人間タイプを見るのは今回が初めてだなどとのたまう。バールがいた頃の天界は唯一神のトルムがいて、精神体である神鳥が数百羽いて、それだけだったらしい。
「長いこと経っとるさかいなあ。戻ったら女神はんみたいなんがぎょうさんおったりして」
「あはは。軽いホラーだ」
 笑って返すもノーティッツの思考の靄は濃くなっただけで晴れることはなかった。
 生き延びている先代勇者にそれを殺せと命じられたクラウディア。地上に降り立った天界人と複数の勇者候補。お決まりの伝説と比べて異例ずくめである。この旅は果たして魔王を倒すだけで終わるのだろうか。



 ******



 翌朝、出発準備を整えるマハトの元へアラインは訪れた。この先は辺境の都を目指すパーティと首飾りの塔を目指すパーティに別れよう、とベルクたちと決めてきたので、その報告にやって来たのだ。
「何も残ってないかもしれないけど、塔がどういう状況かバールが見ておきたいって言うからさ」
「はあ、そんじゃ俺らが首飾りの塔を目指すパーティってことでいいすかね?」
「うん。で、クラウディアにくっついてあのエーデルって女の子も僕らと来るみたい。……で、エーデルにくっついてディアマント、ディアマントにくっついてオーバストが」
 少しずつ苦笑混じりになるアラインにマハトがぶっと噴き出す。「芋蔓式っすね」との所感にこちらとしても頷くほかない。まさかそんなに釣り上げてしまうとは想定外だった。

「でさ、そうすると流石に人数が偏っちゃうから。悪いんだけどマハトはベルクのパーティに入ってくれないか?」

 一瞬マハトが真顔になったのに、アラインは少しも気がついていなかった。なんのかんの言って、マハトはいつもアラインの望むよう動いてくれる。それが当たり前だった。
「ベルクとノーティッツとウェヌスだけじゃ辺境の道のりは厳しいかもしれないし、こっちは大丈夫だから」
 よろしくな、と声をかければマハトは「しょうがないっすねえ」と明るく了承してくれる。もっとごねられるかと予想していたのに、従者は案外聞き分けよくニコニコしていた。
「でも大怪我しないように気をつけてくださいよ? アライン様、ときどき無茶するでしょ」
「本当にお前は心配性だなあ。クラウディアだっているんだから平気だよ。それじゃまた、都で落ち合おう!」
 自分の荷物をパッと背負うとアラインは戦士に手を振り部屋を出た。
 マハトがいなくなるなんて、このときは思ってもいなかった。
















(20120607)