第四話 勇者なんかじゃない






 魔法の詳細に関しては多分ヴィーダから伝わっているのだろう。ノーティッツはあれからすぐに目隠しされ、鎖に繋がれたままの生活を余儀なくされていた。
(視界なんか塞がなくても流石に遠視の魔法とか使えねーよ)
 胸中で毒づくが、何ができて何ができないのかわざわざ敵に知らせる馬鹿はいない。仕方がないので土魔法と風魔法を駆使して壁に小さな穴を開け、そこから兵士の会話を盗み聞きすることに徹した。
 ノーティッツを乗せた船は燃料を補給した後、ドリト島へ再出発するらしい。あの政情不安定な土地柄ではいつか戦地になるだろうと踏んでいたが、現実にそうなりそうだとわかるとげんなりする。
 二年もあそこで暮らしたのだ。現地人とは肌の色関係なく親しくなったし、愛着も大きい。なんとか逃がす手助けくらいできるといいのだが。
(意外と武器を持って行かないみたいなんだよな……)
 会話の断片から推測するに、勇者の都に出した戦力よりドリト島へ向かう兵士は少ないようだ。威力の大きな大砲を備えているとは言えやや不可解だった。ドリト島で戦うことになればヒーナだって黙っていないはずなのに。
 下級兵士たちは上層部の考えなど露ほども聞かされていないようで、圧倒的に情報が足りていなかった。案の定実際は己以外の捕虜などいないということも判明済みだったけれど、堂々とアペティート軍に身を置ける滅多とないチャンスである。ノーティッツはしばらく残って情報収集するつもりだった。
(気になるのは建造中だっていう新しい船だな)
 何か大がかりなものをこつこつ作り続けていて、その完成のためどうしても勇者の国の資源が必要だった――というのが今のところの印象だった。もしかするとアペティートは国同士の力関係を大きく塗り替える新兵器を導入しようとしているのかもしれない。この船のことだけは仔細調べておかなければ。

「よぉ、調子はどうだ? 魔法使い」

 偉そうな足音と共にやって来たのはブルフ・フェーラーだった。この男の醸し出す悪人臭とも呼べそうな気配だけはすっかり察知できるようになっている。他人を甚振るのが趣味らしく、無意味に足蹴にしてきたり、何日も食事を抜いてきたり、この僅かな期間で受けた嫌がらせは数えきれないくらいである。
「前線に連れてく前に、ちゃんと働けるかどうか見せてもらわねえとだからな」
 ブルフは爪先でノーティッツの顎を持ち上げると「立て」と命じた。燃やしてやりたい衝動に駆られるが、大人しく言われるまま起き上がる。諜報活動のためだ、諜報活動のため。自分に言い聞かせてブルフの後に続いた。
 連れて行かれたのはノーティッツが閉じ込められているのとは反対側の倉庫だった。こちらにも捕虜や命令違反者を懲罰するための簡易施設があるようで、怯えた若い兵士の声が耳に届く。目隠しが外されるとブルフの下卑た笑みが映った。
「あの牢の中の男、魔法で殺してみせて」
 ちらと視線を向ければ紫色の軍服を着たアペティート兵が天井から吊るされている。震えながら助けてくださいと繰り返す様は哀れでならなかった。
「断る」
「ああ? なんで? 敵兵だろ、気にすんなよ。あいつさー炊事当番だったんだけど俺の好物焦がしたんだわ。誰かひとり試し撃ち要員が欲しかったところだし丁度いいやって思ってさぁ」
 虫唾が走るとはまさにこのことだ。わざとこちらを挑発しているのでないかとさえ思う。
 ノーティッツの肩に肘をやりながらブルフは「ほら」と急かしてきた。鉄格子の向こうで必死に謝罪する青年を見ていると、この場でブルフを戦闘不能にした方が後々良いような気もしてくる。
「嫌だって言ってるだろ」
 そう答えたら間髪入れずみぞおちに肘を叩きつけられた。ノーティッツはげほごほ咽て床に転がる。
「人質がどうなってもいいのか?」
「……っお前らが欲しいのは魔法使いだけだろうが。何かしてみろ、この場でお前と一緒に死んでやる」
 ふうんとブルフは喉を鳴らした。今の僅かなやりとりで頭の中を見透かされたのでないかと感じた。
 嫌な男だ。機転で劣るとは思わないが、恐怖感とか威圧感を煽るのにやたらと慣れている。
「自分に従わないはねっかえりを従わせるのが一番楽しいよなあ」
 腰に差した小型の銃の撃鉄を降ろすとブルフは兵士に銃口を向けた。トリガーに指がかかったのを見て反射的に魔法を放つ。
 訪れたのは静寂。銃声は響かなかった。
 代わりに鉄の塊が溶け、先端部分からどろりと金属の滴が垂れた。
「……成程ね。準備なしでこれくらいはできるわけだ」
 ブルフは満足げに銃身を確かめる。得意技は火魔法かなと特定され、思わず眉根が寄った。
 やられた。最初から撃つつもりなどなかったのだ。
「いいお仕置きになっただろ。あいつはもう持ち場に戻しておけ」
 震え上がってこの場を見守っていた別の兵士に鍵を投げるとブルフはノーティッツの鎖を乱暴に掴んで引き上げた。
 何を上機嫌に鼻歌なんて口ずさんでいやがるのだ。本当に嫌な男だ。



 悔しいがブルフのペースに乗せられている感が否めない。ああいう手合いをセコい策に嵌めてやり込めるのがいつもの自分のスタイルなのだが、どうもあの男とは相性が良くないようだ。殴られたり蹴られたりの仕返しにひと泡くらい噴かせてから退散したいのはやまやまだが、もしかするとさっさと引き払った方が身のためかもしれない。たとえアペティート軍の兵士であっても、己のせいで死人が出るような事態になれば悔やんでも悔やみきれない。
(ってもなー、軍船情報はなー……)
 溜め息を噛み殺しているうちに見張りの交代する時間になった。今夜はブルフがどうしても食べたいメニューがあると駄々をこねているらしく「料理の得意な者は全員厨房に集まるように」などというふざけた伝達が聞こえてくる。が、おかげで普段は最低でも三人は常駐している簡易牢にひとりしか残らないことになった。これはチャンスが巡ってきたかもしれない。
「大丈夫か? その捕虜って気功師なんだろ?」
「いつも静かにしてるし平気だよ。それより司令を怒らせた方が酷いぞ、行って来いって」
 そんな会話を最後に倉庫の扉が閉ざされる。
 海のど真ん中で脱走なんてできないだろうと油断しているに違いない。その気になれば風を纏って飛ぶことくらいはできるのだ。陸が見えるまで飛べと言われると自分の魔力では難しいが。
 さてどうしたものかなと考えを巡らせていると、あの、とすこぶる小さな声で見張りが話しかけてきた。
 一体なんだと身構える。しかし声音に敵意や刺々しさはまったく感じられなかった。
「あの……さっきはありがとうございました。殺されかけてたの、オレの幼馴染みなんです」
 返答していいものかどうかノーティッツは少し迷う。ここでアペティート兵と懇意になるというルートはあまり考えていなかった。だがこれはアペティート軍の機密を聞き出す千載一遇のチャンスなのではなかろうか。打算も働き唇を開くことにした。
「いや、ぼくのせいで無関係の誰かが死ぬのは後味悪いし……。お礼とかいらないよ」
 兵士はハンスと名を名乗った。軍隊に身を置いて数年経つが、ブルフが直属の上官になってからは毎日とても怖い思いをしているそうだ。
「こんな不景気でも給金がいいし、本格的に戦争が始まるまではここにいようと思ってたんですけど……。実はドリト島に家族がいて……」
 ハンスは意を決したよう唾を飲み込んだ。ブルフに逆らうような言葉を口にするのは彼にとって非常に勇気を必要とする行為だったのだろう。
「あの、島についたらオレと一緒に逃げてくれませんか? オレ、どうしても家族を助けたいんです」
 ぶるぶるとわななく手が格子の向こうからノーティッツの手を握る。
 まだ信用したわけではないが、納得いかない話ではなかった。実際アペティートはここ何十年の間で最悪の失業率を叩き出しているし、給金目当てで軍に入る若者は後を絶たない。
「家族の名前は?」
 念のために聞いてみる。ドリト島の住人なら五百人にも満たないから全員ある程度把握していた。もし知らない名前が出てくれば直ちに嘘だと見破れる話だ。
「母がエルナ、姉がハンナ、妹がロジーナです」
 女だけで住んでいるあの家か。思い当たるとノーティッツはひとまずの警戒を解く。同時に盗聴用の穴から足音が響き始めたのを感知してハンスの手を振り払った。
「他の兵がこっちに向かってきてる。後でなんとかふたりで話せる時間を確保できないかな?」
「ええ、わかりました。必ず隙を作ります。ありがとうございます……!」
 思わぬ収穫だ。ハンスは小隊長で、ある程度自由に船内を動き回れるらしかった。明くる晩にはもう他の見張り兵に適当な命令を与えてノーティッツと密談する機会を設けてしまった。
「五分くらいならなんとかできそうです。怪しまれるといけないので三日に一回程度になるとは思いますけど」
 何でも命じてくれと青年は言った。家族のためなら軍を裏切ることも厭わないと。
 お言葉に甘えてアペティートが新しく作っている船のことが知りたいと尋ねると、ハンスはあんなの完成しませんよと小馬鹿にするよう首を振った。
「だって、空飛ぶ船なんか作れるわけないじゃないですか」






 ******






 防寒用のマントの胸元を強く握り締めながらツヴァングは深く嘆息した。
 今現在、自分たちはヴィーダと囚われのノーティッツを追って空の上にいる。おそらく立ち寄るだろうと思われる東部の軍用島を目指しているのだ。
 普通なら敵陣にたったふたりで乗り込んでいく緊張なり何なりあると思うのだが、この男は一体何なのだろうか。
 ちらと後ろに目をやればやはりベルクは未だに惰眠を貪っている。着いたら起こせと言ったきり、いびきの音しか響かせてこない。
(こんな状況で寝れるなんてどうかしてるぞ。ゴリラが人間のふりでもしているんじゃないか?)
 グオオと響く激しい呼吸に知らず顔面が引き攣っていく。
 勇者というのは強く、優しく、逞しく、そして何より凛とした佇まいをしているものなのに、この男ときたら顔は庶民だし、振る舞いはガサツだし、ああもう、腹を掻くな腹を!
(……こいつと比べてヴィーダはしっかりしていると思っていたのにな……)
 親しくしていたぶん裏切られたショックは大きかった。
 心の底では彼が悪意を持って起こした事件ではないと信じたかった。
 だが彼はシャインバール二十三世を襲い、帝国に跪くことを求めたという。
 振り返ってみれば、ああと思うことは幾つもあった。さりげない世間話に混じってヴィーダは産業の発展具合をよく尋ねてきていたし、アイテム街を案内したときはどの店でも詳細な産地を尋ねていた。いつもにこにこ人当たりが良かったが、彼といるときはアラインの目線がずっとヴィーダから離れなかったのだ。
 大切な客人に何かあっては大変だものなと平和ぼけしていたのは自分だけだった。アラインはとっくに彼の本性を見破って警戒を始めていた。
(おれが役立たずだったから、アライン様は――)
 ツヴァングはぐっと拳を握る。ちょうどそこへ寝返りを打ったベルクが転がってきてツヴァングのマントを踏みつけた。
「ぐぇっ」
 首を締められ咳き込みながら距離を開ける。
 人が戦いに向けて志気を高め、自己を省みているときにこのクソゴリラ。いっそ突き落としてやろうかと隣国の野猿を睨んでいたら、唐突に神鳥から声をかけられた。
「時にツヴァング、お前は魔法の心得はあるのか?」
 神鳥ラウダ。アンザーツと行動を共にしていた先見の明ある聖獣だ。外洋の国々が争いを起こそうとしているのをいち早く見抜き、ノーティッツの指示のもと二年間あちこち偵察へ赴いていたらしい。勇者の国の南東にアペティートの軍用島があるのを教えてくれたのもこの方だった。
「……簡単な治癒術程度なら。剣の道なら十五年になりますが」
「回復なら都合がいい。勇者の補佐を頼んだぞ」
「……」
 補佐に回る気がまったくなかったのと、ベルクを勇者と呼ぶのに多大な抵抗があったため、返答には時間を要した。
 元々己の過ちの落とし前をつけるために同行したのだ。ヴィーダからオリハルコンを奪い返すのも、ノーティッツを助け出すのも、どちらも自分の役目だと思っている。
「おれはおれの成すべきことを成すだけです。大体、本物の勇者ならサポートなんか必要ないのでは?」
 偉大な神鳥に突っかかるような物言いをしてしまった。少し生意気だったかもしれない。だが間違ったことは言っていないはずだ。
「勇者ならサポートが必要ない? なかなか激しい思い込みをしているな」
「……何がですか。だってアライン様は剣も魔法も超一流ですよ」
「アラインと彼は違うさ。まあいい、死なないように傷の手当てくらいはしてやってくれ」
 ラウダはあまり言葉の多い方ではないようだ。話はそこでぷつりと途切れてしまう。
 それにしても彼と言い、マハトと言い、アラインとベルクがまるで違っていることを承知しながら何故こんな男を勇者と呼ぶのだろう。
 ベルクに神具を託したのはあの妙な訛りで喋るバールという神鳥だ。考えてみれば神鳥としての風格もラウダの方がバールよりずっと勝っている気がする。……やはりそういうことなのだろうか。






 物理的に睡眠の取れない日が続いていたのでラウダの羽毛はかなり良質な寝台になった。ぐうぐうと寝息を立てるまで五分とかからなかったように思う。
 気がつくと夢を見ていた。
 夢の中でベルクはドリト島にいた。
 褐色肌の少女と白い肌の少年が仲良く手を取り合い砂浜で遊んでいる。
 大人たちは網を引き揚げ今日の取り分について話し合っている。
 大半が先の戦乱で住む場所と家族をなくした人間だった。焼け野原で一からやり直すよりはと島に渡って来たところ、同じような考えを持った敵国の人間と鉢合わせになったらしい。
 最初は別々の集落を作り、別々に暮らしていたそうだ。住み分けさえしていれば諍いが起きることもなかろうと。
 大人たちは戦いに巻き込まれることに倦んでいた。これ以上何も失いたくないと願っていた。だから憎み合う者同士でも結びつくことができたのだろうねと島のまとめ役は言った。
 ――子供が病気で死にそうなんだ、薬を分けてもらえないか。
 そう言ってビブリオテーク側のリーダーがアペティート側の住民に頭を下げたのがここの歴史の始まりだそうだ。
 日々様々な問題は起きたがドリト島民は総じて仲が良かった。大きな家族のようでもあった。
 ベルクたちは詳しい身分を明かさなかったのに「語りたがらない者は多くいる」と懐深く引き入れてくれた。
 三日月大陸に住んでいたこと。そこではずっと三国が協力し合って魔物の脅威と戦ってきたこと。故郷の話をすると誰もが羨み素晴らしいねと誉め讃えた。それはそれで問題もあったのだけれど。
 ドリト島では皆のことは皆で決めるという。住民の投票で代表者を選んだり、生活の方針を決めたり、こちらが感心させられることもしばしばあった。
 そんな温かな場所だったからだろう。ひとりだけ輪から外れて暮らす彼女はよく目立った。
 ビブリオテークの肌の色なのに、アペティートの服を着ている寡黙な女。
 一度だけ話したことがある。女はベルクの剣を見ていた。武器に興味があるのかと聞くと涼やかな声でいいえと言った。
 ウェヌスとは対極に位置していそうな女だった。纏う空気は暗く重く、表情も乏しい。だがどこか目を惹かれる。
 恋人に置き去りにされたという噂なら聞いた。その恋人の方は社交的で明るい性格をしていたらしい。
 オリハルコンには引き寄せ合う性質があると言ったのはアンザーツだったか。
 馬鹿馬鹿しい。第一あのときまだ王都の聖石は壊れてはいなかった。あの女の元へ行ったのではないかなど、当て推量にもほどがある――。



「……っぶえっくしょん!!!!!」
 あまりの寒さに目を覚ましベルクはガタガタ震えた。着込んでいるのは三年前の冒険時と同じデザインの鎧である。その上からは厚手のマントを羽織っているにもかかわらず、恐ろしく冷え切っている。
「なんでこんな気温になってんだ?」
 再度羽毛にくるまりながら尋ねれば神鳥は淡々と「見つからないよう雲の中を飛んでいる」と教えてくれた。なるほどそれで全身湿っているわけか。
「曇っていて良かったな。最速で飛んでやったのだから感謝しろ」
 顔は見えないがにやりとラウダの笑ったのがわかる。眼下にはアペティートの軍事施設が広がっていた。
 ドリト島よりやや小さいくらいの島には立派な灯台が聳えている。港には勇者の都を襲った戦列艦が五隻ほど停まっていた。近くには兵舎らしき建物もある。
「よし、忍び込むぞ」
「どうやって?」
「まずはあの防寒対策ばっちりそうな軍服を奪う」
 ラウダは大空を旋回し、灯台のサーチライトを避け、素早く深い森の中に降り立った。黄昏の視界の悪さにも助けられた。
 元々の肉体ではないからか、神鳥の幽体離脱に準備はいらない。魔物の身体に木の葉をかぶせてカモフラージュすると、ふたりと一匹は基地に向かい歩き出す。先導はラウダが務めた。
「ベルク、百メートルほど前方で休憩中と思しき兵がふたり談笑している。どうする?」
「クックック……運の悪い連中だぜ」
 完全に悪役の台詞である。ツヴァングが冷めた目でこちらを見ていることにはまったく気付かないままベルクは「行くぞ」と合図した。
「……で地元の彼女がさあ、……ってんだよなあ。どう思う?」
「お前そりゃ確実に二股かけられて――」
 数々の魔物を打ち倒してきたベルクにはアペティート兵の動きなど止まって見えた。気配を消して背後から近付き、悲鳴のひの字も上げさせることなくふたり同時に手刀で沈める。大の男を両肩に担ぐと脱兎のごとく森へ引き返し、コートやベルトを剥ぎ取り始めた。時間にしてここまで約十秒だ。
「周り、誰も来てねえな?」
「大丈夫だ。見られてもいない」
 あれよと言う間にアペティート軍人風のベルクとツヴァングが完成する。薄紫のミリタリーコートは予想に違わず暖かかった。
「風邪引くんじゃねえぞー」
 ロープでぐるぐる巻きにした兵隊に不要になったマントをかけてやり、更に上から落ち葉を降らせる。よどみない一連の動きにツヴァングは呆れているようだったが、これにもやはりベルクは気がつかなかった。
「あそこから中へ入れそうだ」
 高い外壁に覆われた塔の一角をラウダが示す。迅速なことでもう侵入口を見つけてきてくれたらしい。付いて来てもらって本当に良かった。怪しまれにくい外見で、機動に優れ、バールと違ってやかましくないなんて最高だ。
 ベルクとツヴァングはひとりずつラウダに掴まり水堀と塀を越える。呆気ないほど呆気なく中に入ることができた。ツヴァングもラウダには丁重な礼を述べていた。

「……変だな。やけに人が少なくないか?」

 五階建ての基地内部をうろつき出した五分後、ベルクは己の所感を告げた。ラウダが人里のことはよくわからないと言うのでツヴァングに意見を求めてみようと振り返る。
「確かに人とすれ違わないな。人影も見ないし」
 視線は合わせてこなかったが返答はあった。「な、そう思うよな」と見解の一致を強調したら何故かぎろりと睨まれる。よくわからない男だ。
「ラウダ、ちょっと上の階を見てきてくれねえか? 俺らはまだ中庭と一階を見て回る」
 了承の意を告げ神鳥は窓から空に飛び立った。本当によく働いてくれるなと口笛を鳴らしそうになる。
「さあ行くぜ。まずはノーティッツだ。牢屋ってのは地下か天辺にあるもんだから、降りるとこ見つけたら教えてくれ」






 馬鹿、と怒鳴りつけそうになった声をツヴァングは慌てて飲み込んだ。
 なんだって人が来そうだとかあちらが安全そうだとか大事なことを知らせてくれる神鳥に単独行動をさせるのだ。
 止める間もなくラウダが行ってしまったので、ツヴァングは急に不安になりキョロキョロ周囲を窺い始めた。ベルクとふたりきりと言うのがまた強い不安材料だった。
「なんかいきなり歩くの遅くなってねえ? 怪しすぎるからもっと堂々と歩けよ」
「……逆になんであんたはそんなに平然としてるんだよ!」
 会話などしたくないのに腹が立ってつい言い返してしまう。ベルクはきょとんと阿呆面を晒して「はあ? お前だって一度くらい兵士になりすまして兵舎に潜り込んだことあるだろ?」などと聞いてきた。
 あるか馬鹿。お前と違ってこっちは真面目に生きてきたんだ。
「お、見張りがいるぜ。何の倉庫だろうな?」
 腕でツヴァングが前に出るのを制してベルクが声を潜める。自分が指示を出す側に回る心づもりでいたのに、何故この男の出方を見守ろうとしているのだろう。敵地とは言え臆病風に吹かれるなど、真の勇者の部下として情けない。
 しかし心臓がどきどき激しい音を立てているのは否定できない事実だった。ベルクを見ればその横顔は余裕綽々、にやりと笑みまで浮かべている。くそ、負けてたまるか。
「お前そこで誰も来ないか見ててくれ」
「……わかった」
 心と行動の一致しない己に歯痒さを覚えつつツヴァングは通路の先を睨む。ベルクはと言うと、帽子を深くかぶり直してつかつか見張り番の元へ歩み寄って行った。
「どうした? 交代の時間はまだ先だぜ?」
「ああわかってる。三十分後だったよな?」
「何を寝ぼけてるんだ。オレはまだ二時間ここに突っ立ってなきゃならないんだぞ。ひやかしなら帰ってくれ」
「へえ、そいつはラッキー。二時間ならお釣りがくるな」
「はぁ? 何言っ……」
 ぼす、と鈍い音が響いた後は静かなものだった。ベルクは気絶した兵の懐からごそごそ鍵束を取り出している。
 と、そのとき通路の奥から誰かの足音が聞こえてきた。ツヴァングは大慌てでベルクのところへ駆けつける。
「合わねえな。これも違う。これも」
 幾つかある鍵のうち倉庫の鍵がどれかわからず手間取っているらしい。
「早くしないと見つかるぞ!」
 小声で急かすも「ちょっと黙ってろ」と上からかぶせてこられる。
 足音はどんどん近付いてきていた。それと共にツヴァングの鼓動もこれ以上ないくらい早鐘を打ち始める。
 どうするんだ。見つかったらどうするつもりなんだ。
「おい、真っ直ぐ前向いて立ってんだぞ」
 ベルクの声が耳元で響く。扉の閉まる微風を感じた。

「ん、見張りご苦労」
「はっ!」

 それなりに地位のありそうな男が数人ツヴァングをチラ見して通り過ぎて行く。
 幸い何も勘付かれなかったようだがコートの中は汗だくだった。
 僅かだけ後ろ手に倉庫のドアを開けると、気絶した兵の真横で武器を物色するベルクの姿が映った。
「……おれはいつまで立っていればいい?」
「こっちの調達が終わるまでだ」
 どういう王族なんだこいつは。これじゃあどちらかと言うと盗賊だ。
 武器庫から出てきたベルクは扱いやすそうな爆薬の類をコートの下にびっしり巻きつけていた。その場を離れ、次はどちらに向かうべきか逡巡していると、再びラウダが合流してくる。渡り廊下に立っていたツヴァングたちを目ざとく発見し降りてきてくれたらしい。
「すまん、当てが外れた。ヴィーダもノーティッツも別の場所だ」
 ラウダは上層部の会議を盗み聞きしてきたと言った。船と兵の半分がドリト島へ送られ、魔法使いの捕虜もそちらへ連行されたそうだ。その部隊を率いているのがヴィーダであるらしい。
「っち……結局ドリト島かよ」
「また私が送るさ。だがその前に、面白いものを見つけたので教えておこう」
「面白いもの?」
 神鳥の飛んだ先には何やらこじんまりした別棟があった。大きさの割に造りは頑丈で、重々しい鉄製の扉が中と外を隔てている。窓からこっそり中を覗けば明らかに軍人とは違う羽振りよさげな商人が豪華なソファに腰掛けてちょび髭を愛でていた。
(一体なんでこんな島に商業者が?)
 ツヴァングが目を丸くしていると、ベルクがふうんと鼻を鳴らす。この男にはすぐ何者か見当がついたらしい。
「武器商人か。お偉いさんが降りてくるのを待ってますって感じだな」
 ニヤリと口角を上げたかと思えば次の瞬間もうベルクはいつもの顔に戻っていた。何をする気だと戸惑うツヴァングを残し、いきなりドンドン棟の扉を叩き始める。ノックと言うには些か乱暴すぎる激しさで。
「すみませーん!! 不審者の目撃情報があったんですけど、ご無事でおられます!? ちょっくら開けていただけません!?」
 頭から突っ伏しそうになった。次から次によくそんな言葉が出てくるものだ。
 考えてやっているというよりは、過去にそういう悪戯をして遊んだことがありますという風なのがカルチャーショックだった。
「ふ、不審者? 大丈夫なのかね?」
「あ! 大丈夫っす! ここさえ開けてもらえたら!!」
 またボスっという音が響いて商人は動かなくなった。動きに迷いがなさすぎてこちらの頭がついて行かない。
 悠々中へ立ち入るとベルクはたんまり紙幣の入った金袋を当然のよう掴み上げた。
「よし。ラウダ、ツヴァング、ずらかるぜ」
「……は?」
 あまりの出来事にあんぐり口を開くしかできなかった。
 いや、武器ならわかるがそれを奪うのは。
「ぬ、盗みじゃないか! 何をやっているんだ貴様、恥を知れ!」
 今度はベルクが「はぁ?」と返す番だった。心底理解できませんという顔で彼はツヴァングを一瞥する。
「こっちの国でしばらく活動する可能性もあんだから、先立つものは必要だろ?」
「他人の稼ぎだぞ!? ラ、ラウダさんも何とか言ってくださいよ!!」
「……やれやれ……」
 神鳥は嘆息するだけでそれ以上のことは言わない。
 なおも声を荒げようとするツヴァングにベルクは静かに「あのな」と息をついた。
「これは戦争に使われる金だ。だから持って行くし、入り用のときは使わせてもらう」
「……」
 戦争に使われる、などと言われると黙るほかなかった。
 頭の中がぐるぐる回り始める。良いことと悪いことの区別が曖昧になっていく。
(いくら敵国でも……勇者が罪に問われるような行いを……)
 さっさとドリト島へ向かおうと提案するベルクにラウダは平然と頷いている。本当に何とも思わないのだろうか? 勇者の資格を持つ者は民の模範であるべきだとか、少しも。
「おい、服とか取りに戻るぞ」
 神鳥の肉体を隠した森へ引き返し、再出発するのにそう時間はかからなかった。
 青い翼が宙に浮く。辺りはすっかり暗くなっていた。
(ア、アライン様だったら盗みなんかしない……)
 わなわなとまだ肩が震えている。
 最低だ、こいつ、本当に。
 去り際にベルクは武器庫から奪った小型の爆弾を乗員のいない戦列艦に向け次々投げ落としていった。
 眼下は炎と交差する灯台の明かりでちかちか眩しい。
 敵襲だと騒ぐ兵たちはすぐ遠ざかり見えなくなった。






 ******






 こんなぐらぐらした気持ちを抱えっぱなしでいるのは久々だ。
 揺れる波と一緒に揺れる己の心を感じてエーデルは何度目かの溜め息を飲み込んだ。
 クラウディアが後方で追い風を起こしてくれているので通常の航海よりかなり早くドリト島へは着くそうだ。もしかするとエーデルたちの滞在中にアペティート軍とビブリオテーク軍の衝突があるかもしれず、船員たちはやや不安げだった。
 ツヴァングから通信鏡に連絡があったのは昨夜のこと。ヴィーダもノーティッツもドリト島へ向かっていると。
 張り詰めた顔をしているのが気になったが、自分も似たようなものだろう。気を張っていないとすぐ涙で目が潤みそうになる。
(ヴィーダ……)
 自分にだけは素顔で話してくれていると思っていた。友達だと信じていたのに。
「あまり潮風に当たりすぎるな。身体が冷えるぞ」
「ごめん……。ちょっと考えごとしたくて……」
 普段になくディアマントが気遣ってくれるのが嬉しいやら申し訳ないやら。出会った頃は失礼なことばかり言う男だったのに、いつの間にこんなに優しくなったのだろう。
「ドリト島に恋人がいるって言ってたのよ、ヴィーダ」
 甲板から海を見つめてエーデルはぽつり呟く。
 話を聞いてほしい気分だった。不安定な気持ちが落ち着くまで。
「駆け落ちしたけど見つかっちゃったんですって。強引に連れ戻されて、でも任された仕事を終えたら自由にしてもらえるって言ってたわ」
「……その仕事が勇者の国を奪取することだったのだろう。同情は感心しない。敵対したときやりにくくなるだけだ」
「でも!! あたしたち、戦う以外の道があるならそうしたいって思ってきたはずでしょ!?」
 冷静すぎる物言いにカチンときて思わず噛みついてしまう。心配して声をかけてくれた相手になんて態度だ。
「それは相手も同じように考えてくれている場合だけだな」
 ディアマントはエーデルを怒鳴りつけたりはしなかった。淡々と、三年前のことを思い出すよう遠くを眺めて言い聞かせるだけ。
 あのとき、敵になりかけたとき、あなただって苦しかったんじゃないの。ヴィーダだってそれと同じかもしれないじゃない。
「……彼はあたしに早く逃げた方がいいって言ってくれたわ」
「事はもう個人の問題では済まされない。国の間の問題と一緒くたに考えるな」
 ぴしゃりと断言されエーデルは言葉を失くした。
 落ち込みを回復させるどころか更に沈ませただけとわかったのだろう。ディアマントは何も言わずに踵を返し立ち去った。
 嫌だな、あたし慰めてほしかったのかしら。でも彼の言ってること、多分間違っていない。心は理解したくないと拒絶しているけれど。
「ブランケットとお茶をどうぞ、エーデル」
 気がつくと隣にはクラウディアが現れていた。
 船尾で任されている仕事はいいのかと問うと「あなたより優先するものなんてありませんよ」と微笑まれる。
 安心が半分と自己嫌悪が半分だった。甘やかされるのに慣れてはいけない。
「それにドリト島ももう見えてきました」
 クラウディアは白い指で前方を指差した。水平線の彼方に薄らと島影が浮かんできている。周囲を見回すが、アペティートやビブリオテークの船はまだ来ていないようだった。

「何者だ!!!!」

 そのときだ。ディアマントの声に驚き振り返ると船の真ん中に見知らぬ男が立っていた。
 顔の半分を隠す布。ヒーナの民族衣装と似た赤茶色の服を着ているが、大きな帽子で髪型もわからない。
「……!?」
 クラウディアも見たのだろう。エーデルもおそらく同じものを見て目を瞠った。
 男の左手には五芒星。アラインの右手に刻まれているのと同じ、大賢者の証だった。
「オリハルコンをお持ちですね?」
 男は真っ直ぐエーデルに問いかける。
 頷くべきか首を振るべきかわからずその場で硬直した。
「……あなたは大賢者なのですか?」
 代わりにクラウディアが男に問いただす。謎めいた青年は笑みを崩さないまま「そう称されることもあります」と返事した。
「名はありません。今のところは西方の魔術師たちと同じく『気功師』と呼ばれていますが……」
 気功師は陽炎のようにぐにゃりと曲がると唐突に姿を消してしまった。と思った瞬間、わけがわからず目を丸くするエーデルの真後ろにパッと出現する。
「どうやら私の探している異端者はあなたではありませんね」
 もう一度エーデルが背後を振り向いたとき、彼の姿はどこにもいなかった。船上にも海にも。空からディアマントが目を皿にして探してくれたのに。

「……ッ!! 舵をきれ!! アペティートの船だ!!」

 代わりに見つかったのは気功師ではなく島影に隠れていた戦列艦だった。
 ディアマントの警告に遅れること十数秒、こちらの船を近づかせまいと鉄の砲弾が飛んでくる。
「エーデル!」
「ええ、わかってるわ!!」
 黒竜の翼を広げたエーデルの手をクラウディアが掴む。僧侶は船長にこのままUターンして兵士の国へ帰るよう指示した。
「わたしたちのことは何とでもなりますから! 急いで安全なところへ!!」






 双眼鏡には器用に砲撃を避け空を飛ぶ大柄な青年と黒い翼を生やした女が映っていた。
 吸いかけの煙草を甲板に放り、ぐしゃりと踏みつける。
「あれが例の魔物女か? 魔法使いではねえんだよな?」
「ええ、報告によれば」
「じゃあいいや。ただの怪力なら武器でいくらでも替えが効くしな」
 ブルフは特殊砲撃隊の精鋭を呼ぶと自らの双眼鏡を押しつけよく言い聞かせた。
「いいか? あっちの白コートが魔法使いだ。生け捕りにしたのがひとりいるから死体で構わない。警戒されちゃ面倒だから一撃で仕留めろ」
「はッ!」
 威勢のいい返事を残し砲兵は砲台に向かう。
 ドリト島に上陸を開始したのは皇子様率いる第一陣、海上で敵の背中を狙うのはブルフ率いる第二陣だった。
(最近は実りがいいねえ)
 魔法使いの何が素晴らしいかと言えば、燃料や鉄がなくても十分な戦力になれるところだ。おまけに彼らの魔力は一日あればほぼ完全に回復する。半永久的に使い倒すことができるのだ。
 にやにやと頬を緩めたままブルフは戦況を見守った。白コートの男は仲間の女を庇いながらアペティート兵を吹き飛ばし、砲台を破壊するのに専念しているようだ。
 そんな青年の元へ、ごくありふれた砲弾に紛れ、特殊な仕掛けを施してある鉄球が飛んで行く。
「名前は?」
「ディアマントですね。金剛石という意味です」
「はは、そりゃいい」
 ディアマントは必要最小限の動きで特殊弾の真横をすり抜けた。だがそれが命取りだった。
 前触れもなく鉄球は弾ける。中からは鋭い刃が四方八方に飛び出した。
 怯んだ男に間髪入れず二撃目が襲いかかる。細く強靭な鉄線を目標まで到達させるロケット弾だ。
「……いい腕だ。惚れ惚れするよ」
 鉄線は魔法使いの首にかかり、小さなロケットがぐるりと周囲をひと廻りした。
 世界一硬いダイヤモンド。その首と胴がすっぱり分断されるのをブルフは上機嫌で確かめた。
「小舟を出させろ、頭も身体も海に落ちた。回収後はひとまず基地に転がしておけ」
「はい!」
 双眼鏡の向きを下げれば海には血溜まりができている。
 上々だ。これで解剖用のサンプルも手に入った。








(20121102)