「それじゃあ行ってきます、父さん、母さん」
 白っぽい墓石の前に跪いたアラインが亡き両親に出立の言葉を告げると、遠巻きにその背を見守っていた群衆がわあっと歓声を上げた。決して狭くはない洞窟の中に密集する人、人、人。今日はどれくらい民や貴族たちが集まっているのだろう。代々の勇者の骨が納められたここ――通称「勇者の墓」では、今年十六歳になったアラインの旅立ちを見送る壮行会が催されていた。主催は「勇者の国」の現国王、シャインバール二十三世である。いかにも王様といった白髭をたくわえる初老の男の隣には、聡明可憐で知られる王女イヴォンヌの姿もあった。ふたりの瞳は紅いマントを翻す英雄の卵を映し出している。
 まだ幼さは残るものの凛とした面を上げ、アラインは立ち上がった。踵を返し、黒髪をなびかせ群衆に微笑む。勇者と呼ばれる存在に対し驚くほど熱狂的な国民は、それだけで拍手喝采だ。
 アライン・フィンスターの先祖は勇者である。その先祖も、その先祖も、その先祖も。詳細に残された家系図には幾人もの偉人の名が連なっている。「勇者」の称号を持つ者――邪悪の根源たる「魔王」に打ち勝つことのできる人間は、百年に一度、必ず同じ家の男から生まれた。つまりアラインは勇者のサラブレッドなのだ。王侯貴族も平民も、己に寄せる期待は大きかった。
「よいなアライン。辺境の都が魔物の軍勢に襲われ早一年だ。ついにおぬしにも旅立ちの日が訪れた。……敵は魔王ファルシュの名を掲げておる。百年前、勇者アンザーツが倒したはずの魔王が甦ったと言うのだ」
「はい」
 厳かに頷いてアラインは青い瞳に鋭い眼光を灯した。魔王ファルシュ。先代勇者の冒険譚に登場する魔王城の主である。勇者の伝説はそれこそ一夜で語り尽くせぬほどあるが、一度倒された魔王が復活したなんて話は聞いた覚えがない。緊張を誤魔化すようにごくりと息を飲む。
「伝説に従い、勇者の武具を集め、魔王城を目指すのじゃ。そなたの凱旋を待っておるぞ!」
「お任せください。必ず僕が魔王を打ち滅ぼしてまいります!」
 わああああ、と鼓膜が痛むほどの声援を受けながらアラインは出口に向かい暗い通路を歩み出した。通れるかなと不安だったが、一歩進むごとに見物客が足を引っ込め花道を作ってくれる。人波から脱出するまでこれでもかというほど揉みくちゃにされたけれど、強靭な外面という名の笑顔を貼りつけ耐え凌いだ。我慢だ、我慢。旅に出さえすればしばしこんなセレモニーとはおさらばなのだ。
 アラインは「頑張ってくるよ!」「応援していてくれ!」と人々に手を振り、時折握手を交わした。前方の上流階級ゾーンを抜けると勇者饅頭やらレベルアップりんご飴やらこじつけすぎるお祭りフードを手にした人間が増えてくる。アンザーツ炙りイカのジューシーで香ばしい匂いに胃袋を刺激され、苛々しながらやっとの思いで外へ出た。まったく、勇者とイカに何の関連性があると言うのだ。
「お、やっと旅立ちの儀式終わったんすか?毎度お疲れさんです」
 呑気に屋台を物色しながら待っていた筋肉質の従者がさも面白そうに笑うので、アラインは対民衆用の笑顔のまま「こいつ……」と眉を吊り上げた。



 ――遡ること約一ヶ月、アラインの従者であり指南役である戦士マハト・ショースはシャインバール二十三世に呼び出され王宮まで出向いていた。面会の場は謁見の間ではなく人払いされた王の私室。それも時間は真夜中だ。一体何事だろうと訝ったが、王は青ざめた顔でアラインについて尋ねるだけだった。
「マハト、そなたアラインをどう思う?あれはまだ若すぎる。旅に出すのは早計なのではなかろうか……」
 なんだそんなことだったか、とマハトは胸を撫で下ろした。主人とふたりで王様の声が聞き取りにくいだの近頃勇者イベントが多すぎるだの不平を零していたのが露見したかと焦って損をした。
「若いのは若いですけど、アンザーツだって十代で都を発ったんでしょう?アライン様は剣筋も良いし、魔法も使えるし、そんなに不安に感じることはないと思いますがね」
 マハトの返答に国王は「そう……そうか」と小さく声を漏らす。大陸中で一番大きな国の王なのに、シャインバール二十三世は時々妙に弱気になった。それさえなければまあまあ良い王様だと思うのだが。
「自分もついて行きますし、旅先で仲間を増やすつもりですし、どうぞご安心を。きっとアライン様と一緒に魔王の奴を倒して帰りますよ!」
「ああ、ああ、頼むぞ。くれぐれもな」
 国王は錫杖を取り落とし、震える両手でマハトの右手を握り締めた。魔王という強大な敵に立ち向かうのだから怖いのはわかるが、過去敗北した勇者はいない。尋常でない量の汗を掻く君主を一瞥し、マハトは眉をひそめた。本当に怖がりすぎだ。それとも王をここまで怯えさせる別の要因があるのだろうか。
「……何かあったんですか?」
 マハトの問いに国王は息を止めた。カタカタ震える皺だらけの指を引っ込め、実はと語り出す。
「辺境の国を襲った魔物の大群は、これまでと違い統率された幾つかの軍隊じゃったと言う……。かの国は都と村をふたつ残して他はすべて滅ぼされたそうじゃ。未だかつて魔物らがそんな攻め込み方をしてきたことはない……」
「ほ、滅ぼされた?あの魔法大国がですか?」
 マハトはギョッと目を剥いた。勇者の国、兵士の国、辺境の国、そして魔の国。これら四つが三日月大陸を分ける国である。魔の国に隣接する辺境の国は、他の追随を許さぬ優れた魔法技術を用いて何度も魔物たちを撃退してきたはずだった。
「都が落ちるのも時間の問題かもしれん、そう辺境の王が助けを求めてきておる。兵士の国は独自に勇者を募り、辺境の都へ派遣すると言っておったよ。……アラインは勇者アンザーツだけでなく、聖女ゲシュタルトや大賢者ヒルンヒルトの血をも引く人間じゃ。万が一にも負けることはないと信じておるが……」
 もう少し強くなってから送り出してやりたかった。国王は力なく呟いた。
 ばらばらに縄張りを主張してきた魔物同士が手を組み始めた――それがどれほどの脅威であるか、わからぬマハトではない。アラインの旅はけっして易しいものではないぞと王は伝えたかったのだ。
「くれぐれも頼む。勇者を守り、導いてやってくれ」



 観光名所「勇者の墓」で知られる町は、今日はどこへ行っても人でごった返していた。勇者の旅立ち、言わば伝説の始まりをこの目にできる機会など一生に一度しかない。そう考えた旅人たちが各地から押し寄せているのだろう。大体の旅の支度は終わっているので後は腹ごしらえをするだけなのだが、アラインはなかなか空いた食堂を見つけられなかった。セレモニーはとっくに終わっているのに、道行く人々がアラインを呼び止めて時間を浪費させる。
 にこにこ愛想を振り撒きつつアラインは胸中で嘆息した。偉大なる先代勇者アンザーツもこんな苦労をしたのだろうか。それともここまで勇者勇者させられているのは自分だけか。彼のような伝説中の伝説の後を継ぐのはやはり並大抵のことでないらしい。
 普通この国で「勇者」というと、アンザーツのことを指す。彼は歴代勇者の中でも特に際立った存在だ。まず仲間が豪華である。マハトの曽祖父に当たるムスケルは国一番の戦士だし、僧侶ゲシュタルトは森に隠された神殿を守る聖女だった。そしてあらゆる魔法を使いこなし、無尽蔵の魔力を有していたという大賢者ヒルンヒルト。この三人の供を連れ、アンザーツは魔王ファルシュを打ち倒した。だが彼の真の功績は魔王を退けたことにあるのではない。死する魔王が最後の力を振り絞り発動させるという天変地異の呪い、彼はそれをも封じたのだ。
 百年に一度、魔王の消滅とともに大陸は巨大地震に見舞われ、その度にどの国も甚大な被害を出してきた。アンザーツこそ史上最高の勇者だと讃えられるのも頷ける。アライン自身、重圧の中に置かれてなお彼に憧れていた。
 そう、憧れているのだ。アンザーツのような勇者になりたい。魔物たちを圧倒するだけなく、世界を更なる平和にいざなう、そんな本物の英雄に。永遠に語り継がれる伝説に。
 早く旅に出たくてずっとウズウズしていた。見せ物でしかない祭典や壮行会などさっさと終わってしまえと。
「アライン様、席取れたっすよ!」
 呼び声に気付いて振り向くと、表通りから外れた店の入り口でマハトが手招きしているのが見えた。背が高く体格も良い戦士は人並みの中でもよく目立つ。食事が取れそうだという定食屋は、夕方からは酒場も営んでいるようだった。
 なかなかわかっているじゃないかとアラインはひっそり頬を緩ませる。アンザーツの旅も都の酒場から始まったのだ。戦士ムスケルと意気投合して、彼を連れ合いにして。
 どきどきと跳ねる心臓を抑えながらアラインは店の扉を開けた。
 十六年間待ち続けた冒険の旅が、今幕を開けたのだ。



 ******



 頭をガツンとやられたような、味わったのはそんな衝撃だった。何かキラキラした風が店に舞い込んできたなと振り返ったら、窓辺に女神様が浮いていた。
 おそろしく整った顔、黄金と見紛う長い髪、新雪のごとき柔肌。そんな容貌の女が惜しげもなく眩い光を放っていたら、誰もが天女と思うだろう。カウンター席の隣で自作の餡かけパスタを食べていた幼馴染も突然のことに腰を抜かしていた。
「勇者ベルク、あなたに旅立ちのときが訪れました」
 言葉の意味は右から左へいともあっさり抜け落ちる。琴を鳴らしたより一段涼やかな声音に聞き惚れぼうっとしてしまったからだ。
 ベルクはあまり妙齢の婦人と縁がない。高貴な血を引いているはずなのに、獣臭いだの成長に伴ってゴリラ化しているだの好き放題言われてバイキン扱いされている。半径二メートル以内にうら若い女性がいること自体稀だった。そういうわけで反応が遅れてしまった。
 女神は律儀に返答を待っていたようだが、待てど暮らせど何も言わないこちらに焦れて困った顔を友人に向けた。人外の女と目が合うとノーティッツは正気に返ったらしい。「お前が話しかけられてるんだぞ!」とばかりに二の腕を小突いてくる。停止していたベルクの思考も鈍い痛みにようやく動き出した。
「あー、えっと」
「もう一度言います。勇者ベルク、あなたが魔王を倒すべく旅立つ日が巡ってきました。私は女神としてそれを告げに来たのです」
「……ゆっ?」
 勇者?誰が?
 頭の中でクエスチョンマークが踊る。意図を把握できず何度か女神のお告げを反芻したが、それでも上手く飲み込めなかった。何か勘違いしてるんじゃないのか、この女。
「そりゃまあ確かに城じゃ今『来たれ、次代の勇者よ!』とかなんとかやってっけど……まさか俺にもそれ参加しろってこと?」
 ベルクはカウンターに片肘をつき、足を組み直して女神と向き合う。聖なるものと対峙するには崩れ切った姿勢だが、生憎と敬虔なる信仰心なぞ持ち合わせていない。というか冷静に考えてみれば、下町の酒場に降臨する女神なぞ怪しすぎることこの上なかった。まだ店を開けるほど遅い時間帯ではないが、来る場所を間違えている感は否めない。
「そもそも俺が勇者なワケねーだろ。この国の名前わかってんのか?」
「兵士の国ですね? ええ、勿論承知しております」
「勇者って勇者の国にいるんだろ?」
「……私が見出したのはあなたなのです。さあ、天啓に従い魔王を倒す旅に出るのです!」
 今の間はなんだと突っ込もうとしてやめた。なんだかあまりにも胡散臭い。野性の勘がそう告げている。君子危うきに近寄らずと言うし、厄介事には首を突っ込まない方が身のためだ。
「よくわかんねーけど俺帰るわ。ノーティッツ、この姉ちゃんに水でも出してやって。頭冷やした方が良さそうだし」
「えっ!? あ、ああ、うん」
 店主の一人息子である幼馴染はしどろもどろに返事を寄越し、自称女神を横目に眺めた。奴の垂れ気味のグリーンアイもじわじわ猜疑心を宿し始めている。
「あ、あの?勇者ベルク?」
 じゃあなという別れの挨拶と共に店を出て、何事もなかったかのようベルクは裏道を歩き出した。何だったのだ、あの女。前触れもなく現れたかと思ったらふわふわした金粉を撒き散らし、人を勇者ベルクだなどと。あれか?正体は辺境の国から逃げてきた魔法使いとかか?隣国はあんなアブナイ姉ちゃんのウロウロしているヤバい国なのか?
 小路を抜けて広場に出れば王城へ続く上り坂が始まる。幼少時から既に通い慣れた道だった。どうあっても城を抜け出すベルクに根負けした父が「行くなら堂々と行け」と正門の使用許可をくれた七つの頃から。
「おーい帰ったぞ。開けてくれー」
 門番に声をかけると当直の青年兵が「今日はお早いお帰りっすね!」と気さくに笑いかけてくる。お互い慣れたものだった。
 ベルクはこの城の主、トローン四世の実子である。庶民派と言うには少々庶民の色に染まりすぎているけれど、正真正銘の王子様だ。ただその生まれに似つかわしくなく、酒と油の匂いで充満した下町を好むというだけで。
 王族が下々の者に馴染みすぎるのはどうなのかという意見に対しては、ベルクの優秀な兄姉たちが「末っ子なんだし好きにさせたら?」と口を揃えた。町の人間も「そう言えばあいつ王族だったっけ」と尋ねられるまで忘れている始末である。つまりベルクは、自由かつ気楽な環境で伸び伸びと暮らしてきたのだ。――今日この日までは。
「はー、なんか遊び損ねたな。久々に兵士長でもからかってくるか」
 王城の一角にある自室へ戻るとベルクは壁がけの剣の中から良さそうなものを探した。変な女に絡まれたせいでノーティッツの手料理は食べそびれるし、ついていない。幼馴染の作るB級グルメが自分は結構好きなのに。こんなときは気の済むまで剣を振り回して、さっさとストレス解消しなければ。
「勇者ベルク!何故私のお告げに耳を貸さないのです!」
「うおおッ!?」
 突如響き渡った怒声に驚き振り向けば、背後にはきらきら輝く浮遊物体に囲まれた例の女が立っていた。一体いつの間に入り込んだのだ。道中誰かがついてくる気配など一切感じなかったのに。
「おま、な、馬鹿か! 普通城の中まで入ってくるか?」
「あなたが女神の話を無視するからでしょう!? いいから早く旅に出るのです!!」
 女神を名乗る女はそう言うや否や勝手に荷物をまとめ始めた。おいおいと眉を引き攣らせ、ベルクは彼女の腕を掴む。
「あのな? 俺、了承してねえよな? 勇者やるっていっぺんも言ってねえよな?」
「あなたが旅立つことはもう決定です。勇者として名乗りを上げ、魔王を倒す決意を表明なさい!」
「だから勇者の国にもう勇者がいるっつってんだろ! 仮にも兵士の国で王子やってる俺が勇者なんか名乗ろうもんなら国際問題になんだろうが!! 無理、無理です! むーりーです!!」
 女神の耳を引っ掴んで声を大にして叫んでみるが、残念ながら理解はしてもらえなかったらしい。「ではこの国の王に勇者と名乗る許可を与えてもらえば良いのです」などと女は斜め上の助言をしてくる。
 阿呆かこいつ。いくら脳まで筋肉でできている親父とて、流石にそんな愚行を許しはしまい。
「……わーったよ。そんなに言うなら聞いてきてやるよ。けどそれで駄目だって言われたらそっちももう諦めろよ? あとウチの親父、神様とかそういうの大っ嫌いだからついて来んな。この部屋で待て。いいな?」
 指差し確認の後、ベルクは女神を置き去りに謁見の間へ赴いた。藪から棒に「あのさあ、俺が勇者として旅に出るのってアリだと思う?」と尋ねると、父トローンは「大アリじゃ! どうした、ついにお前もやる気になったのか?」と諸手を上げて喜んだ。こちらも十分斜め上だった。



 兵士の国が勇者の一般公募を始めたのは一ヶ月ほど前のことだ。辺境の国が魔物に襲われ壊滅寸前だというのに、勇者の国が勇者の子孫を出し惜しみするので父は痺れを切らしたのだ。
 勇者に対する神様のご加護とやらで弱い魔物しか出現せず、何の労もなく毎年豊作――そんな恵まれた隣国への対抗意識もあるだろう。自国出身の新しい勇者に魔王を討伐させ、三国のリーダー的立場を取ろうと狙っているのではないか。そう分析したのは皿洗い中のノーティッツだった。王はもとより兵士の国には「勇者の国コンプレックス」を持つ国民が多い。隣の大国とは仲良くできないとよく言うが、本当にその通りだ。負けん気の強い民衆は神様などに頼らず生きていることを誇りにしている。いつか勇者の国なんぞ追い抜いてやるぜと心の内では息まいているのである。
「つまりごく潰し王子のお前が勇者として旅立ちたいなんて話は渡りに船だったんだ、ベルク」
 幼馴染は手際良くグラスを磨きつつ、カウンターに伏せたベルクに言い聞かせた。ついでに隣の座席にポンと置かれた大きな荷物をチラ見して、わざとらしい溜め息を吐く。
「で、資格試験はどうしたんだ? どうせ受かったんだろ?」
「受かったに決まってんだろチクショウ! 試験官うちの兵士長だぞ! 俺が七歳のときボコボコにして泣かせた兵士長だぞ! んなもん受かるに決まってんだろ!!」
 どうして自分は本格的に勇者認定を受けているのだろう。免許など貰ってどうするのだ。別に旅に出るのが嫌なわけではないけれど、訳のわからぬ女のせいで孤独に追い出されるのはあまりに辛い。
 実はベルクはノーティッツを誘うつもりだった。偶然とはいえ同時に女神に遭遇したのだし、何より彼は魔法が使える。頭も切れるし飯も美味い。連れて行くにはまたとない良物件なのだ。
 あちらの脳内でも同行の可能性はちらついているに違いない。その証拠に先程からノーティッツは一度もベルクと目を合わせない。一心不乱に食器類を磨き続けてタイミングを計らせまいとしている。
 しかしこちらも「一緒に来てくれないか」などとは頼み難かった。後から「ベルクに泣きつかれて仕方なくね」と吹聴されるかもしれないし、「やだー、ノーティッツ君やさしー」などと幼馴染ばかりちやほやされるのは目に見えている。「一緒に来い」と命令するのも「それが人に物を頼む態度か?」と説教される恐れがあった。ならばここはやはり当然のように一緒に来るものとして会話を進めるのが得策か。
 ――などと考えていたら、ノーティッツがぽそりと「一緒に行ってやろうか?」と言い出した。これは想定していないパターンだ。てっきり向こうにその気はないと思っていたのに。
「え?いいのか?」
「……あー、お前ってたまに常識外れで滅茶苦茶なとこあるからさ。王族の名前に傷がつかないか心配だからついてってやろうかなって。うん。お前もその方がいいだろう?」
 微妙にカチンとくる言い回しに喜びかけていた思考が止まる。あれ?今こいつ俺のこと馬鹿にしたか?というかしたな?不敬罪で訴えちまうぞ?
「いや、別に俺だって一般常識くらい備わってるけど?」
「いやいや、だってお前って育ち方がまず普通じゃないっていうか」
「いやいやいや、ちゃんとひとりで旅の支度もできたわけだし、お前に屈折した心配されるほどじゃないけどな?」
「いやいやいやいや、実はあの後ぼくのところにもう一度女神さまが来て、心配だからついてってあげてほしいってゴリ押しされてね」
「いやいやいやいやいや」
「いやでも、ほんと、マジで、ほら、ちょっとお前も厨房の裏見てみろよ……」
 促され通用口から酒場の奥を覗いてみると、明らかに昨日まではなかった光沢が生まれていた。きらきらふわふわの残骸であった。
 いつも明るいノーティッツが珍しく泣きそうな顔をしている。曰く、「肉も魚もやられた……」だそうだ。あのおつむの軽そうな女神に毎日説得に来られた場合、どれほどの損害が出るかは計り知れない。
 ベルクは幼馴染の肩を叩いてこう言った。
「――旅はすべてを忘れさせてくれるって言うぜ」



 *****



 金粉を周囲に撒きつつ上空に飛び立ち、ディアマントは魔王城を離脱した。最上階に位置する玉座の間から遠く遠く、誰も追いかけてこれないほどの距離を開ける。
 空中に静止したディアマントを温い風が煽り、ウェーブを描く黄金の長髪がひらひらとたなびいた。天の父から授かった光る両翼は暗い魔界の空において悪目立ち以外の何物でもない。幸い今は魔物の半数以上が辺境攻めに加わっているとかで、襲いかかってくる敵はいなかったが。
「ディアマント様! ご、ご無事ですか!?」
 と、パタパタ半透明の翼をはためかせ世話係のオーバストが飛んできた。その黒髪は風の抵抗に乱れ切っており、同じ色の双眸も動揺に震えている。魔王討伐の命を授かったディアマントがいきなり魔王城を目指したので気が気でなかったという顔だ。どうもこの従者に心配されると見くびられている気がしてしまう。一体彼はいつまで自分を子供扱いするつもりなのだろう。
「魔王に会ったぞ、オーバスト」
「え……っ、え、ええー!?」
「剣を交えればどんな相手かわかるかと思ったが――あれは本当に魔王なのか?」
 闇に聳える古き巨城、その最も高い場所に鎮座した魔物の王。思い返してディアマントは眉根を寄せた。
 確かに強い魔力を有していた。ディアマントがただの一太刀も浴びせられなかったほどに。しかし真冬の木のように枯れ切ったあの姿は。
「意味のわからんことばかり喋って、こちらの言葉も通じなかった。まるで亡霊のようだったが」
 率直な感想にオーバストは「ええ」と頷く。
「ですのでそうご説明差し上げようと……、魔王ファルシュは己の死を防ぐため、魂と肉体を切り離しているのです。玉座にいる精神体を倒すには、まず魔王の肉体から滅ぼさなくては……」
「聞いていないぞ、オーバスト!」
「わ、私がお話しする前にディアマント様が行ってしまわれたんですよ?」
「貴様はやることなすこと遅いのだ! もっと早く言え!!」
「ひいい! わ、わかりました! 申し訳ありませんっ!!」
 涙目のオーバストにディアマントはフンと鼻を鳴らした。それさえわかっていれば先に魔王の肉体とやらを探したものを。
「で、肉体と精神体ではどちらが強いのだ?」
「うーん、一概にこうとは言えませんが……普通は半々くらいに力を分けるのではないですか?」
「……」
 ディアマントは唇を尖らせ思案した。魔王城に奇襲をかけたまでは良かったが、ついに魔王ファルシュを玉座から引き摺り下ろすことはかなわなかったのだ。魔法の障壁、吹雪と炎、ファルシュの術に遮られ剣の切っ先が掠ることもなく終わった。それどころか事もなげに払われた腕の一振りで壁まで吹き飛ばされ――いや、これ以上思い出すのはやめておこう。ともかく魂と肉体が揃えば魔王は更に力を増すということだ。
「……私はしばらく地上で魔物を狩る。もっと魔力を蓄えなければ父の望みを叶えるに足りん。オーバスト、貴様は魔王の肉体を探せ。見つけたら教えに来い。いいな?」
「えっ!」
 まだ何事か喚いている世話係を置き去りにディアマントは羽を広げた。と言っても物質的な翼があるわけではなく、光の粒が寄り集まって揚力を生み出しているにすぎない。この地上は天界と勝手が違い、常に肉体をまとっていなければならないし、羽がなければ飛ぶこともできず面倒だ。
 父からは魔王が消えるまで帰郷してはならぬと言いつけられている。しかもディアマントの他に数名の勇者を用意したなどと嬉しくないことも話していた。これまでの歴史では、唯一の魔王に唯一の勇者が挑む、それが定石であったのに。
(一体何をお考えなのか)
 父はディアマントに魔王を滅ぼせと告げた以外、黙して語らなかった。オーバストによれば妹のウェヌスもお告げの女神として大陸へ遣わされているのだとか。
(……あれはどんな勇者についたのだろう)
 信仰深い敬虔な若者であれば良いが、人間の中には度し難い狼藉者も混じっていると聞く。力がすべて、武勲を立てて金と女を得ることにのみ喜びを見出す下賤の輩。そんな男が万に一つも魔王を倒し、勇者として父に認められるようなことになったら。
 おぞましい、それは回避すべき事態であった。
(いずれにせよ、魔王討伐は私が成し遂げる)
 赤黒く燃える空を飛びながら大剣を振り、柄の感触を確かめ直す。
 初めての大地、初めての父の頼み。
 戦い、勝利し、己の強さを知らしめるにはいい機会だ。魔王も他の勇者候補もこの手で叩き潰してくれる。



 地響きに似た振動にイデアールは顔を上げた。すぐ上階の魔王の間に誰かが侵入したらしい。何者だ、と警戒しつつ足を向ければ同じく様子を窺いに来た黒いドレスの女と鉢合わせた。
 ゲシュタルト――ここ魔王城に棲みつく高位魔族のひとりである。この女は父ファルシュの後釜を狙っているのだ。決して隙を見せてはならない。

『勇者は……勇者はどこだ……』

 闇の中にぽっかり浮かぶ背の高い玉座。クリスタルでできた肘掛や背凭れには幾つもの魔法石が埋められ、今なお王の身を守っていた。あそこに坐する資格を得た者は強大な力を手に入れられるとゲシュタルトは考えているようだ。誰の入れ知恵かは知らないが。
 百年前、父ファルシュはイデアールにその肉体を譲り渡した。以来少しずつ正気を失い、今では狂った亡霊と成り果てている。先代勇者アンザーツが父を屠り、このような姿に変えてしまったのだ。敗北を喫した魔王は一度表舞台から退いた。そうして人間たちには滅びたものと思われた。
 だが父はまだ生きている。精神だけになってもなお、魔族の頂点に君臨していた。
『勇者はどこだ……!』
 イデアールはかつかつ足音を響かせ玉座に近づいた。誰かの立ち入った痕跡はあるが、気配の主はもういない。普通の人間も、普通の魔物も、この部屋には入ることすらできないはずだ。何か特別な力を持った者が父の元へやって来たのだ。今後は結界を強化する必要がありそうである。
「父上。ここで何があったのです?」
『勇者は……。どこだ、勇者は……』
「父上!」
「フフッ……聞いたところで何もわからないんじゃない? 魔王のくせにぼけちゃってるんですもの」
 扉の外でゲシュタルトが長い緑の髪を払った。挑発的な物言いに火球のひとつもぶつけてやりたくなるが、ここで争うのは上策でない。魔王城にはもうひとり魔王の座を狙っている男がいる。深手でも負おうものならすぐさま飛んできて我々にとどめを刺すだろう。
「可哀想な魔王、勇者憎しで忘れられないんだわ!」
 あはははは、と狂気じみた笑いを残しゲシュタルトは踵を返した。侵入者の情報が得られないとわかって興味を失ったようである。
 あの女は元は人間の僧侶だった。それもアンザーツが連れていた仲間のひとりだったはずだ。何故ゲシュタルトが魔族として生き延びているのかイデアールには知る由もない。ただ父をこんな風に貶めた者のひとりとして、いつか始末してやると心に決めてある。
『勇者はどこだ……。勇者は……』
「父上」
 侵入者が誰だったのかはわからずじまいだが、魔王を殺そうとする誰かなど勇者以外には考えられなかった。人間たちもいよいよ反撃を開始したということか。
「父上、勇者は必ず私が討ってみせます……!」
 亡霊は応えない。ただ何度も、無意味なほどに何度も同じ問いを繰り返す。
『……勇者はどこだ……』
 イデアールは既に魔王としてのファルシュを諦めていた。今の父に魔物全体をまとめるような統率力はない。
 百年耐えた。百年かけて魔獣の長や魔虫の長を傘下に引き入れ、眷属らを組織化してきた。それもこれも人間たちに思い知らせてやるためだ。大地は貴様らのためだけにあるのではないと。
「そこで見守っていてください、父上。悲願は私が受け継ぎます……!」



 *****



 人間の世界は三つの国に分かれていて、最も栄えているのが勇者の国、次に栄えているのが兵士の国、最後のひとつがエーデルの住む辺境の国だそうだ。辺境という名が示す通り、魔界と隣り合うこの国は土も水も何もかも貧しい。カラス麦で細々と命を繋ぎ、人を食らう魔物を恐れ、他者を阻害し、他国を妬み、神様の存在を疑いながらやっと一日を生き延びる。それが寂しい辺境の民――。幼い頃、母が子守歌代わりにぼやいていた。
 勇者の国では一生懸命耕さなくても毎年豊かな実りが約束されていて、井戸も溜池も清らかな水でいっぱいらしい。 兵士の国では商工業が発達し、街は活気に溢れているという。
 辺境の国が誇れるものは何だろう。考えてみたが思い浮かぶものはない。魔力の強い人間が多いと聞くが、魔法で腹は膨れないので嬉しくなかった。
 生まれて十五年も経つと、痩せ枯れた祖国の無様さがひしひし感じられるようになる。この国は酷くつまらない。ぼろをまとった浮浪者にけちな盗人、あくどい商売人。そんな薄汚い人間しか通りを歩いていない気さえする。母が病に伏せってさえいなければ、とうの昔に飛び出していたことだろう。
 旅装束のクラウディアに出会ったのは、毎日に嫌気が差してしょうがなかった頃のことだった。
「もし、どこかお怪我をされていませんか?」
 灰色のフードの下から覗く大きな青い瞳。肩で切り揃えられたプラチナブロンドの髪が眩しく、エーデルは知らず瞬きしていた。
 薪運びに失敗して堅い材木を足に落としてしまったのはつい先程の話だ。多少右足を引き摺ってはいたが、いきなり他人に、それもこんな綺麗な少女に話しかけられ、エーデルは無視すべきか返答すべきか戸惑った。知らぬ人間に声をかけてくるのは悪人、知った人間のふりで声をかけてくるのは極悪人。母の教えを忘れたわけではなかったが、不意に飛び込んできた美しいものにすっかり虚を突かれてしまったのだ。
「差し支えなければ、足を」
 気がつけば言われるがまま、エーデルは旅人の前に右足を差し出していた。すると不思議なことが起こった。旅人がまじないを施した途端、光の粒がエーデルの足元に集まってきて痛みを消してしまったのだ。
「えっ……!」
「癒しの魔法です」
 旅人は愛らしい顔でにっこり笑った。瞬間、エーデルはしまったと後悔する。辺境の国にも魔法使いはたくさんいる。そしてその大半が、術の効果に対価を求めてくる人間だった。
 安易に足など差し出してしまうから。これは自分の失態だ。
「どうですか? 楽になりましたか?」
「……」
 エーデルは思い切って顔を顰めた。こんなことで高値をふっかけられては堪らない。とにかくまだ痛むふりをしてこの場を切り抜けなければだ。
「いえ、あんまり効いてないみたい。あいたた」
 これ以上関わり合いになりたくない。全身で拒絶の意を示し、坂の上の我が家を目指して歩き始める。ところが予想外なことに、次の獲物を探しに行くだろうと思った旅人はそのままエーデルにくっついて来た。
 ギョッとするエーデルを尻目に旅人は「あれ? おかしいですね。それじゃあせめて荷物運びを手伝います」などとのたまう。そして軽々手元の薪を奪ってしまうとゆったりした歩調で隣に並び歩き出した。
「……あ、あの、困るんだけど」
「でもお怪我をなさってるんでしょう? わたしなら構いませんので」
 ひとことで言えば、それは天使のような笑顔だった。
 どきんと一瞬胸が跳ねた。相手は自分と同じ女だったのに。
 クラウディアと名乗った彼女は、とても清らかな、聖なると言っても過言ではない雰囲気を漂わせていた。彼女の内から見えない光が溢れ出していて、エーデルは酷く上擦った気持ちにさせられた。どきどきして、どきどきして、やっと家に着き薪を返してもらったときも「ありがとう」と言いそびれてしまったくらい。
 その後人伝にクラウディアが丘の教会に身を落ち着けたこと、彼女が諸国を巡りながら僧侶として修業を積んでいることを知った。
 教会に行くと時々クラウディアが箒で外を掃いていた。最初は偶然を装って、次にわざと用事をこしらえて、そうして会いに行くたびに、エーデルとクラウディアは打ち解けて親しい友達になった。
 毎日楽しくて仕方なかった。クラウディアの優しい声を聞くだけで幸せになれた。宝石のような瞳と目が合うと、他には何もいらないと思えた。
 クラウディアは勇者の国から来たのだと言う。あの国の人間は皆こんなにも美しいのだろうか。それが神様から祝福を受けているということなのだろうか。
 荒んだ街で、彼女はすぐに人々の癒しそのものとなった。どんな傷でもクラウディアが診ればすぐに治った。彼女は時に凶悪な魔物をも追い払ってくれた。病を召した母でさえクラウディアが見舞った夜は安らかな寝息を立てていた。
 エーデルにとって彼女は本当にかけがえのない存在だった。ずっとこの街にいてほしかった。いつまでも、いつまでも、ずっと。

「――故郷に戻る日が来たようです。今までありがとう、エーデル」

 別れを切り出されたその日、エーデルは頑として首を縦に振らなかった。クラウディアと過ごすことができたのはほんの一年足らずの間だけだった。
 受け入れられるはずがない。味気ない、色褪せたものしか知らなかった自分にこんな鮮やかな世界を教えておいて。
「きっとまた会えますよ。ほら、約束の印にわたしの大切なものを預けます」
去り際にクラウディアは、神鳥のレリーフが施された首飾りをくれた。きらめくクリスタルに驚いて彼女を見上げると、クラウディアは相変わらず汚れのない清らかな微笑を湛えていた。
 エーデルの目には首飾りが一財産築けるくらい価値ある品に見えた。実際それは誤りではなかったと思う。けれど自分にクラウディアとの友情を売り捌けるわけはなかったし、これほど貴重そうな装飾品なら後で必ず取りに来てくれると信じられた。ようやく彼女の旅立ちを認めたエーデルをクラウディアは優しく撫でてくれた。
「もう一度必ず、エーデル……」
 囁きを耳の奥で繰り返し、忘れないよう記憶に刻む。
 最後にエーデルを抱き締めると、クラウディアはそっと離れて「さようなら」と言った。そのときやっと、エーデルは彼女が「彼女」でなかったことに気がついた。
 見えなくなるまでクラウディアの背中を見送る。幾許かの胸の高鳴りを抑えられないまま。
(……男の子だったんだ……)
 ずっと尼僧の衣を着ていたからわからなかった。どうしてそんな格好をして己の性別を伏せていたのか、それもわからなかったけれど。



 光を失った街はまた元のうらぶれた空気に戻っていった。まるで最初から照らされてなどいなかったように。
 クラウディアが去ってしばらくすると、闇は一層濃くなった。翼を広げたドラゴン、ずんぐりした怪鳥、獅子の頭を持った化物、巨大な蟻、蠢く蛇たちが何の前触れもなくエーデルの故郷を襲った。戦う力を持つ人間が応戦したが、魔物の数は膨大だった。強い結界のある都へ避難する以外生き延びる道は残されていなかった。
 エーデルは寝たきりの母を背に担いだ。荷物はクラウディアから預かった首飾りひとつだった。
 少しでも魔物の数を減らすため、街には火が放たれた。炎と煙の渦巻く中をエーデルは必死で逃げた。逃げて、逃げて、けれど結局逃げ切れなかった。
 崩れ落ちた倉の中で肺を弱らせた母が詫びる。すまなかった、すまなかったと泣きながら。魔物に殺されるか高熱に殺されるか、どうせ死ぬならどちらも同じだ。首飾りだけはどうにか守りたかったけれど。
「エーデルよくお聞き。母さんが死んだらお前はきっと辛い思いをしながら生きていかなきゃならなくなる……」
「……?」
 母はうわ言を話しているようだった。熱と痛みに浮かされて。
「母さんは魔導師で、ずっとお前に魔法をかけていたんだよ。あたしが死んだらそれが解けてしまう……。お前は少しずつ本当の姿に戻ってしまうんだ……」
 ゼエゼエと苦しげな呼吸に意味のわからない告白が混じる。今わの際だと言うのに母が何を話しているのかまったく理解できなかった。誰が誰に魔法をかけたと?本当の姿?一体何の話なのだ?
 愚痴を零す母の姿なら毎日のよう目にしてきた。けれどこんな風に涙ぐむところを見るのは初めてだ。悪い予感が胸をよぎってエーデルは心臓を凍らせた。震える手の中に首飾りを強く握り締める。
「お前はお逃げ、エーデル」
 大丈夫、きっと逃げ切れると母は言う。ひとりでも、辛くても、生き延びなければならないと。
 せめて隣にクラウディアがいてくれたら、母の遺言を理解しようとする勇気が得られたのだろうか。捨てて行けという言葉以上に明かされようとしている秘密が全身を震えさせる。
(嫌、聞きたくない……)
 直感は激しく抵抗するのに声を追わずにはいられなかった。それを耳にすれば、もう二度と今までと同じ自分には戻れない。わかっていたのに。
「お前には魔物の血が流れてる――」



 辺境の国は都を除くほとんどの街と村が魔物の手に落ちたと言う。
 黒髪が紅く染まり、鳶色の目が金に塗り変わったエーデルは、日に日に浅黒く変色する肌に怯えつつ森を這いずり、人里に助けを乞うこともできぬまま南方を目指した。
 国境の河を渡り、兵士の国を越えて、クラウディアに首飾りを返すのだ。
 そうしてあと一度だけ美しいあの子を見たら、おぞましいとしか思えぬこの命を断とう。











(20120527)